自分自身の欠点というかコンプレックスの部分ほど、その欠点やコンプレックスに関係する外部刺激に人はすぐ反応します。
例えば、人の悪口を言うのが好きな人ほど、逆に自分が言われるとすぐ反応します。反応するということは、その刺激に本当は負けているのです。半沢直樹のドラマ的に言うと「おまえの~負けぇぇぇ!!」です。悪口を言う人の弱点は、自分が悪口を言われることを忘れていることです。
自分に自信がある人は悪口を言われても、「まあ、そういうとこもあるかも」で終わります。後々そのことで悩んだり落ち込んだりもしないでしょう。
つまり、自分が悩む問題、反応してしまう外部刺激とは、自分が克服するべき弱点なのです。今の自分の本心が、本人が成長するために課題に「選択している」のです。その課題を昇華して次に進むのを待っているのです。
だから前の課題をクリアして次の課題に移行した時、昔の自分が反応していた課題を振り返ると、「あれ?」と思えます。
仏さまは、このせっかく用意された限定時間の人生の中で、できるだけ本人の「いのち」が成長し、その人の自我(自己中の思い)が昇華することを願いながら静観されています。仏さまは、個人の悩みや願望には干渉しません。ただただ昇華して課題から解放されて自由自在になって行くことを心より願っておられます。
逆に、魔物ほど個人の欲望に加担します。加担するということは交換条件があるということです。トータルで清算した場合、これは実は大きな大損を受けることになります。
この世は、済んだ過去も、今の状況も、同時に並行して存在しています。
だから嫌な過去を思い出せば、「もう大丈夫」と、その時の自分自身に言い聞かせ、今の苦しい自分には「これも課題を昇華しているからなんだ」と言い聞かせましょう。本当にそうなのです。
すべては安心に向って進行しているのが大宇宙の法則、縁起の法則です。「いいやそうじゃない。自分は不幸だ。」と、これに逆らうと、とても苦しく辛くなります。
よく、私の祖父が「この世は昼、あの世は夜。この昼と夜で一つ。決してこの世の昼の世界だけでは終わらない。自身の因果は夜の世界に持ち越される。この世の昼の世界だけでは終わると思ったら大間違いだ」と言ってましたが、そう考えると、この世の悩みこそが、自分の弱点、課題を軌道修正して自分の悪い業から解放されて助けようとしているのではないかと、思えてきます。
だから、本当の事が分かれば分かるほど、弱点、課題、ウエルカム!それがあるから成長して行くことができる、ということなのです。
私もコンプレックスの強い人間ですから随分悩んだり腹を立てたりしましたが、本当の事が分かれば分かるほど、無知であった自分の愚かさに気づき、自身の弱点、課題に感謝できるようになっていきました。
そうなっていくと、人対自分ではなく、常に自分の自我と自分の良心との関係がより深くなっていったように思います。するともう居直れなくなって、次に向かって素直に反省改善していくようになっていきました。「ああ、人はこうやって救われて行くんだ。心が解放されて自由になっていくのだ」と腑に落ちていきました。
まあ、自我と良心を日々いったりきたりではありますが、過去の自分と比べると、その自我と良心の位置の比率が随分と変わったようです。このままお浄土の世界へ向かって、ジクザグしながらも向かわせてもらえれば・・とっても仕合せです。
●新城君へ
その人には乗り越えられない課題は来ない。未来の自分からいつも「お==い。大丈夫だぞぉ。なんとかなるからあ==」と言ってる声が届いているよ。