「聖人であっても」努力すると老子が言っています。
人間は聖人になれれば、
努力など不要になると思ってはいないでしょうか?
しかも聖人は、
小さな問題にも慎重に全力で対応するということです。
大難にならないように、
小難のうちに懸命に努力をします。
「『自然の流れに任せる』ということを実行し、
『何も起こらない』ということを大きな目的とし、
『物事に味がない』ということを逆に味わいます」
「他人からの怨みには道徳心をもって対応します」
これは、とても簡潔に人生の生き方を教えてくれています。
「味がないことを、味わう」
もし、このような気持ちになれますと、
どんな環境でも人間は楽しむことができます。
つまらないことも、
有限な人生においては
貴重で有り難い経験に思えてきます。
また、他人からの怨みに対して怨みで対応しますと、
それは必ず泥沼の悲劇を生みます。
だから怨みには、
正義と良心に基づいた「常識」で対応するのが賢明です。
人生とは常に不安で、これで安心ということがありません。
どんな大金持ちでも満足はしていません。
いえ、できないのです。
金の苦労がなくなれば、
家族の問題や健康に関わることや、
財産の将来の問題も含めて別の不安が起こります。
貧乏ならば、食べる心配や、老後の先行きが本当に心配になります。
では、いつになれば人間は安心ができるのでしょうか?
それは、「今しかないのです」。
明日ではダメなのです。
自分の夢が叶ってからではないのです。
もし夢が叶いましても、
また必ず違う問題で悩んでいます。
どんな環境であろうが、
今の生かされている環境と自分自身にも感謝をするのです。
そして、自分自身を安心させます。
コノ世での人生は、
期間限定であるからこそ価値と意味があると感じます。
コノ世には、
悲惨で許せないことも数多くあります。
でも、どんなに酷い仕打ちを
他人から受けて苦しんでいても
永遠には続きませんから、
自分の良心(道徳)に従ってさえいれば
絶対に大丈夫です。
苦しみを他人に与える人間も、
いつかは必ず死ぬのです。
こんな公平なことはありません。
要は、コノ世は片道に過ぎないのです。
コノ世は時間と共に進む一方ですが、
必ず折り返し点(死)が万人に来るのです。
折り返し点からは、
今回の片道(人生)の反対の立場を
自分の心が経験すると私は感じています。
今生で自分が誰かを助けた行為は、
折り返し後の自分自身を助けたのかも知れません。
片道の間は、
矛盾と不公平と理不尽さに満ちているように見えますが、
それは片道だから仕方がありません。
往復することによって、
すべてが無駄なく生きるのです。
片道を生きる今は、
とにかく良心(道徳)に従って、
何でも有り難く味わって生きましょう。
これが最善へと自分自身を導きます。
「柔訳 老子の言葉」
著:谷川 太一より抜粋転載
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お客様の声
君津本店
●30代、女性
「パンツについた白いシミが落ちてよかった~」
と、嬉しそうに一言おっしゃっていました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●30代、男性
スニーカーの広がってしまった汚れが
キレイに取りていたので大変なお喜びでした。
阪急メンズ東京
★本日、ゼニアをお持ちにならりたお客様
が、またゼニアに冬物を7~8着お持ちに
なられました。
「安心して預けられます」とおっしゃてい
ました。