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「良心に沿って生きる」12/24(木)

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「良心に沿って生きる」

 

 

お釈迦様が「悟」りを開いたとされる日を記念して、

「浄土会」の法要が、毎年12月8日になると各地で行われます。

 

 

私の広島のお寺の「長松寺」も、

宗祖親鸞聖人のご命日の法要として「報恩講法要」を

この12月8日にお勤めしています。

 

 

「悟り」を開いた・・、

こう私たちが聞きますと、

「何か意識が突然変化した日」とか、

「見えない世界が見えた日」などと想像しますが、

実際はそうではなくて、深い決意をされた日

ということです。

 

 

お釈迦様は、動物のサイのように脇目も振らず、

ただ真っ直ぐに自分の「良心」の感じるままを信じて

進んで行こうと深く深く決意された日だということです。

 

 

ではこの「良心」とは何でしょうか?

 

 

それは他人に「これをしてあげれば、あの人のためになるなぁ」

と、「これをしたら困るだろうなぁ」と他人のことを気遣う、

誰にでも生まれながらに授かっている「思いやり」のことです。

 

 

どんな非道な犯罪者にも普通の人と共通な「良心」があります。

ただ、「良心」に従わないだけです。

 

 

「思いやり」とは、根源的存在が人間に与えたものです。

 

 

お釈迦様にとっての他人への「思いやり」は、

人間の心の苦しみを滅する方法を人々に伝えていこうと決意

したことです。

 

 

それが本当の意味で、人々のためになると思われました。

そのためには自分の持つモノはすべて捨てていき、

身も心も他人に捧げていこうと深く決意されました。

 

 

お釈迦様は人間の心が苦しむ原因は、

執着することだと言われました。

何かに執着すれば、

それを失った時に苦しむ。

 

 

では、

何かに執着して苦しまないためには、

どうすればいいのか?

 

 

執着しそうなモノを持つ間は

そのモノをご縁として感謝しながら共に楽しみ、

いつでも他人に与えられ気持ちでいることだと

伝えられました。

 

 

他に頼らずに自分の「良心」を頼りに生きていますと、

不思議な事に物事の隠れた面を感じ出します。

 

 

ある意味、物事の本質が何となくわかり始めます。

 

 

 

自己中心的なミクロの視点ではなく

自分の心の中に、マクロ的な大きな視点が

芽生え始め執着が薄らいでいくのです。

 

 

ただ、人間は自分の「良心」に従って

「生きていこう」と決意しても、

「良心」に沿った実際の行動が

なかなか出来ないものなのです。

 

 

たとえそれで挫折しても、

その都度、

何度も何度も決意をし直していけば良いのです。

 

 

 

とにかく、

私は自分の「自我」にコントロールされるのではなく、

「良心」に従って人に対して

「思いやり」「優しさ」「親切」な生き方をするぞ!!と、

「良心」に沿った行動を目指して歩いていくと、

その歩いた道の軌跡は、ジグザクで細かい修正がありながらも、

サイが歩いたように真っすぐな道になっていくのです。

 

 

 

 

 

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