老子の言葉、
「あえて行動するのに
勇敢な者ほど殺され、
あえて何事にも消極的な者が
生かされることがあります」。
これの意味する内容は、非常に奥深いです。
「善人ほどナゼか早く死に、
悪人ほど生き延びることが
世の中には起こります」とも、
この老子の言葉を言い換えることが可能です。
これの本当の意味と善悪は、
神のみぞ知り、
その正義は完璧に貫徹している
という説明が文章の後半でされています。
これを理解するには、
私たちの短い今回の人生だけを
「切り取って」見ても
判断はできないでしょう。
普通ならば善人ほど長生きをして、
コノ世で報われるのが正義だと考えるものです。
しかし、悪人が長生きをすることは、
それは悪人本人にとっては
本当に良い結果をもたらすのでしょうか?
コノ世だけで、
その悪人の心が終わるならば
ラッキーに見えますが、
死後の反射があると仮定しますと大変です。
生きれば生きるほどに悪行を重ねるのですから。
このような意味を、
「この両者それぞれにとって、
ある意味では利益があり、
ある意味では害があります」
という表現で老子は完全に説明しています。
とにかく言えますことは、
この章では老子が、
*天界が存在するということ
*因果の法則
(自分がしたことは、違う人生を体験してでも必ず自分に帰ること)
*人間の魂の転生
*天界が人間を導く方法
このような意味と道理を
深く理解して示唆していることがよくわかります。
「人間には、天界が悪人を捕まえる
網の目が大き過ぎて漏れが出るように思えますが、
天はどんな悪人も絶対に取り逃がすことがありません」
この老子の言葉ほど、
一般的な人間の心情を思いやっている言葉はありません。
人間は、天界や神が存在すると聞かされましても、
「上手に逃げ切る悪人もいるのだろう」という
半分あきらめのような気持ちを
持つこともあるでしょう。
コノ世でワイロや策謀が横行して、
それで栄華を楽しむ悪人を実際に見ていますと、
このような気持ちを人間は誰もが持つものです。
しかし老子は、
「悪人が本当の意味で得をしているのではなく、
真の意味では悪人が大損している」と断言しています。
そして、天界が人間にかける網とは、
善悪を完全に判別して、悪人を逃すことはないのです。
私が感じますには、
人間がおこなうどんな行動にも
「見えない糸(霊線)」が付いているのです。
生きるほどに、自分がおこなったすべての行動の糸が
織物を成すように人間には付いて「来る」のです。
そして死後に、自分が作った織物を天界に献上するわけです。
どんな小さな行為にも糸(霊線)が付いていて、
織り込まれていきます。
「鬱樓(ぼろ)を着ても心は錦」と昔から言いますように、
心で虹色の美しい織物を作りたいものです。
生きる短い間は、やはりただの「思い」だけよりも、
「行為」が勝るのがコノ世だと思います。
自分なりに良心に従って生きていけば、
ボロボロの人生でありましても、
虹色の美しい織物が誰にでも完成するのです。
頑張って、生きましょう。
「柔訳 老子の言葉」
著:谷川 太一より抜粋転載
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お客様の声
君津本店
●50代・男性
ダウンジャンバーの衿あしがキレイになったと
とても喜ばれていました。
伊勢丹新宿店メンズ館
★男性
白いスニーカーの汚れがとても綺麗になった
と、とても喜んでいただきました。