あちらこちらへと、
色んなことに執着する
我良しな欲望の激流を涸らせることが
出来た人。
そういう人は、この世とあの世を
往復する輪廻を終わらせます。
それはまるで蛇が古い皮をスルッと
脱ぎ捨てるようにできます。
「原始仏典スッタニパータ」
第一章第一節=三番
人間が持つ自我の強さを、
釈尊は「激流」とこの項で例えています。
人間の自己中心的な自我とは、
ただの水流ではなく、激流と表現する
ほど途方もないパワーを持ち、
抑えがたいサガであることを意味
しています。
このような激しい想いのパワーを、
正しい方向に、内容に、
もし変えることがでた人は、
生死流転をも終わらせることになる、
と示されています。
まさに「悪人正機」です。
仏教の思想には、
「大欲を持て」という考え方があります。
●自分だけの浴を考えるような、
そんな小さな欲で、おまえは本当に満足するのか
●多くの人々の浴を叶えるほどの、巨大な欲を持て
ということです。
我良しの自我などは、スケールが小さすぎて
つまらないということです。
人は必ず死ぬという運命を思えば、
この世で悩むこともあほらしいことに気づかなければ
なりません。
これに真から気づけば、
この世には感謝することしかない真理がわかります。
自分が持つ激流のサガがあれば、
それだけは何とかしたいと思うから苦しみます。
●もっと大きな視点
●体欲の視点
●自分は必ず死ぬ定めてせあることを思い出す。
大きな視点、全体の視点を持って生きだせば、
自分が悩む内容が変わっていきます。
自分の執着を切断していきます。
そして運命が変われます。
大きな悩むパワーかせあれば、
逆にそのパワーを上手く使えば大きな変化を
起こすことが可能です。
今日も自分の「激流」を静観しましょう。
これを良い源泉に変えることが可能なのです。
そして、この激流が流転を終わらせる
ほどのパワーを持っていることを
知っておきましょう。
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