当たり前の基準は人それぞれ違います。
麻薬は、最初は少量でも快楽を得られますが、
慣れてくると量を増やさなければ、
同じ快楽を得られないそうです。
これと「当たり前の基準」は
似たところがあります。
当たり前の基準が高い人ほど、
嬉しく感じるハードルは高いわけですから、
あまり喜びを感じることができなくなります。
逆に基準が低い人ほど、
小さなことでも喜びを感じることができますが、
同時に不満も増える危険があります。
地球には現実に、
大きな貧富の格差があります。
井戸が完成すると
住民全体から歓喜の笑顔に満ちる国もあれば、
手を出すと勝手に水が流れ出し無表情で
手を洗う国もあります。
前者は「当たり前」の基準が低く、
後者は基準が高いといえます。
日本は「当たり前」の基準が高い国です。
しかし、笑顔の多さでは日本は遅れた国
かもしれません。
自分が生かされてという
「生死の原点からの視線」をいつも
持つことは、究極の下から目線。
「当たり前」基準の最低辺かもしれません。
この目線で自分の環境と世の中を眺めると、
まだまだ有難いことだらけであることに
気づきます。
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