「必ず過ぎて行くことに負けないように」6/17(木)
コノ世の幸福とか不幸だとかに、
こだわらずに生活する人。
色々な問題が有っても、心配せずに生活する人。
清潔で心身を清らかに生活する人。
そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。
(原始仏典 ダンマパダ26章-412)
(感想)
同じ人類でありながら、
日本での最低の生活は、
それでも某他国の最高の生活かも知れません。
日本では毎日、
まだまだ食べられる食料品を何十トンも廃棄しています。
某国の人々がそれを見れば何を思うのでしょうか。
つまり、人間の幸福と不幸の感覚とは、
* 有って無いようなモノ、
* 場所で変わるモノに過ぎないこと、
* 個人的な幻想であること、
とも言えます。
老子ならば、
幸福と不幸の価値観について、
きっとこう言うことでしょう。
「川の流れには、
同じ1つの川でも澄んだキレイな水流の場所もあれば、
濁った汚い流れの箇所もあります。
その川を表現する時、
その川のどこを見て評価をするのでしょうか?
ただ言えることは、
キレイな水流も汚い水流も、
常に流れていることです。
常に変わるものに、
一喜一憂した評価をしないのが良く、
眺めていることが大切です」
このように老子は言いそうだと感じます。
釈尊が言われますように、
コノ世の幸福とか不幸だとかに、
こだわらずに、負けずに、生きたいものです。
もし自分が不幸だと思う時が有れば、
その不幸を宇宙から見てみるのも良さそうです。
大きな視点を持って、その不幸を見てみましょう。
いったい、どこに自分の不幸が有ったのか?
見失うかも知れませんね。
次に、
「色々な問題が有っても、心配せずに生活する人」・・・・これが、
出来そうで出来無いことです。
ただ言えますことは、
それを心配して、
何が変わるのでしょうか?
心配して注視することで、
量子力学的には「注視する」行為の影響は有ります。
しかし、心配するという心労・漏電は、
まったくムダでマイナスな可能性が高いのです。
だから、
* 「色々な問題が有れば、心配せずに静観する」
これが心配する側にも、
心配される側にも、最善となる可能性が高いのです。
要するに、
* 幸福とか不幸だとかに、こだわらずに、
不幸には大きな視点から見てみること。
* 色々な問題には、
心配するよりも、冷静に静観すること。
このようなことが言えそうです。
自分の生活の中で試すことも参考にして頂ければ幸いです。
柔訳「釈尊の言葉」第一巻 谷川太一より抜粋転載
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体重 62,6㎏ 血圧117-64 脈拍 68
・3:40~4:20 早朝マシントレーニング
※体を鏡で思った事。こりゃあ、本格的に鎧を着こみつつあるなぁ・・。
・4:45~朝食 ・5:00~晨朝勤行 ・5:15~千葉市へ
・6:00~7:30 体幹トレーニング
・デッドリフト 40㎏×3セット
・ベントオーバーロウ 25㎏×3セット
・クランチとダルマ(お腹のトレーニング)
・インターバルトレーニング
①スクワットジャンプ②スプリットスクワットジャンプ
③スクワットプレス④ブッシュアップ⑤シットアップ
⑥サイクリング (全て20秒ダッシュ)
トレーナーの一言。
「筋トレだけでは筋肉が固まりますから、必ずストレッチの時間を
意識して多めに取ります。筋トレだけに偏っては、怪我のもと。」