思い出の時が甦るウォータークリーニング

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「自分の感情を疑うこと」6/13(日)

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自分の感情の公平性を疑うことも大切①」6/13(日)

快感であるとか、

不快であるとか、

そういう感情を捨て去り、

軽やかに清らかに生きる人。

何事にも執着せずに、

コノ世のどんな刺激にも負けなかった凄い人。

そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。

(原始仏典 ダンマパダ26章-418)

人間は、自分の幸福感とか、それが嫌だとか、

あの人が嫌い・好き、などという自分の感情を

疑ったほうが良いと感じます。

* それは本当に正しいのか?

* 公平なことなのか?

を冷静に見る必要があると思います。

間違った感受性は、

自分の運命を大きく変える可能性があります。

本当は凄い幸運が目の前に在るのに、

自分の間違った感受性がそれを捨てているかも知れません。

例では、今は凄く幸福な生活をしている夫婦でも、

初めて会った時のお互いの印象は、

「なんだ、この人は。変な人かも知れない」

と思った夫婦もいるものです。

そのまま拒否をして終わって行くカップルが大半かも知れません。

でも、親の意見も聞いて会って行く内に、

「あれ?意外にも悪い人では無いかも」

と変化し、その後に色々な相性が最高であることを確認し、

幸せな結婚生活をしている夫婦もいます。

最初に出会った時の自分の感情を思い出しては、

「ああ、あの時に拒否をしなくて本当に良かった」

と、今の幸福な生活の中で冷や汗をかく人もいるでしょう。

そうなりますと、最初の出会い時に自分が思った、

「なんだ、この人は。変な人かも知れない」

という感情は、いったい何だったのか?ということなのです。

ここで釈尊は、

「快感であるとか、不快であるとか、そういう感情を捨て去ること。

そういう自分の感情自体に疑問を持ちなさい」

ということを示されています

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朝の体重 62.6㎏ 血圧118-64  脈拍65

中田廸子13回忌並びに中田家先祖追悼法要

そして縁ある同朋同行の先祖追悼法要

6月13日(日)朝6:00~7:00

於、NC仏間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連続して途切れなく

 世間一般では、亡き方に対して「供養」という言葉をよく使います。

これは、ご先祖のたましいをなぐさめることのように使われていますが、

仏教本来の意味ではありません。

 

 供養とは「供(そな)え養(やしな)う」と書きます。

「供給資養(くきゅうしよう)」の意味だそうです。

仏さまに対して、お敬いのこころで、お香やお花、お灯明(とうみょう)、

飲食物などをささげることをいいます。

つまり、亡き方がなぐさめてほしい、物を供えてほしいと願われているのではなく、

残された私たちが仏さまを敬い、仏さまとなられた亡き方を偲んで、

こころからお供えさせていただくのが「供養」なのです。

 

 しかも、「供えている」側であるはずのこの私が、

実はお供えすることを通して、仏さまをお敬いするこころを

「養われ」ているのです。

 

 この私が、亡くなられた方をなぐさめるのではなく、亡き方の生前のご恩

、これからのお導きに対して感謝し、お敬いのこころで供養させていただくのです。

 それだけではありません。

 ご本尊に礼拝(らいはい)し、み教えが説かれた聖典を拝読し、

仏さまとなられた亡き方を偲び「ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・」と

お敬いのこころでお讃(たた)えすることも、大切な「供養」なのです。

 

 親鸞聖人は、主著である『教行信証』の一番最後のところに、

「前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を導き、

後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ、連続無窮(むぐう)にして、

願はくは休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す。無辺(むへん)の

生死海(しょうじかい)を尽(つく)さんがためのゆゑなり」

(同474ページ)とお示しになりました。

 

 前に生まれたものは、後のものをお念仏の道へと導き、

後から生まれたものは、前に生まれた方にみ教えを尋ねていき、

連続して途切れないようにしましょう。

 なぜならば、数限りない迷いの人々が一人残らず救われるためです、

と親鸞聖人はおっしゃっています。

 美しい緑の木々を眺めるたび、聖人のお言葉が心にしみる今日この頃です。

                  (本願寺新報 2012年06月01日号掲載)より転載

 

男の人たちは仏具磨に精を出し、女の人たちは今日の法要の

ために、それぞれが一品を持ち寄ってくれました。

法要が終わったら仏さまにお供えしたその一品をみんなでいただき

ました。

興英くんが京都から京菓子を送ってくれ、

スタッフの伊藤さんの娘さんの美紀ちゃんがクッキーを作って

お供えしてくれました。

「私どもの生活は 恩をうくる生活であると共に恩に報ゆる生活

 である」暁烏敏

人それぞれに、この世に生を受けてから、随分と他人や家族から

恩を受けてきました。

その事実に気づいていくと、「私が生きる」というようように「我」

を中心にその自分の都合を生きようとするのではなく、私の「いのち」

のありったけを生かされて生きることが、恩に報いる生き方であった

と、変化していくのです。これが仏縁なのです。

 

たた゛、気づきがあってもそれが仏縁になるかならないかの分かれ目は

その人が生涯を通して、仏道に会い、仏法を求め、仏法を喜んで実践して

いけるかどうかによって決まります。

 

仏道という尊い歓喜の世界を生きたいですね。

 

明和君、竹の子ありがとう。味噌汁に入れていただきます。

 

伸ちゃんありがとう。バナナざんまいです。

 

阪急メンズ東京フロント研修

 

 

今日は20日(日)にオープンする阪急メンズ東京ウォータークリーニング

フロント研修の日です。阪急スタッフ5名。NC研修生スタッフ2名が

しっかり実践的な現場研修を行っています。

 

一人でも多くのお客様に

「ウォータークリーニング」の復元技術を通して、

「思い出の時が甦り」、「心の豊かさ」や「気持ち良さ」を体感して欲しい。

そんな熱い思いで、みんな一生懸命研修に取り組んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

私の写真をカウンターの後ろに「魔除け」?(笑)として貼る

そうです。

うちのスタッフたちはみんな「そりゃあ、そうでしょう(笑)」と、

とっても納得してました。

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