どんな偽善の行為であっても、
それが長く続けば本心なのです。
偽善で道路掃除を始めましても、
それが10年間も継続すれば、
やはりその人間の本心からの
行為なのです。
10年も掃除を継続していれば、
もう「何も考えずに」
自分のアタリマエの行為
として自然にしています。
これはなんにでも言えます。
その「継続」が、
その人物の本心を表します。
この世は、
思考よりも「行為」が現実的な
作用を起こす示現なのです。
これを忘れてはいけません。
人間とは、
本当の偽善心からの行いならば、
数回だけでも必ずやめるものです。
それが苦痛に変わるからです。
そのようにできているのです。
だから自分自身の本心が
わからなくなれば、
自分の「行動」や「行為」を
自分自身で見てみるのです。
老子は、
礼儀を守り、
社会ルールを守り努力する
ことは、
人間として大切なことであり、
当然するべきだ。
しかし、
それだけに終始することなく、
絶えず、自分の本心を求める、
道を求める気持ちを持つ事が
人間には大切なのだと、
真実を伝えて下さっています。
言葉ではなく
行動や行為がその人である、
ということなのです。
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