最上の徳を持つ人間は、
自分に徳があるとは思いません。
だからこそ、
そういう人は本当に徳を持つのです。
徳が少ない人間は、
自分から徳を持とうとします。
だからそういう人には、
本当の徳はないのです。
真に立派な人間は、
本心を大切にして、
薄っぺら知識を捨てます。
物事の本音・本質を大切にして、見せかけの行為をしません。
つまり、立派な人間は、
他人からの評価を気にせずに、
本音・本質を優先して求めます。
どんな偽善の行為であっても、
それが長く継続できれば本心です。
偽善で道路掃除を始めても、
それが十年間も継続すれば、
やはりその人間の本心からの行為なのです。
十年も掃除を継続していれば、
もう「何も考えずに」
自分のアタリマエの行為として
自然にしています。
これは何にでも言えます。
その「継続」が、
その人物の本心を表しています。
自宅でおこなう毎日の先祖供養にも
同じことが言えます。
最初は、自分の願望のために
先祖供養を始めたとしましても、
継続しているうちに
先祖のためを思う「無心の行為」へと
変わっていくのです。
これは供養を始める前から、
理論と理屈を考えてもムダなことなのです。
「継続」が正しいことを
自然と人間に教えていきます。
コノ世は、思考よりも
「行為」が現実的な作用を起こす次元なのです。
これを忘れてはいけません。
人間とは、本当の偽善心からのおこないならば、
数回だけで必ずやめるものです。
それが苦痛に変わるからです。
そのようにできているのです。
だから自分自身の本心がわからなくなれば、
自分の「行動」や「行為」を
自分自身で見てみるのです。
自分がおこなう「行為」を静観してみましょう。
「今の時点での」本当の自分自身が
わかるヒントになることでしょう。
「柔訳 老子の言葉 写真集」
著:谷川 太一より抜粋転載
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