自分の肉体、自分が発する言葉、自分の心。
この3つに対して、悪い事をさせないこと。
この3つにおいて、自制心を持つこと。
こういう人を私は最高の修行者と呼びます。
(原始仏典 ダンマパダ26章-391)
自分の肉体・言葉・心。
この3要素が人の全てであり、
重要であること。
この3つに悪事をさせないことが、
コノ世での最高の修行だと釈尊は言います。
つまり、普通の会社員、
学生、家庭の主婦でありましても、
この3つを自制して生きる人は
最高の修行をしている訳です。
だから、本当の修行とは、
宗教的な行為には無いのです。
* 誘惑の多い社会の中でこそ、
この3つを努力することが意味を持ちます。
隔絶された誘惑の無い環境の中で、
社会で勤務する必要も無く、
食べる心配もしなくても良い環境の中で、
このような3つを実行することは
修行には成らないのです。
それはアタリマエなことに過ぎません。
誘惑に満ちた、
自分の自由に選択することが可能な中でこそ、
この3つを実践することが価値を持ちます。
多くの人が、
自分の運命を改善するには、
この環境がダメだ、
アレが自分には無いからダメだ、
と思いがちです。
あきらめてもいます。
しかし、
真実は違うのです。
そのような不満な環境の中でこそ、
この3つへ努力することが意味を成すのです。
価値を持つのです。
大いなる修行に成るのです。
だから、今
の自分の環境は無いものだらけで、
ハンディが多いと思う人は、
本質的な視点では最高の修行の場に
変えることも可能です。
満たされない苦しい環境の中だからこそ、
この3つが重要で有り、
その人の運命を変えることが可能になります。
仏教では、蓮の花こそが最高の花であり、
最高の心境を意味すると考えます。
その理由は、泥の中でこそ咲くからです。
清流の中では咲かないのです。
だから、
社会のどんな泥の中に
自分が居ましても大丈夫です。
その中だからこそ、
最高の自分が咲けるチャンスが
有ることを知って置いてください。
今が病気でも大丈夫です。
その中でこそ、
自分を成長させるチャンスが満ちています。
別に修行なんかしたく無い、
成長もしたく無い、
と思う人が大半かも知れません。
でも、
自分が必ず100%いつか死ぬ人間だと
言うことを忘れないで欲しいのです。
アノ世に帰りますと、大きな修行のチャンスを
捨てていたことを全員が後悔します。
アノ世の環境は、
今生で人が生まれる国や家が違うのと同様に、
居る場所の個人差が大きいのです。
コノ世より更に厳格に、
磁石に引き寄せられるように個人差が生じます。
そして、
そこで感じる自分の心は、
今と同じように色々と感じることも思うことも
可能な存在なのです。
すると、
やはりアノ時、
もっと最善を尽くすべきだった、
素直になるべきだった、
と自身は思います。
だから、
今の生活がどんな環境でも頑張りましょう。
そして、
それでも生かされている感謝をして置きましょう。
自分が知らない無数の先祖にも感謝をするのです。
決して、
悪いようには成りませんから。
柔訳「釈尊の言葉」著:谷川太一より転載
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体重62.6㎏ 血圧128-75-64