考えてみますと、
私たちは自分自身の外に在るモノを
見たり・経験したり・欲しがったりしています。
ところが、他の人間は、
また違うその人だけの外のモノに興味を持って
奮闘しています。
人によって欲しいモノがコロコロと変わるような外に存在に、
はたして人間が追及するべき「永遠なるモノ」が
存在するのでしょうか?
所詮は、すぐに過ぎて「変わっていく」
見える様相に踊らされているのではないでしょうか?
ただ、外の知識を得ることは大切です。
しかし、それは自分自身のことを知るための
予備知識に過ぎないことを知っておくべきなのです。
あくまでも人類の最終目標は、
自分自身を知ることなのです。
この大目標を持たずに外の知識・情報に頼ることと、
あくまでも自分自身を知るための予備知識だという認識で
外に在るモノを見るのでは、
その知識に対する受け取り方や冷静さが違います。
人間は、自分自身(魂)を知るために
生まれて来たということを知るだけでも、
外の色んなモノに執着して縛られていたくさりが
だんだんと解かれていくことでしょう。
老子こそは、自分自身を見つめることにより、
コノ世の森羅万象を知った聖人です。
私たちも、
自分自身を見つめることで改善が起こります。
コノ世のすべての喜怒哀楽は、
自分自身を知るために存在して
「くれている」のだと考えますと、
あの嫌いな人物や苦しいことに対しましても、
違う視点を持てるのではないでしょうか?
人間は死後に、このことを知って、
思い出して、過去に自分が嫌った多くの人たちのことを
思い涙すると私は思っています。
「柔訳 老子の言葉」 著:谷川太一より抜粋転載
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お客様の喜びの声
君津本店
★「こんなにあったんですねー。今
の人もたくさんありましたね。」と
保管のお渡しと保管のお預かりと、
お客様が続きました。
★「わーきれいになった。」と、ブ
ランドコースでバッグをお受け取り
の若い女性。「写真もらっていいん
ですか?」と、beforeの写真も喜ん
でお持ち帰りになりました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●(40代、男性)シルクブラウスの
首回りの汚れや、目よれがきれいに
なっていて、とても喜んでいらっし
ゃいました。