「心・言葉・行為」
(独自の訳)
この世の物事は、自分の心を核として、
自分の心を主人として、自分の心によって創り出されています。
もしも、裏のある心をもって、
他人に話をしたり何かの行為をしたならば、
それから生まれる因果は必ず自分に憑いてきます。
それはまるで荷車を引く牛の足跡に、
必ず車輪の跡が付いて来るようにです。
離れることが決してありません。
もしも、良心のある誠意のある心をもって、
他人に話したり何かの行為をしたならば、
心の幸福はその人に付いていきます。
まるで人の影が、
その人の身体から離れないようにです。
「原始仏典『ダンマパダ』第一章・一・ニ一番」
「感想」
この項の重要なキーワードは、
「善と悪の心」「話す事=言葉」「行為」、この三つです。
つまり、この世の人間社会は、この三点ですべてが創造
されているのです。
私たちは、あまりにもいろいろな光景を見ていますから、
何が重要であるのか、何が人の運命を分ける原因かが
ぼやけてわかりにくくなっています。
しかし釈尊は、「心・言葉・行為」がすべてを建て分けて
いると看破しています。
この世は平等ではないと非難する人が多いいですが、
釈尊は、
「いやいや、自分の心・言葉・行為が公平に完全に反射
しているだけですよ。だから、あなたもこの三点を正せば、
自分の足跡が必ず付いて来るように正しくなれますよ」
と言っています。なんと単純な原理でしょう。
でも、本当の真理とは、それが当たり前すぎて逆に見えな
くなっていねものなのです。
では、「なるほどね」と人はこの三点が守れるのでしょうか?
それがとても難しいのです。ここで邪魔するのは、
「つまらない」「面白くない」「刺激がない」という人の
(サガ)性なのです。金銭にしても、恋愛にしても、仕事
にしても、このサガが運命を決めている三点を破壊します。
サガ〔性〕とは、人間の嫌な欲や執着のことです。
これを否定したところで、あるものはあるのです。
これを鎮めるには、自分の欲や執着を静観することが大事です。
では、どうすればいいのでしょう?
- 金銭にしても、恋愛にしても、仕事にして、自分の良心に
恥じない「心・言葉・行為」の範囲で楽しむことです。
- また、自分の「引き際」「やめどころ」「やめ方」を意識して
いることです。潔さはその人の徳となります。
釈尊のすべての教えは、「執着しないこと」をいろんな
例え話で話していただけなのです。
今日も、自分が執着しない心の軽い生活を意識しましょう。
そして楽しみましょう。そして何事に対しても思いやり
ある行動を心掛けましょう。
その方が、社会での自分の成果と結果は良くなるのです。
柔訳「釈迦の言葉」第一巻 谷川太一より抜粋転載
●危機管理として「最悪の状態をシュミレーション」して、
様々な見直しを行っています。
光熱費、人件費の見直しもその一つですが、これから2月、
3月、4月(コロナ禍状態。コロナ禍は6月一杯続く)の
「危機管理期間」は、まさにNCの「緊急事態宣言」を発
動し、その間は「行動が主役の会」のメンバー10名が手弁
当の半ボラで会社を支え運営していきます。
「300(スリーハンドレッド)」という映画がありました。
ギリシャのスパルタ軍わずか300名がペルシャ帝国の軍団
100万が侵略進行してきた時、勇猛に知恵を使って迎え撃
ちました。
私たちはそんなカッコよくはありませんが、「行動が主役
の会」として、それぐらいの気概をもって凛として「危機」
に立ち向かっていくことを苦にしません。
この志ある「核」の部分がNCの中に熱く存在する限り、
またその核を支えていくれる多くの人たちがいる限りNC
は何があっても大丈夫です。