まるで老子が、
二千五百年後の現代の地球を視て
書いたような文章です。
これを、「大きな戦争の怨みを
無理に和解させましても、
後々まで怨みは残り、
さらなる悲劇を呼ぶものなのです。
だから無理な和解は、
決して良いことではないのです。
だから聖人の国ならば、
戦争の遺恨のツケを相手から返してもらわずに、
貸したままにしておきます。
愚かな国は、貸したツケを
無理に暴力で取り返そうとします。
しかし、天とは完全に公平なのです。
戦争をした両国を公平に見て、
戦中・戦後のおこないの善悪を総合的に判断して、
徳が勝るほうの国家を天はエコヒイキします」
このように言い換えることもできます。
これは個人の人間関係にも言えることです。
他人とひどく争えば、
無理に和解しようとはせずに、
静観するのがよいでしょう。
自然な付き合いの流れに任せるのです。
自然と両者が歩み寄るならば最高ですし、
ダメならば静観です。
そして神が、自然と正しいほうに
エコヒイキをすることでしょう。
この場合、自分の良心(仏性)に恥じない
自分自身であることが大事なのです。
だから自分が悪いと思えば、
自分から素直に謝ることも大切です。
そのすべてを天が視て判断をします。
人類が発生して以来、
今まで人間が絶滅しなかったという事実は、
そこに天の存在と介入があった証明だと私は思います。
もし天界も神も存在しないならば、
とっくの昔に人類は絶滅したでしょう。
人類が生き残ったのは、
悪人が滅び、善人が生き残ったからです。
悪人ばかりになれば、簡単に絶滅します。
神の存在証明=人類の継続性、です。
だから、これからも人類は生き残るでしょう。
「天界のやり方とは完全に公平であるので、
だからこそ天は常に善人にエコヒイキをします」
公平だからこそエコヒイキをするとは、
老子らしい真理だと思います。
だから長い視点から見れば、
正しい者が生かされるのです。
つまり、どんな努力も意味を成し、
生きるということでもあります。
ただ黙って何も努力しないよりも、
自分の良心に従った善人であろうと
努力することが人間も国家も大切なのです。
自分の良心に従って生きていけば、
すべては大丈夫なのです。
「柔訳 老子の言葉」
著:谷川 太一より抜粋転載
・・・・・・・・・・・・・・・・