「耳が痛い話」
(独自の訳)
この世は努力なしで常に最善なると思い込み、
自分が見るものを選択せずに、
食事の節制もせずに食べ放題であり、
仕事もしない人は、
必ず悪魔に打ち負かされます。
まるで、
根を張らない木々が風により自然と倒れるように
です。
この世は努力なしでは常に悪くなると思い、
自分が見るものを選択し、
食事の節制を行い、
仕事に励む人は、
必ず悪魔に打ち勝ちます。
まるで、
岩山が風に揺れないようにです。
【原始仏典「ダンマパダ」第一章=七・八番】
(感想)
「未来は決まっている」「あるがままに従う」
「自分の自由が最善」・・という精神世界の
お話しにありがちな間違いを、釈尊は毅然と指摘
しています。
釈尊が生きていた約二千五百年前も、
サン二ャ―シ(偏った修行者や出家者・世捨て人・
祈祷師・新興宗教の教祖)という連中が沢山いて、
真理の名のもとに一般人たちを食い物にしていた
のです。現代でもまったく同じです。
釈尊はこのような悪徳なサンニャーシたちに殺され掛け
ながら、生き延びて真理を悟った稀有な御方だったのです。
その時に、騙された人々を目覚めさせるためのお言葉が、
この項だと言えます。
ただ、このような文章を読みますと、堅苦しく思われるかも
知れませんが、やはり自業自得(自分の行いの報いを
自分が受ける事)が真理です。
そして悪魔とは、自浄作用のための悪いバクテリアとも
言えそうです。悪い人を掃除していくために、「ええ仕事
しまっせ~」と似たモノ同士のところに悪魔は現れている
だけなのです。
このことを私たちはわかりませんので、悪いモノからは
逃げる・避けることばかりを考えるものです。
でも真実は、自分が変わればよいだけなのです。
変われは悪魔は自然と目の前からいなくなります。
そのためには、「自分自身の努力と自己節制を信じなさい」と、
釈尊が太鼓判を押しています。釈尊ご自身が超努力家だった
のです。
もう努力なんて嫌だ!と
人間ならば誰でも思うこともあります。
でも、それはこの世だけの期間限定のことなのです
この世だけが努力してその結果を体験できる世界なのです。
この期間限定の人生だからこそ、不自由を体験し、
様々な課題や困難を克服し、どこまで自分ができるかを
試してみたい、とにかく刺激を受けて成長したい。と、
人間はこの世に生まれてきていると感じます。
苦しい中でも前向きに生きる人を、
私は本当に美しく感じます。
今日も自分なりに、与えられた仕事を通し
小さくても光り輝く生き方をしていきたいものです。
柔訳「釈尊の言葉」第1巻 谷川太一より抜粋転載
●第二波のコロナ禍。案の定、第一波の昨年の比ではなく
1月になって入荷が激減しています。
政府はテレワーク奨励70%ですからパンツもシャツも、
当然スーツもクリーニングに出るわけはありません。また、
日常生活衣類は自宅洗濯かコインランドリーで十分です。
幸い私たちの会社は高額な特殊品の復元作業や、他ではできない
高級品をお預かりしているので、まだ品物は出ていた方でしたが、
ここに来てガクッと、本当にガクッと入荷点数が減ってきました。
これで大地震や津波が来れば・・。さてさて、最悪の事態を想定
して本格的に先手先手で猛スピードで動き出す時期が来た感じです。
私は、こういった逆境にはとても強い。というか、この方がアドレ
ナリンが出て困難に向っていく方なので、「よしっ!」キリッと
気合が入ります。
未来は白紙、個々、今出来ることを自覚して未来を創造していき
ましょう!