アノ世が有ることを信じる人々は、
違法な快楽により芯まで害されることはありません。
良心の抑制が働くからです。
愚かな人は、違法な快楽のために芯まで犯されます。
違法な快楽に執着するために、愚かな人は他人をも害します。
そして、自分自身を芯から本当に害することに成ります。
(原始仏典 ダンマパダ24章-355番)
(感想)
釈尊が、まさに現代社会の様相を指摘しています。
予言しています。
2500年も前のインドでも、麻薬などの快楽により
「自分自身と周囲を害する人」がいたのでしょう。
釈尊は、そんなことをする人々は、
「アノ世の実在を信じていないからだ」
「因果の法則が徹底的に追跡することを知らないからだ」
と看破されています。
コノ世の多くの人は、「黙っていれば分からない」
「アノ悪人だって今も平気でいる」と思うものです。
そして、「死んだら終わり」「やったもの勝ち」だと自分を
誤魔化します。
だから薬物におぼれて他人を害することや、
自分の肉体を粗末にすることもしてしまいます。
このように成るすべての原因の奥には、そもそもが
「アノ世が有ることを信じていないからだ」
と釈尊は指摘しています。
つまりは、社会には色々な信仰が有りますが、
信仰の「信」とは、
「アノ世が有ることを信じる」
の「信」がすべての基本だということなのです。
だから、アノ世が有ることを信じられる人は、
* まだ死後が有るために、
コノ世で罪を犯すことを恐れることが"可能になるのです"。
* 因果の法則で必ず自分に反射するから、
他人をイジメることを恐れることが"出来るのです"。
つまり、「アノ世が有るか無いか」の個人的な「信」念により、
その人の運命はまったく変わってしまうのが人間なのです。
出来れば、アノ世が有ると思いながら暮らす人生が、
正しい人生を歩むことに確実に成ります。
「アノ世は無い」と思う人の人生は、
他人を害することもしてしまうかも知れません。
どちらの人生が良いのか?は、誰でも分かることでしょう。
釈尊が最後に指摘しています、
「そして、自分自身を芯から本当に害することに成ります」
これが重要です。
結局は、アノ世を信じない人は、
自分の良心(神仏)を傷付ける可能性が大きくて、
人はこのことを最も恐れなければ生けないのが真相なのです。
自分に内在する大いなる存在(良心・自神・自信・神仏)を
大切にして生きましょう。
そのように生きた人の魂は、
確実に大往生して浄土に逝くことは間違いが無いのです。
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今日の体重62.4㎏ 血圧123-64-65
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