多くの財産家を見てきましたが、
巨額な蓄財をするほど逆に自分の健康を失くしていく人、
富を得て自分自身は健康であっても
家族を突然に亡くす人、
富を得ても一人ぼっちの寂しい人生になる人、
このような財産と健康・命・人生に関する相関性を感じます。
財産を得ましても、まるで交換条件が発動するように
逆に何かが消えていきます。
いや、そんなことはない、
アノ人は、すべてが揃っていると思われる人もいるでしょう。
しかし、その人の十年後は?
人生の最後の様相は?
誰にもわかりません。
老子も二千五百年前の社会を見まして、
前述のとおり交換条件の発動をすでにおっしゃっています。
どうして人間は、
「すべてが完全に揃うことがない」
「揃ったとしても短命になる」のようになるのでしょうか?
まず一番の理由は、大自然がそうだからです。
花が咲けば必ず散ります。
木も巨木になれば、必ず内側から枯れて倒れていきます。
虫の命は一年もありません。
しかし、このような「必ず変わる」という変化が、
次の命を生み出しています。
人間も栄枯盛衰することが、
自分の魂が成長するために必要なのです。
「栄」「盛」だけでは、心が成長できないのです。
真逆の「枯」「衰」も自分で体験することで、
すべての人間の立場を経験して自分の魂が成長します。
いや、自分の人生には「枯」「衰」だけだと思われる方がいますが、
それは自分なりの「栄」「盛」に気づいていないだけです。
人それぞれの魂に「応じた」栄枯盛衰が必ず存在します。
すでに生きているだけでも、
大いなる「栄」「盛」が与えられています。
とにかく宇宙の流れが、
英子盛衰だということが最初の理由です。
ただ、「栄」「盛」の最中でも、
ボランティアや先祖への感謝や供養などの他に与える行為により、
「枯」「衰」を緩和して小さくすることも
可能なのが陰陽の法則だと感じます。
すべてが完全に揃わない二つ目の理由は、
人間は自分自身の良心(仏性)が
「すべて」を公平に視ているからだと感じます。
自分が得た金で泣いている人が陰にいれば、
自分自身が気づいていなくても、
自分の心の良心(仏性)は傷ついています。
自分の良心(仏性)の状態が、
自分自身の人生に反射すると感じます。
要は、人間が一番に畏れるべきなのは、
自分の良心(仏性)なのです。
どんなに弁解しても、他人の責任にしていても、
人生の最期の最後には
自分自身の良心が判断を必ずします。
つまり人間は、
他人ではなく自分の良心(仏性)を見つめて生きていくことが、
すべてにおいて最善なのです。
これは自分の死後にも影響する、
最高の習慣なのです。
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お客様の喜びの声
君津本店
★お電話でお問い合わせがあった、
プレスのみ急ぎで今日の昼までにと
いうお客様のジャケットが、袖口が
すごく汚れていたので、洗うことを
お勧めすると、「出来るんですか?
お願いします。」。仕上がりを見て
「わーきれいになりました。」と、
大変喜ばれました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●(30代、男性)お気に入りのジ
ーンズが風合いよく仕上がったと
お喜びでした。