私たちのサガ、
それを止めようとか、
何とかしようするのは、
その行為の表面を自制するに過ぎません。
サガの表面を自制するだけでは、
また色々な時に、色々な形で自分の
サガが芽を出すものです。
誰もが生きる限り、
色々な形でこれを繰り返しています。
問題は、
その繰返す自分のサガのために、
相手から恨まれたリ、根に持たれたり、
または自分の家族を悲しませたりすることで、
●自分が再び転生しても
●一から生まれ直して、
それを償う「別の」人生を
体験する因果の目が生じます。
他人に苦しい思いをさぜる「嫌な」「変な」
サガを持つ限り、その人の転生は継続する
ことになります。
相手が体験した苦しい思いを、
次は自分が体験する人生のパータンを生じ
させます。
誰もが、
「やったらやり返す」「やられたらやり返す」
という転生を繰り返しているものです。
だから今世で、もし自分が被害者になっても、
●それでも、あなたを赦します。
●それでも、私は決して恨みません。
と思えたならば、
その被害の件については嫌な因果を残さない
のです。
しかし、
前記のことはすべて、
表面のサガへの対応に過ぎません。
釈尊は、
●芽を出すサガの表面(花)だけを摘み取ってもダメだ。
●その花が付く、茎の深部から、根っこから、
花を摘み取りなさい。
●それが出来た人は、この世とあの世を繰り替えす
転生を終えることができる。
と、やっしゃってますが、これが難しいのです。
では、どうすればよいのでしょうか?
●他人を恨まない、
他人に恨まれないサガの行動を意識すること。
●でも生きていれば、他人に恨まれることは避けられない
こともあります。したがって、それを上回る善行を
別の形でもよいからおこなう意識を持つこと。
●すべての現象の表面だけを見て判断せず、
その奥にある問題を見る視点を感じ、
根本から変える視点を持つこと。
釈尊の「表面の花を取らずに、その深部から取らないと、
花を摘んだとは言えない」とは、
実に深いものを感じます。
釈尊の教えとは、この世とあの世をいかに
「明るく」卒業するから、すべての目的が
集約されています。
柔訳「釈尊の教え」第一巻
原始仏典スッタニパータより転載抜粋
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お客様の喜び言葉・その他
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