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「心の成長って?」6/22(月)

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今日ある状況を客観的に見ていて
「なんでこんなに不快な気持ちになるのだろう。
本人は頑張ってるつもりなんだけど、なんで?」

そのことを通して
心の成長って何?と深く考えてみました。

まずこの世は、
「自ら意識しないことには」、
焦点が他所に逃げてしまう世界であるということです。

意識するも、しないのも自由。
心が成長するのも、しないのも自由。
しかし、自由にはリスク、とても厳しさがあります。

心の成長と書きましたが、
実はこれは本当は正しくないのです。

表面的な意識の奥にある良心は、
完全に善悪の判断が出来る存在です。

だから心の成長とは、
どんな状況にいても良心を思い出すこと、
思い出して生きようと意識していること、
そこへどれだけ目が覚めるのか、
覚めているのか?
と表現するのが正しいです。

つまり、
仕事でも、
仕事と仲間や上司やお客さんとでも、
家族や縁者とでも、
どれだけ良心の目が目覚めた状態で
コミニュケーションを取りながら
生きているのか?

いろんな
喜怒哀楽の体験を繰り返しながら、
人間はこのゲームを日々行っている最中です。

いや、
このゲームを何百回生まれてでも
試してきたのです。

ああ、そうかあ・・・。

なんで
私はとても強い不快感を持ったのか?

それは学びの中にあって
現場に出れば自らの個性と思い込み、身についてしまっている
自我を当たり前として生きているその姿、
良心の目を意識していない愚かなその人の姿。

ああ、それがとっても
不快だったのだぁ・・・と実感しました。

もう一度言いますよ、
その人の成長とは、
どんな状況にあっても、
どれだけ心の良心の目を意識して
そこに従って謙虚に素直に生きているのか?
だったのです。

その
根本にある生き方とは、
「多くの愚者を友とするより
一人の智慧者を友とせよ」という
お釈迦様の言葉の中にある真実でした。

6月21日という日食を区切りに
今までは「まぁいいか」の曖昧な点が
大きく変わったのだと思います。

過去よかったことがもう通用しない。
どれだけ良心の目を意識して
生きているかどうか?この一つだけ。

この一点によって、
すべてがありのまま見えてくる、
どれだけその人が頑張ってると思っていても
何を当て頼りにして生きているのか?
それは自分の個性と思い込んでいる自我か?
それともその自我を超えたところで自分を正しい
方向に導こうとしている良心か?

そのどちらかの意識や選択によって
真(魔)逆にすべては運ばれて行く。
ということなのだと改めて自覚した次第です。

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今日はお寺で保育園の「宗祖親鸞聖人の降誕会」でした。
みんなよく礼拝できたようです。

だから「悔い改めなさい」なのか。

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