「何かに執着するものは、
結局それを失うことになります」
と老子が言っています。
人間は欲しがれば欲しがるほどに、
逆に何かブレーキがかかるように
対象が逃げることが多いのです。
また、欲しがって執着して無理に自分の手に入れましても、
代わりに何か大切なモノを失うことになる。
さらには、
入手したとたんになぜかそれへの興味がなくなる、
などのパターンも見られます。
結局は、何かに執着する時点で、
自分の冷静さを欠いているのです。
人間が忘れてはいけないことは、
「コノ世では、人間は何も実際には持つことができない」
ということだと感じます。
ただ、何かを「預かる」ことが、
人間には許されていると思います。
伴侶を預かる、
自分の子どもを預かる、
土地を預かる、
仕事を預かる、
自動車を預かる、服を預かる⋯⋯、
自分の肉体も預かっている。
自分の持ち物ではなくて、
大いなる存在から預かっていると考えますと、
自分の視点や執着具合が変わります。
この「預かっている」という考え方は、
昔の古き良き日本人が保有していた感性だと思います。
預かっているのだから、
①愛情をかけて大切にする。
②それが離れることも、受け入れる。
③預かっているのだから、いつかは、誰か、大いなる存在にお返しをする。
このような愛情の上でのアッサリとした「覚悟」を感じます。
釈尊が一番言いたかったことも、
「執着するな」でした。
コノ世のすべての苦しみの原因は、
何かに執着することから「始まる」と言われました。
逆に言いますと、
人間は執着しなければ、
コノ世は天国にも成り得ます。
このことを老子も、
「自然な流れで生きること=無為自然」
と表現しています。
自分の生活の中で、
変に執着をしないように生きてみましょう。
ただ、執着しない=努力しない、
ではありませんよ。
本当に執着しなければ、
今よりも自然にもっと努力できるのが本当なのです。
執着しない=明るく思いっきり努力して生きる、
なのです。
まずは、
今の自分が何に執着しているのかを
観察してみましょう。
「柔訳 老子の言葉」
著:谷川 太一 より抜粋転載
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