この章は、軍隊や戦争のことだけを言っているのではなく、
社会での人間関係や、
心の内面世界の葛藤への対策を老子が表現しています。
「相手に攻撃心を持つことよりも、
自分の心の安心を守ることを意識しなさい。
少しでも相手を攻撃するぐらいならば、
逆に自分のほうから大きく後退するのがよいのです。
このような心境になれますと、
そこには争い自体が存在しなくなります。
ただ、相手をバカにして、
手を引き下げる自分が賢いと思っていてはダメです。
相手を軽視していれば、
大きな被害を自分が受けることになりかねません。
だから、相手に備えながらも、
相手が可哀想な人間だと思う慈悲(情け)の心を持って
静観していることが大切なのです」
このように言い換えることも可能です。
老子の思考のリズムには、
宇宙の起承転結と言いますか、
釈尊の生老病死と言いますか、
細かい心の綾(あや:模様)から大きな流れ、
問題への対策までもが完璧に織り込まれています。
庶民の悩みから王様の悩みまでもが対応される、
人智を超えた存在の知性を老子に感じます。
老子は、気の毒な戦乱の時代に何度も転生したために、
その表現によく軍隊を例に出しますが、
当時の一般の人間にとっては
その表現が一番にわかりやすかっただけなのです。
もし老子が現代社会に転生していれば、
サラリーマンの悲哀を例にしたかも知れませんね。
この章の大切なことは、
「悲しみの気持ちを大きく持つほうが勝ちます」です。
これはまさに、親が子どもを叱る時の心境にも言えます。
親が泣きながら子どもを叱りますと、
子どもには後年まで影響するものです。
良い意味で、一生忘れないかも知れません。
怒っているのに泣く親の姿に、
「真剣な」愛情を子どもながらに感じるのです。
悲しみとは慈悲でもあります。
現実の戦闘におきましても、
怒りで逆上している人間よりも、
悲しみを持った人間のほうが冷静な判断が可能になります。
社会で生きていますと、
仕事においても家庭においても、
道路の交通におきましても
大小さまざまな争い事が必ず起こるものです。
そういう場合は、自分のほうが二歩も三歩も下がり、
争いを避ければよいです。
そして、自分が身を引いても、
相手から目を離さないことが大切です。
もし、相手と対峙することになれば、
悲しみの気持ちを持って対応しましょう。
「柔訳 老子の言葉」
著:谷川 太一より抜粋転載
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