2008年12月の日記

12月30日「壁を超えられない原因は、今までの経験や成功体験だった」 (2008.12.30[Tue])

  「壁」を超えるという話をしています。壁とは無意識のうちに繰り返し行ってしまう方法や思考や行動パターンです。壁を超えようとして私達は目標を持ちます。だけど目標は過去の延長線で結果は見えてます。結果が見えているということは「壁」は超えられません。だけどまた無意識に同じ行動や思考を繰り返していきます。仏教ではそれを無明とも無知とも言います。その原因は何かというと、あまりにも過去の経験や成功体験が強いので同じ事を繰り返していってしまうのです。結局は何をやっても過去の延長で直線的なのです。
  さて、私はカヌーのオールを手放し、運命の流れのタイヤに乗っていきなさいといいました。運命の流れとはグッとくるような縁の流れです。でも、多くの人はカヌーのオールを手放さず、相変わらず荒波に飲まれて沈没していきます。自意識の強さ、過去からのしがらみや観念の強さ、それによって自業自得で沈没していきます。そうじゃなかったら、今頃あなたは何をやってもスムーズに物事は流れているはずです。もはや成功しているはずです。
  はっきり言います。「壁」を超えられない原因は、今までの経験や成功体験に他ならない。
  ということは、つまり、今までの経験や成功体験なんてとっとと捨ててしまえば、「壁」は消えるということです。
  だから「今までの自分を捨てる」のです。
  あなたの潜在意識は、「壁」というメッセージを通して、ゼロに戻るということを促しています。『何もなかったとき、これから何かを創造していこうとする、あのワクワクを、好奇心を取り戻せ。初心に帰れ』と言っているのです。
  壁、うまくいかないことは、潜在意識からの、あなたへのメッセージです。
  今までの自分のやり方や考え方にしがみつくのをやめて、まだ何も知らなかった自分に戻れと言っているのです。なんでもあり。なんでもオッケー、全方向的に自由自在に動ける腰の軽さ、縁を大切にして謙虚に学び行動していった自分のあの姿を思い出せ、と言ってるのです。
  つまり「再び初恋をしろ」と、あなたの潜在意識は言っているのです。
  仕事にしても、家庭にしても、人生にしても、その当初の一生懸命だった気持、そして、不安やとまどいの感情すらも思い出すのです。ほんのちょっとしたことができるようになった、あの純粋な喜び、ワクワクを思い出せと「壁」は言っているのです。「壁」は潜在意識からあなたへのメッセージなのです。
  人を見ていたら、過去の行動パターンにその人がつかまってうまくいかなくなる、その仕事の未来などが手に取るように分かります。直線的だから分かりやすい。逆に、流れに乗っていってワクワク楽しむと、その人や、その会社がどう成功できるのかも手に取るように分かります。
  いろんな人が相談にきます。私はパッパッと直感閃きで喜びの成功のヒントやアドバイスを与えていきます。正直言ってある意味、「ほぼそれって回答じゃん」と言ってもいい。でも、おおよその人は新たなものを生み出そうとしても「壁」を超えられず沈没していきます。それは、今までの自分のやり方や考え方にかたくなにしがみついているからです。過去の延長線で生きる人たちを横目で見ながら「はっきり言って、ワクワクもなく、そんなやり方や考え方では失敗するのに決まってるじゃん。」心ではそうつぶやいてます。それが実は潜在意識からの『壁』というメッセージなのです。また逆に「壁」とは、新しい自分に生まれ変われる準備が、あなたにはもうできているのだというメッセージなのです。
  だから運命の流れに身を任せない限り、壁は超えられないんだって。わかるかなあ~。わんないだろうなあ〜。でも、わかってほしいよなあ〜。
  というような一年でしたが、おかげさまで私は大変充実した変化の一年を送ることができました。しかし一年があっと間で、はやいものですよねえ〜。来年はまたどんな変化、生まれ変わりができるのか、とてもワクワクしています。それではよいお年を。来年は一月四日、私の誕生日からのスタートです。

12月29日「潜在意識からのメッセージ、今の自分を捨てろ」 (2008.12.29[Mon])

  よく自分の目の前に「壁」が立ちはだかると言いますよね。例えば、病気にしても、事業が不調にしても、事故にしても、クレームにしても、社内の問題にしても、人間関係のトラブルにしても、何ら一見ネガティブやヤバイや「なんでえ〜」と思えることは、全て「今の自分を捨てなさい。新しい自分から始めなさい」といった潜在意識からの重要なメッセージなのです。
  ところが、こんな話を聞いて「今までの自分を捨てなさいというメッセージがきてるんだ」と思ってみても、現実には、これは口で言うほど簡単なことではありません。「どうすればいいんだ」と迷います。簡単でないのには、一つの理由があります。
  「悪人とは、居場所、環境を間違えた善人だ」と誰かが言っていました。例えば、手のつけられない不良がボクシングの選手になったことで、人格的にも生まれ変わってしまったような、そんなエピソードは世間にも多々あります。また、会社の規則などまったく守らない問題社員も、自分で起業したら物凄く成功して人間的にも丸くなったとか、どんな悪人も、居場所、環境を変えたら善人になってしまう場合もあるわけです。逆を言えば、どんな善人も、居場所、環境を変えたら悪人になりえるということです。
  だとすれば、「あるシチュエーションで効果的なアクションや考え方も、別の状況ではまったく無駄な行動になりうる」ってことなのです。これは壁に直面する前にどんな効果的だった方法や思考も、壁と直面してからはまったく通用しなくなるばかりか、むしろ足枷になることが多いということなのです。だけどそんなことはさらさら分からないので、意地になって同じことを繰り返し、結局はドつぼにはまります。
  たとえば、うちの総合受付はよくポカミスをします。考えてみれば、その度に、何度も何度も彼女たちに同じ事を言い聞かせます。これが私にとっての「壁」です。そしてまたやる。そうすると冷静さを失って、「おまえたち何度言ったらわかるんだ!」と効果がないアプローチをひたすら繰り返して、また言ってしまっているのです。
  だから「自分を捨てなくてはならない」。
  効果の無いと分かっているはずの今までの指示命令、対応や問題解決をただ繰り返すだけの間違いにはまってしまう。全く効果がないのにです。これが壁にぶつかった人の陥る典型的なパターンなのです。
  とにかく「今の自分を捨てろ」と言われても、なかなかそれができない理由です。いつでも、自分の壁を超えられない人は、実は、こんなシンプルな罠にはまっているだけ、ただそれだけなのです。仏教的に言ったらまったく智慧がないのです。ただ闇雲にぶつかっていくことを繰り返したところで、同じ思考や方法の「壁」を超えることはできない。それが、「壁」の特徴であるってことを、しっかり知って覚えておいて下さい。
  こういった例は分かりやすいと思いますが、現実的にはもっと複雑なので、効果の無いアプローチを自分が繰り返しているなんて、さっぱり分かっていないのです。
  だからこそ、「今までのあなたを捨てなければならない」のです。それこそが、「壁」が、潜在意識があなたに何度もある出来事を通して伝えているメッセージなのです。

12月28日「もう一つの心」 (2008.12.28[Sun])

  いい話を聞いて、「素直になろう」と思っているのに、なぜか意地悪な行動を取ってしまったり、「仕事を楽しもう」と思っても、何かやる気が起こってこなかったりしたことってありませんか?
  頭で考えている部分の心のさらに深い部分に、隠された「もう一つの心」があります。それを心理学的に潜在意識と言います。いつも何かを考えている表面意識ともう一人の心の潜在意識は、ちょうど車の両輪みたいなもんで、どちらか片方だけでは進んでいきません。この表面意識と潜在意識は、男と女,昼と夜、プラスとマイナスのように相反しています。相反するものがバランスを取りながら機能しているのが表面意識と潜在意識の関係なのです。
  ここで私が言いたいことは、意識の世界で嫌なことやどうにもならないと思うこと、つまり壁にぶち当たっているとき、潜在意識の世界ではもはやその壁を超えよう動き出してるってことなんです。それが分かっていれば、だから目の前に何が来てもクリアできない問題、壁って絶対に乗り越えられるってことが分かってきます。妙な自信がある人は、潜在意識の十人の心のプラスのウエイトが物凄く強いのです。こういう人は凄入願望実現の力を持っています。正直言って、私もその手の人です。
  それはそれとして、逆に表面意識の世界で物事がうまく進んでいるときには、潜在意識の世界では表面意識の傲慢さや感謝や謙虚の無さなどと潜在意識の多くのもう一人の自分の心が「こいつものすごく傲慢や」って闘っているとも言えます。そして時間の経過と共に、その潜在意識の「こいつ」という心が勝って無意識に不幸を引寄せていきます。
  この潜在意識の心の世界には十人くらいのいろんな母性的で保身的なあなたの心があると思って下さい。一言で言えば恐れや不安の人たちです。
  で、表面意識で思ってることを潜在意識の中の一人だけ納得したとしてもそうはいきません。他の九人の恐れ不安の人たちが納得しなければその一人の足を引っ張るからです。これを全体性のルールと言います。表面意識で思うことを潜在意識の十人が「なるほどお」と安心して納得了承すれば、本当に物事はすぐに流れて何でも現実化されていきます。これは良くも悪いくもです。潜在意識は不安や恐れが強いと言いました。だから悪い方向は急速に現実化されていきますので、つまらないことを思わないように気をつけましょう。
  ただプラスの事に関しては、潜在意識は「そんなうまくいくわけないじゃん」と反発しますので、表面意識の自分の願いをちょっと気ながに待ちながら「こうなったら楽しいよ」と何度も潜在意識に語りかけていけば、時期が来ればこの十人の心が「そうかもしれない」と一つになったらそのプラスの願いは現実化されていきます。この焦らず楽しく「待つ」ということが実に大切です。その間に楽しめば楽しむほど十人が次々と納得していきます。
  ここで本質的な話をします。利己的な人、自意識の強い人は、決して潜在意識の十人を味方につけることは絶対にできません。ですから喜びの成功はできません。成功しても潜在意識の反逆にあって、必ず不幸に向かいます。このあたりはクレームや事故処理をしていても思い当たる節がいっぱいあります。そのときは弁償請求してお金を全額もらえたとしても、潜在意識の反逆にあって全く別件で何らかのトラブルに巻き込まれ、物凄く嫌な思いをしたり、事故にあったり、不幸になったりする場合が多々あるのです。この真実をまったく皆さんは知りません。表面意識が「弁償は当然だ。全額弁償してもらってしめしめ」と思っていても、自分のお母さんの潜在意識が「そんなん、あんたおかいしやろ」って反発してマイナスを引寄せるのです。だからあぶく銭ほど恐ろしいものはないのです。
  ちょっと考えたら分かると思います。ビジネスの世界でも、「成功するためには、自分の金儲けだけではなく、周りの人たちを豊かにしていくことを同時に考えなくてはならない」と言われますが、これは単なる倫理観ではなく、潜在意識の流儀に即した成功法則なのです。意味分かります?仕事で成功したいと思えば、スタッフ全員の幸せを先ず考える。そうじゃないと、潜在意識の流儀に反して成功しないのです。つまり自他共に喜べることしか本当の成功はないと仏教が言ってる通りなのです。

12月27日「本当に好きな仕事とは」 (2008.12.27[Sat])

  この12月に入って、バタバタっと事故処理やクレームの対応が多くなりました。パッパッとスピード解決していく場合が大半ですが、まったくそうでない場合もあります。そういったものに関する本音は、法律番組系のテレビの影響もあるのか、「権利意識、被害者意識が強いなあ」というものばかりです。  
  私がお客さんの立場だったら相手側が誠意を持って事故処理してくれたら「ありがとう」で終わりなのですが、そうはいきません。一人ひとりの価値観が違いますし、権利意識が当たり前のように蔓延する世の中の風潮もあって様々な情報を収集するのでしょうか、そうは単純に事はおさまりません。実はクリーニングには弁償基準がありますから、相手がどう言おうが、その基準に沿って淡々と実務的に弁償処理したらいいわけです。
  又、相手が権利ばかりを主張してごねまくるようだったら、弁護士の近藤さんに出てもらって法的な対処をすればいいだけです。ビジネス的に言えばただそれで終わりなのですが、日本人なんでしょうか、情やお坊さん的気質の優しさの部分なのでしょうか、そうスッパリ自分の中で割りきれません。なんとか、相手に「被害者意識や権利意識、つまり執着から開放され、平静な良心を取り戻してほしい」という願いがあります。ただそれでもダメであったら、言葉が通じ合わない地獄の世界へ突入するわけにはいきませんから、法的プロの近藤さんの出番ということになるのですが・・・。というのも、私の意識の中にあるのが、お客さんとの関係は、「結局、人間は自分のことばっかりだよ」と他から言われても、育てあう関係、気づきあえる関係でありたいと思っているからです。
  うちのスタッフを見ていても、よかれと思ってやったことがお客さんに喜ばれなかったり、クレームになったり、怒られたりしてガッカリしていることもあります。そして自分はサービス業に向いていないのではないかと、自問自答しています。ただ、そう思ったことがない人は、サービス業というか目の前の仕事には向いていません。仕事の突き詰め方が甘いからです。志が低すぎると言っていいかもしれません。
  「人を喜ばせたい」「人と接することで小さな幸せを与えたい」という志を持ってる人ほど、途中でムチャクチャ悩みます。人嫌いになります。人間に対する性善説的な期待感からそうなってしまうのです。だけど実際は性悪説的生き方の人がほとんどですからそうはいきません。でも、それでいいんです。いったん嫌いな時期を乗り越えて、もう一回好きになったときに、初めて本当にそのことが好きになるからです。
  嫌いな時期を経ていない仕事は、本当に好きなことじゃなかったのです。とにかく一生懸命な人ほど悩みます。心底悩んでいいのです。嫌いな時期を徹底的に体験すること。「お客さんのためにこだけ一生懸命やってるのに、なんで怒られるんだ」という時期に真剣に自分を見つめなおすことのできる人、自分の思い込みの強さ、期待感の強さ、自分の正しさの押し付けの強さに気づける人は、ドン底に落ちて一枚大きく自意識の皮がめくれて、その後はグッグッと伸びていきます。
  好きなことが好きなまま一直線で進む人は大成なんてできません。必ず嫌いになる。仕事も人も大嫌いになる。嫌いな時期を乗り越えて、「それでもやっぱり好きなんだよな」と思える仕事が、実はその人にとっての天職なんだって思います。

12月26日「新たなる運命のスタート」 (2008.12.26[Fri])

  この場には縁あっていろんな人が訪ねてきます。そして、その人たちの人生相談や各種アドバイスに私や社長の奥さんである法ちゃんがのります。
  法ちゃんは的確にその人の人生や宿業や縁を感じ取って、本質的な解決に向かってその人を的確にサポートしていきます。過去彼女の助言を受けて、「生まれ変わっていく」何百人の姿を目の当たりに見てきた私にとっては(私も職業柄多くの心理カウンセラーを知っていますが)、彼女はスバ抜けた本質的なカウンセラーです。それは見事で、凄い!
  さて、今日はタイ式マッサージの待合室で何故か知り合った、Mさんが訪ねてこられました。彼女は元某ディーラーの会社をご主人と共に経営されており、某ディーラーの中ではご主人が亡くなるまでは連続で全国一の売上げだったそうです。ただご主人が一年前に過労が原因で病死し、主人を失った現在は、自分は一体何のために数字ばかりの売上げを追い求めて頑張ってきたのかが、まったく分からなくなったのだそうです。そしてご本人も病気になられ、夫とやる気を失った現在は不安で夜も眠れず、病院通いが続いているのです。
  はっきり言います。「外発的動機付け」「外発的報酬」でいくら頑張って目標を達成させ続け、社会的には大成功という結果を手に入れたとしても、やがては空虚になっていくものなのです。その真実に人はなかなか気づけません。ただ、大きな大きなショック療法を受けた後は、一体自分は何が欲しかったのかがだんだん感じ取れてきます。それは流した涙の分だけ、すりガラスのような心の曇りが取れて透明になってくるからです。
  自分が本当に欲しかったものは、目標達成の売上げでも、お金でも、地位でも、名誉でも、ポジションでも、世間の評価でもこの世的な成功でもなかったということ。それは、人の心の温かさであったり、ぬくもりであったり、潤いであったり、豊かさであったり、共に笑える喜びであったり、何より心からの安心や愛という、世間から見れば取るに足らないようなささやかな幸せばかりであったのです。
  彼女は法ちゃんより、いろんな気づき目覚めを与えてもらいながら、涙ながらに過去から脱皮して新たな人生のスタートを決意していかれました。そして、彼女の希望で何らかの形でうちの仕事にたずさわっていくことになりました。また私が行っているご法話会にも参加されるのでしょう。
  彼女は儲け、売上げの超プロです。しかし今は、「外発的動機付け」「外発的報酬」に価値は見出せません。それよりもワクワクした「内発的動機付け」「内発的報酬」にやっと意識が向くようになりました。そうじゃないと、うちの会社、うちのエネルギーと彼女はつながっていけません。儲け・売上げ主義の時代を、とっくの昔に超してシフトしてきているのがこの場所だからです。
  過去の売上げ至上主義ではなく、喜び主体の仕事をやっていきたい。そして少しでも世のため人のために生きたい。主人というかけがえのない宝物を失った衝撃とショックで、やっと本当の世界に目覚めさせられていったわけです。これも彼女の運命なのでしょう。そしてそのシナリオはすべて仏様が描かれたのでしょう。彼女はそういった大ショック療法が無い限り、本当の世界には目を向くことはできなかったということなのでしょう。
  ただ今後、私たちと関わることによって、凄いスピードの流れに乗ったタイヤのように、彼女の運命も大きく変わっていくはずです。
  また一人、喜びと共に新たな運命のスタートを切れたことが、とても嬉しく感じた一日でした。

12月25日「運命に身を任せるとはご縁に身を任せるということ」 (2008.12.25[Thu])

  私はその人、その人の運命は決まっていると思っている人です。人は仏さんが描かれたシナリオ通りの運命を「慈悲」と「智慧」を学ぶために生きていると。ただ、運命は決まっていても、その人その人の受け取り方、感じ方はさまざまです。
  例えば、生死をさ迷う病気で入院する運命であったとしても、生かされている感謝に目覚めて、世のため人のために役に立ちたいと思い出す人もいれば、自分は「なんてついてないんだ」とぼやき苛立つ人もいます。同じ境遇になったとしても、ある人は感謝に気づき、ある人はぼやき苛立つ。まったく同じ境遇でもですよ。
  それがどんな境涯であろうと、ただただそれを「これでいいんだ」と自分の運命を素直に受け入れていくと、外とのつながりが見えてきます。外とのつながり、縁のつながりが見えてくるのです。これが「運命」というものです。そして運命が決まっていた事に気づくと、これが本当の幸せを呼び寄せてくれるのです。それは縁の流れに身を任せていくことができるからです。
  激流をカヌーで乗り切ろうとする人は、必ず荒波や岩場に激突して転覆し、えらい目に遇って下流に意気消沈で流されていきます。結局、カヌーは大破して不幸な状況です。しかしタイヤに体を預けて流れに身を任せていく人は、スリリングであったとしても、ジェットコースターに乗ったようにいつのまにか下流にたどり着いています。これは運命を認めてその流れに乗ると、物事はスムーズに進展していくということなのです。
  自分の運命を受け入れない人はまさしく、このカヌーで激流を下ろうとする姿とそっくりです。自分の力しか頼りにしていないので、何とか力ずくでも乗り切れると信じているのです。しかし、いつも大破して不幸になるか、ぱっとしない人生が待っています。
  私たちの人生も、コントロール可能なカヌーではなく、水の流れ(運命)に身を任せるタイヤなのです。まずこのことを認識して、運命に逆らうのを諦めることです。逆説的なようですが、運命の存在を認めた方が運命から自由になれるのです。
  もちろん、運命を認めるかどうかのあなたのシナリオも、もはや決まっているのですが。
  ただこの場には、自分の運命に身を任せている人しか集まれないってことなのです。そういう人は一方通行的生き方、直線的な生き方ではなくて、縁に身を任せて縦横無尽、自由自在に生きていくことがではます。この生き方をバタフライ的、カウス的生き方と言います。直線的な動きの未来はすぐに読めますが、蝶のような自由な動きは先が読めません。
  なんでもありで、なんでもオッケー、全く枠が無くて自由自在、だから水(運命)の流れに乗って効率的に物凄いスピードで全方向的に流れていきます。実はそうすればするほど、運命が変わっていくのです。運命は決まっていると言いました。でも運命は変わるともいいました。私は一体何が言いたいのか。一般的な運命ははっきり言って決まっています。ただとんでもない凄い縁があって、その縁というタイヤに乗って水の流れ(運命という縁)に身を任せきっていくと、カヌーのように自分で頑張って進路を変えようとしなくても、水の流れそのものが変わるのです。その水の流れそのものに乗っているタイヤの流れも変わるのです。それが運命が変わるということなのです。
  これが直線的な目標設定を辞めて、ワクワクの好奇心だけで縁の流れに乗って生きなさいという意味なのです。そうすれば水の流れが変わるたびに自分の運命も変わっていくからです。どう変わるかというと、一瞬一瞬わけがわからなくても、ムチャクチャラッキーな流れに乗ってるということです。ただその流れは予測不可能ですから、一体何が待ち受けているか分かりません。ただ言えるのは、待ち受けているのは全て「いのち」の喜びだってことなんです。
  S君、だから「何故か分からないけどまったく不安が消えて、とにかく言われたことを素直に行動することが楽しくて楽しくてしょうがない」って、自分の価値観というカヌーのオールを手放して、流されていくタイヤの流れに実は乗ってるってことなんだって。うちの連中はみんな『フォレスト・ガンプ』なんだって。
  この流れに素直に乗れる人は、本当にまれです。客観的に見ていますが、自意識と疑いや不安の強い人ほど、縁を無視して必ず転覆する方向に向かって生きてます。ただそれがその人の運命と言えば、そうなんでしょうね。

12月24日「目標より好奇心に身を任せる」 (2008.12.24[Wed])

  私は未来に対して漠然としたイメージはありますが、具体的な目標はありません。目標というのは、この世的に決められた枠の中での延長線にあるものだからです。ですからおおよそ結果は想定できます。ただ、好奇心はそうではありません。好奇心はわくわくするものですから、いろんなネットワークにアクセスしていき思いもかけぬ楽しいことや喜べることがふっておいたように起こってきます。そのためには単純で素直が一番です。
  今日は、市原市よりクリーニング店を経営するSさんご夫婦がお見えになりました。いろんなことをお話させてもらったのですが、私が伝えたかったのは一言、「売上げ減を嘆き、売上げ目標を達成しようと過去の延長線であれこれ考えて頑張ろうとするより、新しく再出発できるという好奇心やワクワクや直感閃きに身を任せた方がいいですよ」でした。
  人は誰でも目標を持っています。たとえ「私は具体的な目標など持っていません。毎日をダラダラと過ごしています」という人でも、無意識に何らかの目標を持っています。目標を持たないと人は無意識に不安になってしまうからです。
  ただよく考えてみれば、目標とは自分に与えた制限、枠のようなものです。私は過去を振り返ってみて思うことがあります。目標を持って、それなりの結果を出してきて、はたしたわくわくできたのか?本当に自分の「いのち」が楽しいと感じていたのか?いいや、です。目標を持ってそこに向かって我武者羅に頑張ることで、自分の心がワクワクしていたと思えません。幸せだったとは思えません。人がうらやむようなそれなりの結果が出ても、自分の「いのち」は生き生きしていませんでした。と同時に回りも人生もワクワクしていませんでした。実はそれは不幸なことだったのです。
  Sさんの奥さんは「子どもが小さいから頑張らないと」と言われていました。またご主人は最近まで病気で入院されていました。多分それまで、自分たちが考えた売上目標を達成させるために、いろんな手段を頑張ってこられたのかもしれません。ただ、病気になると言うことは、自分の「いのち」から「生きる方向を変えなさい」というメッセージなのです。
  また小さなお子さんがいらっしゃるからなおさら、ご夫婦が好奇心一杯にワクワクと新しいスタートに取り組む後姿を見せることが必要ですね。
  目標とは現実の延長線での上のレールです。レールは確かに目標に向かっています。でもそこから外れて、とんでもなくワープすることはできません。好奇心やワクワクする心は、レールから外れる行為でもあります。
  少なくとも売上げ減少という不安な現実から開放されていくためには、今の延長線のレールから外れなくては未来は開きません。それは自分を制限している目標や枠や恐れや不安を取り去り、好奇心とワクワクに身を委ね、今を楽しむ方向に身を委ねていくことなのです。深刻は、深刻な人を引寄せます。楽しむ心は、楽しみたい人を引寄せていきます。好奇心のワクワクは楽しみたい人やお客さんを引寄せてくれるのです。
  「お客さんは本当は何を望んでいるか?」を真剣に問うてみること。それが見えてくれば、お客さんの望みをかなえるために具体的にやることが見えてきます。
  「私たちは売上げを上げるためにこうしたい」の「私たちは」を、まず取り去ること。それよりも「お客さんは何を望んでるのか」を優先させること。徹底的にそこにフォーカスしていくこと。そして勇気を出して行動を加速させていくこと。その行動のスピード次第で、必ず運命は楽しいネットワークを使って後押ししてくれるって思いますよ。私は体験的にそれが分かります。

12月23日「人間としてのベーシックなところから伝え続ける」 (2008.12.23[Tue])

  広島に帰って、久々に保育園の副園長の嫁さんやお寺の副住職の淳くんと、保育園やお寺のことをなど夜遅くまでいろんな話をしました。それらの話の中で私なりに感じたのが、世の中は、組織は、人は、あきらかに二極化の方向に向かってはっきり分かれてきているということです。
  二極化とは、「慈悲」か「エゴ」か、「思いやり」か「自己中心的や都合主義」か、「心」か「物・金・権力」か、「他力」か「自力(自我力)」か、「自然」か「人間主体」、「信心を頂く(仏に運命を任せる)」か「信心する(神仏とギブ&テイク関係でジタバタ生きる)」か、「自立して自利利他で生きるか」か「既存の価値観のセクト主義で守りに入る」かです。これが組織にしても人にしても、この輪郭がはっきりしてきていると感じました。
  ありがたいかな、NCという場は、仏教でいう慈悲と智慧を学ぶ場だとはっきりしています。二極化でも、【慈悲】【智慧】が中心なのでドロドロしたものはまったくありません。また、そういう組織ともお付き合いがありませんので、とても楽です。だから世間の「エゴ中心」の組織や人の在り方や生き方を聞くと、正直言って、あらためてびっくりするのです。
  で、思います。やっぱり、世間は今一度「思いやりの心」に立ち戻ることが急務じゃないかと。この思いやりの心のことを仏教では「慈悲」というし、キリスト教では「愛」というし、儒教では「恕」ともいいます。このもっとも大切な心を世間も、幅広く言えば人類も失いつつある、そう強く感じます。だからもう一度、この一番大切な「思いやりの心」の軸を甦らせる必要があると思うのです。
  そのためには、いいかな、うちの保育園の先生たち、よく聞いててね。大人にも子どもにも、人間の心の中核には、他に良かれと願う思いやりに満ちた美しい心と、自分がよければいいという悪い心が同居していますよね。この善悪二つの心が同居する心の中をいつも、仏様のお心に遇うことによって(手を合わせたり、保育生活の中で)手入れして、欲や自己中心的な悪しき心を少しでも抑えるようにする。そうすれば、美しい善き心が出てきて、とても楽しく、気持ちよく生きられるって子どもたちに教えていくことなのです。
  この美しい心とは、単純に言えば、できる喜び、チャレンジした感動、みんなと共に、わくわくのやる気、本気で一生懸命、正直に何でも言える、ありがとうの感謝、正直に言える、はいという素直さ、ごめんなさいの謙虚さ、どうぞという思いやり、やりぬく根気、おはようございますの挨拶、自分のことは自分でできる整理整頓、先生や目上の人を敬う心といった、昔から子どもの頃に両親や先生から教わったプリミティブな道徳心です。
  これら人間として持つべく基本的な特性を、家庭や保育園や学校で、子どもたちにちゃんと自らが喜んで実践している姿を通して教えていく。ここがキモ。自らがそこを生きてなきゃ何も伝わらないからね。とにかく現在大きく乱れている社会を立て直していく上で、このような人間としてのもっともベーシックなところから始めていくことが、とても重要だと思ってます。これは子どもの世界だけではなく、大人の世界もね。

12月22日「お説教」 (2008.12.22[Mon])

  土曜日に久々に広島へ帰って家族と団欒し、日曜日は他のお寺の『報恩講法要』のお説教に行ってまいりました。
  このお寺の住職は、実は歌手なのです。NHKの「みんなの歌」でチベットの歌「折鶴」を歌った人なのですが、一言で言うとオキャンです。だけど歌はメチャメチャうまい。お父さんである前住職が病気の為、長女である彼女が後を継いだけですね。サポートはお母さん。よくやっておられます、お二人で。
  そこでお話したのは当然仏様のお話。
  私が一貫して皆さんに伝えている事は、本当の意味で成功をしたいなら、『宇宙の法則』に沿った生き方をしないとうまくいかないよってことなのです。この世には絶対的な存在があります。私はこの存在を仏様と呼んでます。この仏様という呼び方はたまたま私がお寺に生まれたからそう呼んでます。『宇宙の法則』は仏様が作ったルールなので、このルールに従がって行動すれば誰でも幸せになれるし、愛で満たされるし、本当の成功ができるということを伝え続けているわけです。
  逆に、仏様がつくったこの『宇宙の法則』からはみ出した行動をすると、不幸がやってきますよということもです。これはわかりやすく言えばですよ。
  天変地異や戦争などは、仏様が天罰でやっているわけではなく、後先を考えない人間の犯した愚かな過ちです。資本主義の崩壊だってそうです。
  仏様が私たち人間に与えてくれるものは、水や空気、緑の大地、見返りを求めない天地一切の恵みです。これらの全てを動かしているはたらきそのもの、法則そのものを仏様と呼んでるわけで、決して守護霊?のようなものを私は仏様と呼んでるのではありません。そこのところは、誤解しないで下さいね。つまり、人間は、仏様の法則の中に生かされているわけですから、その絶対的なルールに従って自分のいのちが楽しく生きないと、運が向くことも、ツクこともありませんよってことなんです。
  そんなことを伝えている私自身は決して人格者でも、賢者でもありません。広島弁丸出しでしゃべるただのぼんさんです。ただ、このぼんさんの人生をツク方向に、心軽くて自由な広い世界を生きれるように導いてくれたのは仏さんの教え、宇宙の法則です。で、宇宙の法則を意識して生きてると困ったことがなくなります。いや、何があっても困ったと思えなくなってきました。
  それは、どうやら私を含む人間は、仏様の描いたこの世のシナリオを生きてることに気づかされていくからです。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいことも、仏様から与えられた「気づき」のプレゼントだったと気づけるからです。
  又、この世は演劇の舞台のようなもので、いろんな配役の人たちがそれぞれの役を演じながら仏様の描いたシナリオを生きてるってわかってくるからです。シナリオは、ぜ~んぶ、愛や真実を学ぶためのものです。そんなことが分かってくると、善と思えることも悪と思えることも、すべてはお互いの「気づき」と「愛を深めるため」に必要な方便であるということであるということに気づいていきます。
  すべての人に、仏様がその人一人ひとりにとって必要、必然、ベストのシナリオを描いてくれています。だから安心して生き、安心して死んでいけばいいんです。この世は自分という役割にとって必要なことしか起こってこない舞台ですし、この世が終われば自分の舞台が終わったみたいに、仏様のまっておられお浄土の世界へ安心して還っていけます。だから、どれだけこの世という舞台の上で最高に自分という役割を演じ切っていろんな体験や感動を持って返れるかってことなんですよ。
  まとめてみれば、そんな話をしてきました。本当の話なんですけどね。

12月20日「情報の共有化と回りへの気配り」 (2008.12.20[Sat])

  日々、いろんなお客さんからメールやお手紙が届きますが、今日は兵庫県のIさんからのメールをご紹介します。
  「いつもお世話になっております。兵庫県在住のIです。ラペルのプレスの件、お手数をおかけしました。いつもながらの素晴しい仕上がり、心から楽しみにしています。追伸『ボスのひとりごと』、とても共感しています。私のような「共感」が広がって、より多くの人たちに貴社が愛されているのが,よく分かります!」
  そうですか、ありがとうございます。ラペルの方を確認しましたが、段返りの部分が結構威張ってない程度のグラマラスで、しなやかなロールに仕上がってると思います(宅配時に崩れなければいいのですが)。
  英国のファッション・ジャーナリストのニッキー・スミスは「仕立てのよいラペルは、ふんわり返っていて、しかも身ごろに平らに載っている」と言うように、やはりラペルの仕上がり次第でシンメトリーなVゾーンが決まってしまうので、Iさんが凄く気にされるのはよく分かります。私もそうですから。また、何かお気づきの点がありましたら、お気軽になんでもお知らせ下さい。よろしくお願いします。
  さて、それはそれとして、今回Iさんの『私のような共感が広がって、より貴社が愛されているのが』とおっしゃって下さることに、私を含めてスタッフ全員がとても嬉しく思いました。お客さんには見えないけど、ここで仕事をしている一人一人の本気さが伝わっているようで、私も凄く嬉しかったです。
  また、いつも思うことなのですがお客さんと電話でお話していて、うちに出して下さるお客さんたちは本当に私たちのことを信頼して下さってるということです。そんな波動がお客さんたちから一杯伝わってくるので、スタッフも、信頼を技術で精一杯応えようとしています。それは端で見ていて、いとおしいぐらいです。
  ただ、時としてうちの連中もポカミスをします。衣類は納期ミスです。レザーあたりでは風合いが変わった?と思われるミス。やはり疲れているときや忙しいときはやってしまうのです。
   ミスをしたスタッフには、『お客さんを悲しませるなよ!』と厳しく叱ります。その上で@情報を共有するAシステムを変える、という2つのことをやっていきます。また、お客さんには@代替案A何らかの埋め合わせをして、すぐにリカバリーする行動を取らせます。
  ただ、やはり一番のミスの原因は、情報を共有していないことにつきると思ってます。うちは、明るく元気で情に熱く純粋さや一生懸命さは人一倍ある連中ばかりです。しかし、一匹狼タイプで個性が強い。それが逆に出ると、相談なく一人でやり切ろうとしてドツボにはまります。それがポカミスです。  
  とにかく、うちのスタッフに求められているものは、一にも二にも、『情報の共有化』と『他のスタッフへの気配り』です。コンスタントにこれができるようになれば、うちはとんでもなく凄いチームになるのは間違いありません。
  まだまだ私を含めて未熟者ばかりですが、どうぞ温かい心で育ててやって下さい。ただ、お客さんを裏切るような性根の悪い奴は誰一人いませんから、それだけは大安心を。

12月19日「牽引の法則。できると決めると、本当にできてしまう」 (2008.12.19[Fri])

  ここには圧倒的に男性用のスーツが全国から出されてきます。が、最近多いのが、新規のショップや新規のお客さんからの【染み抜き】【色修正】衣類やレザーの入荷です。其れもよそでダメだったものばかりが入ってきます。ただ、そうであればあるほど燃えます。私や社長が「トップ・ガン」でテンションを上げながら、「よっしゃ!やりあげるで!」と難解品に挑んでいきます。
  また、私は気が向くと総合受付を差し置いて、多数出されているお客さんとの直接見積もり連絡をすることもあります。そして内訳をお話しすると、たまに、「料金的になんとかなりませんか・・・(染み抜きとか色修正など)」というお客さんも老若男女問わずいらっしゃいます。すぐに、その人の気を感じ取って、【分かりました。じゃあこれだけでやらせてもらいましょう。これぐらいなら大丈夫ですよね】と、値段をその人の今の気に応じて設定するのです。
  すると、お客さんは必ず【えっ、本当ですか。じゃあ、よろしくお願いします。たすかります】と喜ばれます。自分も相手も気持ちよくスタートする、こういった場合は物凄くスムーズに物事が流れていきます。お金を出す人も受け取るこちら側も、お互いが気持ちよく。どちらか一方だけではダメ。お互いに、です。やはりそうじゃないと流れはいびつなものになって楽しくなくなる。楽しくないものは必ずおかしなことになっていきます。
  さて、その電話を切るやいなや、洗い場やスポッター(染抜き台)に直行しながら、グルグルと頭の中で戦略を練り続けます。もはやへッドバンドを巻いて職人集中モードに入ってますから、電話がきて話をしていても頭の中は次の手の修正手法ことばっかり考えてます(保育園の上釜先生ごめんなさい)。
  今日だけでも、白パンツへバックからの色移りの色抜き、吐き戻しの匂い消し(この消臭剤はすごいのが見つかった)、ブルゾンジャンバーにべったり着いた多量の接着剤取り、首周りや背中の色修正、パンツやシャツの黄変の復元加工、事故衣類の血液の除去、ブラウス、ドレスシャツ、パンツの復元加工、こんなのは序の口で後は細々とした染み抜きや色修正がいっぱいあって、社長と手分けして作業をやってしまうわけです。
  この地域では「リーガルは難しいものが何でもできる」って噂が広がって、本店では新規顧客が増加。染み抜き料金なんて、前年対比500%アップです。
  とにかくアシスタントであるさっちゃんは大忙しです。私が、【加水150いや300でいこか。キューパワー40、アンモニア4、漬け込み30、その後、ソフト20で30秒回して脱水15秒、その後トルソーでハード噴霧、特に腕回り。人体の時、SP全体噴霧】「それはハイドロ耳掻き一杯で漬け込み30分。温度40ちょいぐらい」「さっちゃん、水出しっぱなし!」「うん、それはブランドワンでええ。糊は固めの300、ソフターは200でいこか。」パッパッと矢継ぎ早に指示を出すのをメモりながら、「代表、これでいいですか」「代表、落ちました」「代表、ハイドロ処理入ります」と、とにかく私の回りを走りまわってます。だから、糖尿なんて吹っ飛びます。
  で、今日皆さんにお伝えしたいのが、「やれる」としっかり決めたら大丈夫、絶対になるようになるです。諦めなければ、「やる」と決めたら絶対になるようになるのです。どうしても分からなければ素直に上級者に聞けばいいだけなんです。そして素直にやってみる。私なんて、まったく土素人だったわけです。でも、おおよそのものはやってのけます。ムチャクチャ難しい物でも、諦めなかったら何度もチャレンジしていって絶対に最後には「よっしゃ!」となります。チャレンジャーは絶対に諦めない。「やれる」と決めて行動する。牽引の法則通り、しっかり「決め」て突き進むと絶対にできるの巻きでした。

12月18日「オリジナリティあるクリーニング」 (2008.12.18[Thu])

  毎日多種多様な衣類やレザーアイテムを扱いながら、あらためて自分で思うことがあります。それは、「やっぱ、服が好きなんじゃ」です。そうじゃなかったら、いくら水洗でも、3年前に社長が倒れて(今では車が乗れるぐらい随分元気になった)当面は責任感で代表を務めたとしても、ここまで継続してはやらなかったでしょう。
  私の服装術の基本は、服飾評論家の故落合正勝さんのお洒落道にあります。ですから、彼の本はぜ〜んぶ読んでます。
  例えば、アイロンについて、「素材の上で、決してアイロンを滑らせてはならない。アイロン自体の重量(鉄アイロン)を利用して、折り目、しつこいシワ部分の上に当て布を載せ、水気を与え、圧す。布地に可塑性を加えるのだ。可塑性とは、モノに力を加え一時的にカタチを変え、力を取り除いても、そのままモノのカタチが残る性質だ。シワ自体も、可塑性によって引き起こされる現象である。アイロンを当てる回数は、できるだけ少ないほうがよい。擦れば擦るほど、繊維の糸の縮みを助長して、素材を傷める。」
  本当にこの通りなのです。ですから、この場に入って先ず手始めに変化させていったことは、各部位のマシーン化です。一般的にはフルハンドが一番良いみたいに思われてますが、そうじゃない。前身頃、背中、背脇、肩、袖、ラペル、アームホール、見返しなどの各パーツをマシーン化することによって、先ず当たりを出さずに癖なくきっちり仕上る。そして細かい部分のデイテールはタッチアップで成形プレスしていく。「フルハンド」から「タッチアップポイントプレス」への移行、これは社長も大賛成でした。
  また、洗いやプレスは各ブランドやアパレルのクセを知っておかないと、正直言って難しいと思います。思い出すだけでも、「よくまあこれだけ着たもんだなあ」というぐらい、いろんなスーツやジャケットを着慣れてないと、中々着心地やデイテールは分からないものなのです。だから、ここに来るクリーニング屋さんには、ブランドはうちに回した方が絶対にいいよって言ってます。この意味って分かりますよね?
  私にとって、何よりラッキーだったのは、取次店に「そごう」でオーダー専門のテーラーさんだった久保田さんがいてくれたことです。この人に頼んでは、ロロ・ピアーナ・ゼニア・スキャバルなんかで何着もスリーピースやスーツにジャケットを作りました。「久保田さん、今回は思い切ってポール・スミスっぽくレインボーステッチで、裏地はアルパカのマリンブルーでいくか」「ベストはノッチラベルの襟付やね」「ショルダーラインはローブドショルダー気味でハリ出していかつい感じ」「サイドベンツはちょい深めでね」「パンツはピンタックでいって裾は前4、後ろ4.5のダブルでモーニングやな」なんてワイワイ楽しみながらオーダーしてもらいました。
  その作った洋服を三回着た後は、必ず洗い方を変えてはプレス仕上げへ。そこでも【ああやってみ、こうやってみ】といろんなこだわった注文を社長や及川にしつこく出しては、必要な復元道具を整えたり、加工剤を模索したり。そんなことを繰り返しながら、現在に至っているわけです。だから、私のスーツは実験的に100回以上水洗してるのではないでしょうか。それにしても生地は何も変化していません。やはり水の違いなんでしょうね。
  よくオーダーの楽しみは、自分のスタイルを作り上げていくことにあると言われますが、やはりある程度スーツの基本をマスターし、その上で、ちょっとハズシのあるオリジナリティあるものを作っていく。まさに、今後のクリーニングもまさしくこのスタイルと同じだと思っています。

12月17日「上から目線を感じる」 (2008.12.17*[Wed])

  大阪に行ったときのことです。マッセェアトウラの柳瀬君が、私の前にクリーニング屋さんたちが書いた本も何冊も並べて、「代表、これみんな読みましたが、なんて言ったらえんやろ。みんな上から目線というか、ええこといっぱい書いてはるけど、ぜんぜん伝わってきいへん。わしはこんながんばってるんやで、ほかはあかん、わしだけは正しいんやみたいな。自己顕示的というか、おまえらはみんな分かってへんみたいな、なんかこんなん読むと、めちゃむかつきますわ」「そしてこのH、ここへ出してたお客さんがみんな言ってますわ、最近は品質が落ちてあかんよになったとか、めちゃ対応が横柄やとか。本人はええ事ばっかり言ってるようやけど、そんなことばっかり聞きます。代表のとこも、そうならんといて下さいよ」って、言ってくれました。心したいことをビシッと言ってくれて、ありがたかったです。
  今回、私はこの12月号の『ニューズレター』では、自分がクリーニング業界に入って感じたありのまんまそのまんまの本音を書いてみました。そこには実際に、「あんたら、こんなことしとったらつまらんやろ」みたいな内容もあります。
  ただ、柳瀬君から借りた、その人が書いたクリーニング業界の嘘みたいな本を読んでいて、物凄く気分が悪くなってしまいました。で、どうして?って考えたら、やっぱり柳瀬くんが言った『上から目線というか、わしだけは正しくてすごいんや、業界のやつらはみんなつまらん奴ばっかりや』なのです。
  よく私がみんなに言ってるのが『正しさより、無理のない共感や、楽しさを伝えていこう』です。人間はみんな不完全で未熟、人のことなど言える筋合いではないのです。いくら常識的、倫理的に正しくても、その人に力があっても、何か威圧的で心の奥底の部分で共感できないことは、決してエネルギーは流れていきません。何も調和も変化も新しいものも生まれてはいきません。これは波動の法則、動機の法則通りなのです。やはり動機が本質的に愛とは違うのです。
  かくゆう私も、もともと高校・大学は空手部でバリバリの縦社会の体育会で生き、卒業しても支部長を務め、流派の論理や力の誇示によって他を威圧し、「正しさ」『実力本位』を振り回してきました。だから、あまり人のことは言えない。
  ただ今の私が感じている事は、この21世紀はもうそういった男性性の正しさや戦略の時代ではないということです。そうではなくて女性性の愛と調和の時代です。それは『共感』『ねぎらい』『共生』、また、専門性や倫理性は当然として、『感謝』『素直さ』『謙虚さ』『親身』『オープン』『単純』『スピード』『ありのまま』『軽い』『大きな流れに身を任せる』時代なのです。やはり、私の願望を目指す生き方は「上から目線」を生みますが、仏さんの愛の願いを聞いていく生き方であれば、未熟者同士の「自他同然」の生き方になります。
  人はこの世という大きな舞台の上で、それぞれのシナリオを生きてるわけです。だから価値のない人なんて誰一人いません。それぞれがそれぞれのままに尊い、そう思います。ただ自分はどういう生き方が好きなのかを、常に問われているのです。そして、私の行き着いたところは傲慢で未熟者の私は仏さんと共に生きるってことしかないってことだったのです。私の周りの人たちはみんなそこに共感してくれてるってことなんです。ただハッキリ言えるのは、そのほうが昔の【正しさ】時代より力が抜けて楽、とても気持ちよくて快だということです。そういうのって軽くていいと思いますよ。上から目線なんてする必要なんてないし。何せ、自分はバカタレだって分かってますから。

12月16日「スピードは愛である」 (2008.12.16[Tue])

  土曜日の夜は久々に尼崎の寿門という焼肉屋さんに行きました。いつ行ってもこの安さでちょっと他ではないよなあ~というくらいの、霜降りのお肉を堪能してきました。今のところ、あそこに代替するような焼肉家はりません。
  そして、日曜日の朝一番に廣瀬家の報恩講でした。お母さんがとてもいい顔してましたね。その後、(株)廣瀬の今年最後の社員研修を行いましたが、参加できなかったSさんからお手紙をもらいました。
  「本日は参加できずに申し訳ありません。祖母と息子の誕生日にて、親族が集まり祝いの席を設ける為、参加する事ができませんでした。今年も一年もさまざまな出来事があり、まだまだ未熟な私は右へ左へと流される事もありました。しかしいつも心の中にあったのは「仏様」です。「これで良いのか?」といつも仏様の心と自分の心を照らし合わせ、内観し、反省する事もあり、少しずつですが前へ前へと進んできました。今年六月には社長に後押しして頂いた免許取得ができ、今までの人生の中で最大の魂の喜びを味あわせていただきました。
  今、思うことは昨日の自分より、一年前の自分より「幸せ」だということです。そう思えることが心から有り難く、幸せに思います。先生に教えて頂いた様々なこと、「すなおレター」で教えて頂く事がいつも私の指針となっています。今年も一年本当にありがとうございました。来年もご指導宜しくお願い致します。「昨年より幸せです」と思える一年を歩んでまいります。
  今年は保育園の研修も、他の会社の研修も、この場の足場足を固めるためにほとんどやれませんでした。それはそれで必要なことでしたが、私みたいなエネルギーはあっちこっち飛び回った方がいいみたいです。行く場所行く場所で、新たな気づきや感動を体験して、思考が広がっていくので。ということで、来年はしっかりあちこちを飛び回りますよ。
  さて、研修後は松井化学に行っていろんな衣類の超難しい色修正や染み抜きの実習を行いましたが、はっきり言って「不可能がない」ですよ、あの人。繊維、化学、溶剤、事故処理手法を知り尽くしてるってことでしょう。物凄く勉強になりましたし、今後も学ぶことがやまほどあるので、ワクワクしています。
  最後に、西村さんのところではなく、今回は大阪のマッセアトゥーラに行ってきました。 で、彼の言葉で印象に残ったことが、「どんなに良いお店でも何かの不祥事は起こることがあります。ただ、その時にそのお店がどんな対応や解決をするのかによって、そのお店のレベルが明確に決まります。少なくとも御社は他のお店より誠意があるし、絶対に居直らず良心的だと感じてます。だから私は御社をお客さんにすすめています。」でした。
  その通りです。やっぱり考えられないようなことも起こります。ただ、そのときが勝負です。どれだけお客さんの不安を具体的にスピード解決して安心を与えることができるのか?常にここが問われているように思います。やっぱり、愛と関心がないとスピードも知恵も生まれてはきません。結局、仕事を通して自らが育てられてるわけですね。

12月15日「クレーム電話を取る人・取らない人。クレームになる人・ならない人」 (2008.12.15[Mon])

  昨日、Eデパートで[ウォータークリーニング]の受付Nさんと見積もりの話をしていて、彼女のエネルギーが物凄くダウンしているので、「おい、テンション低いのお〜。今日はどうした?」「いや〜、もう大変なんですよ。クレーム続きで、ぐちゃぐちゃです」、「大きな深呼吸をして、大丈夫、安心すればうまくいくって何度もつぶやいてみ。本当にそうなっていくけん。外に出て深呼吸して、気をプラスに変えてみ」と、伝えておきました。「そうですよねえ・・・」って泣きそうな声で苦笑いしてましたが、あのままじゃあ引寄せちゃいますね、またクレームを。
  とにかく暮れになるとデパート業界はお歳暮の時期で大変忙しとなります。当然、それに伴って物凄いクレームが変化球で多量にくるんだそうです。これは宅配業者Sのうちの担当課長Aも「恐ろしいほどきます」と言ってましたが、うちで落下事故とか取り扱い事故が増えてますから、荷物が増えれば増えるほど急いでそうなってしまうのでしょう。
  人間はどんなに完璧にやったように思えても、土台不完全な人間がやる事なんですから、忙しくなるとポカミスは出ます。まあ、忙しくなくても、ですが。宅配業者のSを見ていても、続く人はその人ばかり続くし、意識がプラスと安心に転換されないかぎり、いくら良い方法に変えたとても無理ですね。とにかくクレーム電話ばかりを取るスタッフは、びくびくした顔と口調で電話を取って、びくびくしながらお客さんと話します。逆に傲慢な人の場合は正しさで反発をかってクレームになります。でも、クレームを取らない人は楽しそうに電話をとり、楽しそうにお客さんと話します。クレームであってもクレームにならないし、クレームでないものが何故かクレームになってしまう、まさにマイナスもプラスもその人から発するエネルギーに引寄せられて、そのままが起こってくるのです。
  私のところには、スタッフの対応ではどうしょうもならないクレームばかりきます。私は広島弁丸出しで心オープンにくったくなく話すので、お客さんも次第に心がオープンになって最後はお客さんの方から「よろしくお願いします」と言われます。
  こういった私のバックボーンにあるものが、「ナンマンダブツ」です。安心です。仏さんと一緒だから、これで良くなる。必ず良くなる。さらに良くなると妙な自信と安心があります。安心は安心を引寄せ、不安は不安を引寄せていくってことですね。
  そういえば、福井のクリーニングのSご家族のテンションの高いこと。いいですねえ〜あの電話の明るさ、元気の良さ,「何でもやります!」の勢いは。息子さんに「いつもそうだったん?」と聞いたら、「そんなあ〜。ちょっと前までは、死ぬばっかりやいうて、テンション低かったんですよ。人間変われば変わるもんです。ただ家族三人ハワイに行ってうちの嫁だけが留守番してたみたいで、今はまったく浮いちゃってて、一体何があったん?って感じで、嫁をなんとかしないと」「近々、連れておいでや。嫁も実際ハワイにいってみんとのお」
  それにしても、EデパートのNさんの周りにも、「仕事も人生もゲームや。クレームなんて舞台の演劇みたいなもんや。もっと楽しまんとお〜」そんな濃いい人が一人ぐらいいればいいのにね。

12月13日「経営やサービス精神の奥にあるもの」 (2008.12.13[Sat])

  最近、うちの連中は急激にリーダーとして育てられる環境下におかれ、圧縮的に力をつけていく流れが起こってます。次の人たちを育てるためにはトータルな実力をつけなくてはいけないということなのでしょう。年齢はバラバラであっても、次のNCをこの人たちが背負っていくのでしょうね。
  リーダーになっていく人には必要な条件があります。まず仕事自体をワクワクと「内発的動機付け」で行ってるのか。何より喜びがお金やポジションではなく、目標達成感やお客さんや周りの人たちの喜びが嬉しい「内発的報酬」なのか、です。
  そしてその元になるのが、自分を生かし導いて下さっている先祖や仏さんに感謝する心があるということです。これは大きい。こうした大いなるもののために自分の我を捨てて働くという気持ち、大いなるものに帰依するという気持がなかったら、仕事に命をかけて物事を理想化することはきわめて難しいのです。
  さて、今週の日曜日は、定期的に行っている(株)廣瀬の人財研修と、この月は「報恩講」を行います。研修のテーマは「仕事における喜び(愛)の法則~人々のニーズ&ウォンツにこたえる~」。その「人財研修」と「報恩講」が終わると、松井化学にうかがい、その後は自然活性水AMO製造元の西村さんに会って最終便の飛行機で千葉に帰ります。
  また同行する及川・松村・今井の三名は難しい修理品を松井化学に持ち込み、実践的に一日中[修正技術]を学びます。彼らは頭を真っ白にして白帯に戻って、総合格闘技?を学んでくるわけです。
  まず自分の枠を取っ払って多様な知識や実力を身につける。ただそれだけの追求だと、職人気質の自己顕示や自己満足にかたよります。実力をつけながらも、多くの人々のニーズ、要求、受容をいち早く察知して、それらの要求に応えるサービスを提供していくわけです。
  実は、サービス精神というものを、何か軽率なこと、上っ面だけのこと、あるいはお金儲け主義にとらえる人もいます。しかし、サービス精神の奥にあるのは、やっぱり愛の心なんです。
  野口さんは日光江戸村の親分ですが、彼から、「週休二日制が当たり前の世の中で、ほとんど休みもなく、決して高い給料でもないのに、カツラと着物に着替えて朝早くから夜遅くまで、わが社の社員たちはモクモクと楽しく働いてくれています。
  保障、給料、ポジション、休みといった外発的報酬で働いていたと思われる社員さんたちは、とっくに辞めていきました。自分がやりたいと思う仕事を楽しく働ける職場、それが改めて日光江戸村だと感じております。
  ただ、日々マスコミで報道される相次ぐ大企業のリストラを見るにつけ、かつての日本企業は、歯を食い縛り、社長も幹部も社員も共に痛みを分かち合って一丸となって苦境を乗り越えてきた歴史は何であったのかと、疑問にさえ思えます。
  経営者も幹部も自己愛の強い人たちばかりになってしまったのか、アメリカ的経営礼賛のせいなのか、日本人の心が失われていくようで悲しみがこみ上げてまいります。自分は決してこうはなるまいと、改めて決意した次第です。」というファクスが送られてきていました。
  彼の心の奥にあるものは愛です。愛の心なくしては経営もサービス精神も成り立たない、私も体験的にそう思えます。

12月12日「面白そうや、やってみよ」 (2008.12.12[Fri])

  全国から毎日お客さんやアパレル業者の方からの問い合わせの電話が入ります。今日朝、サリーちゃんから「代表、大阪の方らしいんですが、Zのス・ミズーラをBに持ち込んだら断られたらしくて、大阪には直営のショップはないのか?といった内容のお問い合わせなんですが、宅配で御送り下さればと申し上げたんですが・・・、どうしてもお店に持ち込みたいといわれてるんですが、どうお返事させていただきましょう?」
  「ふ〜ん、宅配じゃなく持ち込み希望か。そう、マッセの柳瀬くんとこの電話番号教えといて。あそこじゃったら責任もって取り扱ってくれるから」と伝えておきました。
  こだわりのテーラーであるマッセアトゥーラの柳瀬くんが君津ブランド工房を訪ねてきたのが昨年のことです。この人はとにかくケア・メンテナンスにはめっぽう強いこだわりがあって、自身の手がけた作品のケアが本当にできるクリーニング店を、とにかくあちこちと探し求めていたんだそうです。このあたりから、他のテーラーさんとは違います。
  で、彼のこだわりと情熱は、「スーツはウール、羊。シャツはコットン、木綿。ネクタイはシルク、蚕。靴は革、牛。そして私たちは、人間。全てが、生きた天然素材なんですよ。その天然素材を甦らせるには、化学溶剤のドライではなく、やはり天然の水が一番なんだ」ということに行き着くわけです。
  また、メンズ・ウェアーのデザイナーであるルチアーノ・バルベラはこう言ってます。「エレガントなスーツの条件は、二つある。一つはクオリティの高い自然素材、もう一つはクラッシックなプロポーション。二つの割合は50%ずつでなければならない。」「この言葉を満足させる技術とセンスがここにはあった。」自身の目で現場を確認し、「間違いない!」と太鼓判を押したのがうちなんだそうです。
  その彼がこの十月に一年ぶりにこの場を訪ねてきてくれました。その時の内容はマッセアトゥーラ「オーダースーツ屋店主の日記」に掲載されています。でも、正直言ってもう一度言いますが、ケア・メンテナンスに情熱のあるテーラーさんって珍しいのです。普通は売りっぱなしか、興味すらないし、まったく知らない。彼がすごいのは、行動力とケアに対する勉強熱心さです。
  自分の仕事では、実際に自身がイタリアに行ってはお客さんのイメージに合わせた生地の買い付けをしてますし、また、個々の体の特徴や独特の雰囲気を読み取っては、今のその人にとってベストの仕立てを提供してくれます。まさにデイテールの集積をです。こういう服装術のプロが、お客さんの衣類を預かってくれるということはとても重要なことなのです。何せ、ケアに関して、まるでオーダーのようにお客さんに対しても、私たちに対しても様々な提案ができますから。
  その彼に、「今日こんな電話があったらしいけど、ナチュラルクリーンの大阪ショップやってみる?」と聞いたら、「面白そうや、やってみよ」の一発ゴーで、即スタートを切りました。普通の人は、こういう場合うだうだで迷います。が、彼のこの単純さ、行動力、勢いが私は大好きなのです。ただその心の奥にあるものは、損得抜きで最高のものをお客さんへ提供していきたいといった純粋さです。その熱い思いは、今まで彼とずっと話していてよく伝わってきます。ということで、大阪のマッセもうちの取扱店になっちゃいました。

12月11日「もはや修行の時代は終わった」 (2008.12.11[Thu])

  つい最近、伊勢丹の店長であるスッチィー智子から、伊勢丹の中に入ってるH舎の受付のおじさんが、「いつもナチュラルクリーンさんには、自分たちができないことをやってもらって本当に感謝しています。これからも宜しくお願いします。と、ものすごく丁寧にご挨拶して下さいました。」という話を聞きました。正直言って、その言葉を聞いて「はっ」と目が覚めました。
  仏様の心に出遇うということは、自分のエゴの姿に目覚めさられるということです。自分のエゴに目が覚めたら、そこに自ら「恥ずかしい」という慚愧(ざんぎ)の心が起こってきます。この仏様よりいただく慚愧の心に、私たちは正気に戻って救われていきます。
  正直言って、そのH舎のおじさんの感謝の言葉を聞くまで、内心「なんや、いつも難しいのはうちにまわして、上場しとっても腕はたいしたことないのお。看板倒れじゃ」くらいに思ってました。そういう自分の傲慢さに「はっ」と気づかされた。そして「ああ、わしはなんとつまらんことを思っとったんじゃろうか・・。それぞれがそれぞれの役割を一生懸命生きとるのに・・」と、傲慢でプライドの強い自分の姿が恥ずかしかった。
  仏の教えとは、自分の小さな考えや枠に縛られている[バカタレさ]に気づいて、心が自由に開放されていく教えです。この教えがあるから、私もこの組織も地獄・餓鬼・畜生といった小さな枠のエゴの迷いの世界から守られてる、そう実感するのです。
  さて、今日の朝、松井化学の松井さんと昨日来られたSご家族のお母さんの話をしていました。お母さんは、長年〇〇〇〇会で色修正技術や染み抜きの修行を重ねて来られた方です。それで、私がうちにきてるブランド衣類の何点かの色修正を「やってみない?」と提案したところ、「いや〜」と、とても不安がっておられる。私はその姿がとても以外だったのです。そのあたりの事情を松井さんに詳しく聞きました。それで分かったことは、セクト(組織)の情報や技術の枠に縛られてたら一部の人しか大成できないってことです。まるで鎌倉時代に特別な人だけができた仏教みたいなものです。それでは、大衆には決して広がっていきません。幸せは生みません。同じく、水洗の論理だってそうです。
  松井さんは化学を応用した誰にでもできる[染み抜き][色修正]システムを開発提供していますから、枠がない。まるで総合格闘技です。びっくりするのは、〇〇流の師範や有名な染色士が[無理だ]と返されるものを、「送って下さい。やってみましょう」と、積み重ねてきた経験と化学で実際にやってしまう。とにかく彼は、誰でも楽しく無理なくできる[染み抜き][色修正]システムじゃないと、クリーニングの未来は暗いと言います。   
  特別の人だけしかできない特殊な修行じゃあ楽しくありません。Sくんのお母さんにさっそく松井さんを紹介すると、お母さんは安心されたのか元気モリモリでした。
  修行の時代は終わりました。やる気とワクワクさえあれば、誰でも楽しくできるシステムがもはや出来上がっている安心の時代なのです。これからはワクワクの時代です。そのワクワクの波にどれだの人が乗って楽しんでいけるか、ということですね。その喜びと楽しさが自然と伝わっていくのが、無理のない本当の顧客サービスだと私は思っています。

12月10日「未来に向かって」 (2008.12.10[Wed])

  来年の1月から福井からうちに実習に入るSくんと、そのご両親が8時間をかけてご挨拶に来られました。
  君津ブランド工房と、木更津一般クリーニング工場を見学されたちょっと緊張気味だったご両親は、「生産スピードもドライとまったく変わらないし、なによりびっくりしたのは、ドライよりよっぽど仕上がりがいい。今まで時間をかけてハンドアイロンで何をやってたんだろうと愕然としました・・」「セーターがフワフワだし、縮みがない」「こんなスゴイ水洗いが現実にあったなんて、信じられない。考えられない」[驚きの連続です]と、とにかく興奮されてました。
  ご両親に「うちのシステムだったら、誰でも水洗や仕上げが簡単にできるってわかったでしょ。安心したでしょ。今日来て、よかったですね」と言うと、「真っ暗闇の未来がパッと明るくなったようで、嬉しくてたまらない」と、大喜びでした。
  ご家族全員が「家族が未来に向かって夢のある話をするなんて、今までありませんでした。それが水洗いという話が出てからと言うもの、共通目的に向かってみんなで話ができるようになった。それが何より嬉しい」と笑顔で語っておられましたが、そういった家族が一つになっていく喜びの姿を見ることの方が、何よりも嬉しいです。
  それと、改めて感じたのは、「自分たちにとって当たり前になっている水洗は、実は世間から見たら当たり前ではない」と言うことです。いつも逆輸入的といいましょうか、話を聞きながら逆に「ふ〜〜〜〜ん・・そうなんだ・・・」なのです。
  まあそれはそれとして、[自他同然]と言う言葉があります。他者の事や物も自分と同じように大切に思って接するということです。
  ただ残念ながら、現実的には、自己愛の強い人ほど、他者を愛することはできません。自分が一番かわいいから、人を犠牲にしても自分だけはのし上がりたいと言うのが、今の多くの人間の姿です。
  自分の事のように他者や物を大切にする生き方が、自分も人も幸せにする、真の仏様の心にかなった、宇宙の法則に沿った正しい生き方です。[水洗い]をやりながら、私たちと関わることによって、Sさんご家族も「自他同然」の心が自然と生まれてくるような気がします。また、ツイてるエネルギーと関われば関わるほど、そのプラスのエネルギーに共鳴して、とらわれていた嫌なエネルギーが良いものに変わっていく可能性は高いです。
 松下幸之助さんは「つきのある人とできるだけ付き合いなさい」と周りの人に言われていたそうです。[ツイてる人][プラス発想できる人]「この場はいいエネルギーに満ちている」と感じるところや、人に近づく事によって、その人やその回りの人たちの方向がプラスに大きく転換していきます。心から「よかったね」と、笑顔のSさんご家族を見送りました。8時間ですから、ご自宅着は夜中ですね。その間、いっぱい話ができるでしょうね、夢のある未来に向かっての話が・・・。

12月09日「内発的動機と外発的動機」 (2008.12.09[Tue])

  繁忙期の忙しさで毎月のニューズレターをつくる時間がなかったのですが(今年はカレンダーもつくれなくて、すんません)、久々に12月号は[クリーニングって何?]のテーマで、私が感じている『クリーニング店の正しい選び方』をつくってみました。
  この中で「私が知る限り、今のクリーニング店にはパワーがない」みたいなことを書いたのですが、これはクリーニング業界だけではなく、どの業界に関しても同じ事が言える、と思うのです。
  ちょっと心理学的に考えてみるとこのカラクリがよく分かります。たとえば、何かをやろうとしたときの動機づけとして、[外発的動機づけ]と[内発的動機付け]の二種類の[動機づけ]があります。
  外発的動機付けは、[やらねばならない]と言う、外部からの圧力で半ば強制的に押し付けられたモチベーションと言えます。これは、お金のためとか、保証のためとか、安定のためとか、跡取のためとか、なんとなくの就職先とか、そういう状況の人はこの[外発的動機づけ][外発的報酬]が実に多いです。
  私のいるお寺の人たちは世襲制ですから、ほとんどが高校大学とレールを引かれ、[自分を何とか無理矢理にでも納得させて]この[外発的動機づけ][外発的報酬]でやってる人が多いいです。クリーニング業界の人たちも、別の意味でそんな感じがします。
  これに対して、「内発的動機づけ」[内発的報酬]は、「やりたい!」という、内側から自然に湧いてくる気持です。そして[やれることによる喜び]が報酬となります。一言で言うならば、シブシブやるかワクワクしてやるかの違いです。はっきり言って、ここでもはや勝負あった、なのです。
  外発的動機付けによってシブシブやっていたのでは、意欲も湧きませんし効率が悪いので、なかなかいい成果は得られずにうまくいきません。そういう人は、おおよそセクトの中で体制に流されて上手に生きるすべを覚えていきます。ただストレスはたまります。当たり前のことです。
  しかし、内発的動機づけによってワクワクしながらやっていくのなら、いうまでも無く、積極的に取り組めて、いいアイデアも仕事もできるようになっていきます。従がって、自然といい結果が生まれていくようになるものです。さらに小さな成功体験を重ねていき「自己評価」が高まっていき、[自分はめちゃ運が強い]「ついてる」といつも思うようになればしめたもの。不思議なぐらい順調にうまくいきだします。その結果として、世のため人の役に立てるようになっていきます。これはあくまで結果的にです。
  もはやお分かりですね?何故クリーニング店やクリーニング業界にパワーがないのかが。なぜ、うちにはパワーがあるのかが。腕の差なんて、どこもそんなに変わるものではありません。ただそのお店や会社が「外発的動機付け」の人たちの集まりか、[内発的動機付け]の人たちの集まりなのかで、どうあがいても、もはや勝負は終わっているのです。

12月8日「いのちの成功の99%は運と縁で決まる」 (2008.12.08[Mon])

  今日は、テレビ東京放送【世界を変える百人の日本人】の最後のツメのために、大食い王の石橋ディレクターが、【衣類】と【レザー】の『ビフォー&アフター』や『雑誌掲載』の映像を取るために君津工房にやってきました。10月からここへ何回通ってきたんでしょうか?よくやってますよ、あの人。
  ここでの撮影を終えて、東京ビッグサイトで開催されている【クリーンライフビジョン21】に行ってくるそうです。今日は最終日だから人も多いんでしょうか?私たちが行った二日前は、パラパラ。正直言って、変化と未来の見えない催し物ほど楽しくも面白くもないものはない。「フ〜ウ、帰るか・・」私たちは早々引き上げましたが、彼は展示会やそこから伝わってくる業界の現状をどう感じ取るのでしょうか?
  大晦日や新年の相次ぐ特番のために放送が延期され、時間を与えられ石橋さんも【クリーニングとは何ぞや?】【クリーニング業界の現状とは?】が次第に見えてきているようで、結果的に怪我の巧妙ではないですが、番組内容としては今までのものよりずっと濃いものに仕上がる予感がしています。この番組の放送予定日が決定次第、あらためて報告しますので、ちょっと待ってて下さいね。
  さて、今日は成功、この成功のことを私はあえて「いのちの成功」と言いますが、そういう「いのちの成功」は『運』、つまり『縁』で決まるという話です。
  松下幸之助さんは天下の松下の創業者として有名な人です。この人が、
「自分の努力は成功全体のせいぜい1%ぐらいでしょ。残りの99%は運が良かったり、いい社員に恵まれたり、いいご縁があったり、いいひらめきがあったということです」と言ってます。
  この人は偉業をなした人ですが、そうなるべくしたプログラムでこの世に生まれてきた人なんでしょう。前の世からの宿縁によって、まさしく【内発的動機付け】【内発的報酬】で自らの運命的な人生を喜んで引き受け、結果的に世のため人のためになる人生を送った人だと思います。こういう人は、名声や物金といったこの世的な成功だけでなく、本質的な【いのちの成功】を送れた人です。ある意味では、【この世】と【あの世】の成功を得た人と言っていいでしょう。こういうバランスの取れた非凡な人は実に珍しいです。
  ただ、多くの人は私を含めて凡人です。凡人は、この世的な成功を目指して挫折するか、はたまたほんの数パーセントの人が成功するか。はなから諦めて怠惰に流されていきるか。しかし、ほとんどの人が本当の【成功】、【いのちの成功】も分からずあきらめてますよね。
  【いのちの成功】とは、自分の人生に起こってくる【運】も【縁】も丸ごと受け入れて【ありがたい】と大切に感謝して生きれること。そういうありのままに任せられる人生であれば、その人がどんな人生のプログラムであろうが【いのちの大成功者】です。ただそういった【感謝」と【喜び】は、【内発的動機付け】や【内発的報酬】の中にしか生まれてきません。
  こういった人間にとって最も大切なものに気づかない限り、どの業界も、どの人も、未来はむなしいと思います。そこに心底気づけると、人や業界の未来は明るいんですけどね。

12月6日「夢と希望を与える場」 (2008.12.06[Sat])

  今日は福井県から私たちのクリーニングに惹かれる、クリーニング店二代目のS君が訪ねてきました。彼の名刺を見たら[環境を考え、人の喜びを考える クリーニングのすすき]と書いてありましたので、すかさず「君は、本当にその世界を生きとるんか?」と聞いたら、「・・・とんでもないです」「そうじゃろうなあ」、それから私が感じていることを話しだすと、熱心にメモを取りながら、彼の目はキラキラと輝きはじめました。求めてるんですね、本当の世界を生きたいって。
  また、週一回通い続けて来ている、東京のクリーニング店経営のK君も来ていたので、二人で一緒に一般衣類のクリーニング部門である木更津工場に行ったり、また、君津ブランド工房ではパンツの裏かけを行ってもらいました。彼は結婚して子どもがいますが、結果的に、来年の1月からここで修行に入ります。早い?縁というものは、そんなものです。
  人は、何かを成し遂げようとするとき、その根本にある動機が、エゴに支配されてしまっている場合、未来は決して明るいものとは言えません。つまり、なんだかんだと理屈をつけても、水洗いを利用して金儲けしようという動機ならです。
  東京のK君は「ドライの限界を感じ、お客さんにもっといいクリーニングを提供したい。」と真剣に思っています。また、福井県のS君は「新しい希望ある未来を切り開いていきたい。もっとお客さんに本当の喜びを与えたい」という思いがあります。
  ただ単に、自分一人の自己実現のためにだけではなく、お客さんのため、世の中のため、環境のため、喜びを与えるためと、誰かのために頑張ろうと思った瞬間から、その夢には本気のスイッチが入ります。
  家庭や会社がおもしろくないと感じるのは、自分の要求だけを優先しているからです。世の中が面白くないというのもまったく同じです。
  クリーニングをもっと良くしよう、もっとこのお店を良くしよう、もっとお客さんに喜んでもらいたい、と本気で思って行動を開始すれば、不思議とワクワクしてくるし、思わぬところから活路が広がってくるのです。その活路がうちの役割なのかもしれません。
  クリーニング店だけでなく、政治家でも、企業家でも、宗教家でも、教育者でも、口先だけでなく心底から「世のため人のために」〔喜びを与えたい〕というレベルで考えられる人がどんどん出てくれば、この世の中はもっと楽しいものへと変わっていくでしょう。
  私は日曜日の「篤姫」だけは欠かさず見てますが、実際、幕末の志士などは、そうした考えでみんな真剣に命がけで生きていました。だからこそ、今なお日本人の多くはその時代の人々の言動に感動を覚えます。また、外国で「武士道」がとても人気があるのは、自分の言葉に責任を持ち、命がけで生きた侍の生き方に魅力を感じるからです。
  富や名声というのは、求めなくても結果的にそうなっていくのだと思います。昔と違って、特にこれからはそうでしょう。いずれにしても、一人勝ちしようとするのではなく、純粋な若い人たちに夢と希望を与えられるこの場でありたいと思っています。

12月5日「謙虚さと素直さ」 (2008.12.05[Fri])

  昨日はホームページと「無知の知」について話しました。これは、「自分がいかに何も知らないかを知る」という意味で、勉強すればするほど、いろんなことを深く掘り下げていけばいくほど、いかに自分が「無知の知」であるのかが分かってくることだとも。
  このクリーニング業界に入って、最初は「洗い」にしても「染み抜き」にしても、イケイケの勢いだけでやってましたが、「なんじゃ、こりゃあ!?トホホ・・」に見舞われるたびに、なんと自分は「無知の知」であったと落ち込みました。知れば知るほど実に深いのですよ、この世界は。まあ、どの世界もそうなんですが。
  また、本当に物事が分かっている人ほど、「自分はまだ本当のことが分かってない」、「この世界や、世の中にはたくさん知らないことが山ほどある」という事を本当に知っています。
  どこの業界でもそうですが、「この人はえらいなあ」と思える人ほど、人の言葉に素直に耳を傾けられる「謙虚」さや「素直」さがあります。これは自分の事を第三者の目で見れる、違う価値観を素直に受け入れられて貪欲に血肉にできるということです。
  時によって、私はあえて厳しい言葉や助言を相手にぶつけることもあるのですが、それを素直に受け取ってくれたり、自分のアドバイスを素直に実行してくれると、またその人を心から応援したくなるものです。つまり、素直さと、謙虚さは、確実に味方を増やして武器でもあるのです。
  だけど逆に「なんや、こいつ天狗やな」と自惚れが前に出てる人や、「分かってないくせに分かっているふりをしとるよ」という人とは、どうも鼻についてかかわりたくないし、そういう人には、だんだん人も本当の情報も集まらなくなるものです。
  「謙虚さ」とか「素直さ」とは自分を省みれる力であり、それは人間にとっては物凄い武器になるということなのです。私の周りには、ここを訪れてきた日光江戸村の野口さんのように、「謙虚さ」と「素直さ」を持った人がたくさんいますが、みんないつもいい顔してます。基本的にポジティブで人生を本気で生きてるんですよね、そういう人たちは。

12月4日「無知の知」 (2008.12.04[Thu])

  昨日は一ヶ月ぶりに「日光江戸村」の野口さんが訪ねてきてくれました。彼とはかれこれ13年ぐらいの付き合いになります。とにかく彼は自分の勉強のため、日々の「ボスのそらごと」を読んでは自身の気づきを私の所にファクスで送ってきます。それを毎日欠かしたことがない。
  そんな真面目な彼との今日の話は、もっぱらホームページの話。日光江戸村では日々一万件のアクセスがあるのだそうです。日に一万?って、凄いよね。うちが日に二百件ぐらいですから話になりません。ホームページは携帯でもやってるようで、アメリカ、中国、韓国、台湾、タイからも続々とアクセスがあるんだそうです。結果としては、そうやってネット検索してくれた人がお客様としてご来場して下さるとのこと。
  正直言って、私は音楽以外に、ネットとか、テレビとかあまり興味がない人なので、うちのホームページを見ては「もっとかっこよく作り直しましょうよ」なんて言われても、「まあせっかく身内がつくってくれたんだから」と、そのままにしていました。
  ただ、野口さん曰く、世界に「水洗い」や「うちの情報」を発信するためには、せめて「英語」に翻訳されたホームページと、携帯からアクセスできるホームページは絶対に作る必要があると言います。
  実は昨日、レザー部門の原さんの紹介で、日本・アメリカ・ヨーロッパで車ビジネスをしている中国の芦さんたちがここを訪問し、やはり彼とまったく同じ事を言ってました。「海外からアクセスできる翻訳されたホームページを作って、もっと世界に御社の技術情報や内容を発信するべきだ。今のホームページの内容や状態では御社の中身は半分も伝わらない」と。「なるほど・・・」と野口さんの話を聞きながら、芦さんたちとの話とだぶり、「こういう話が二日連続続くということは、そろそろそういう時期がきたのかもしれんなあ」なんて考えていました。
  ソクラテスの有名な言葉に「無知の知」があります。これは、「自分がいかに何も知らないかを知る」という意味です。勉強すればするほど、いろんなことを深く掘り下げていけばいくほど、いかに自分が「無知の知」であるのかが分かってくるということです。
  ネットのことを聞きながら、あらためてこの分野に関していかに自分が「無知の知」であったのかと思ったりもしました。ただ、だからと言って急いでホームページをやり変えて、英語に翻訳して、携帯用のネットを作って・・ということではありません。
  すべては流れに任せるだけなので、そういうものをつくる必要があれば、そうなるでしょうし、そうする必要がなければそうならないだけなのですが、やはり私はあまりにもネットに関心がなさすぎたなあ、「そりゃあ彼らが言うと通りだ」と反省しました。
  そう考えてみると、うちのありのままの情報がもっとタイムリーに発信できるものはつくってみたいですね。そういう気持が湧いてきたということは、やはりそういう時期がきているんでしょうか。

12月3日「本物と偽物」 (2008.12.03[Wed])

  先日、双葉商会の鷺谷君と話していて、全国的にクリーニング店の売上げは前年度対比20%減で、どこのクリーニング屋さん行っても暇をもてあましていると聞きました。
  伸びているのは、全国的にどんどんチェーン展開している安売りの大手クリーニング企業のみだそうです。まるで家電業界の様子を聞いているようで、何ら特性の無い現状では、資本力も技術力もない情だけで地域とつながっていた個人店は、まさにどんどん淘汰されていくでしょう。
  ただ言えるのは、そういった危機感を本当に持ってる人たちは極めて少ないということです。これはお寺だって、保育園だって同じ事が言えます。自己満足や保身的なサービスではなく、お客さんが幸せを感じるようなサービスを本気になって提供しようとしているのか?なんだかんだと言っても、食べていける間は、「そうなんだよねえ~」なんていっても、心底ピンときていない。
  宇宙の法則は、変化や進化の無いものは、必ず淘汰していこうとします。これはルールです。ですから人の琴線に触れるルールを探せば、必ずビジネスでも何でも成功するはずです。
  20年前は83%の国民が中流意識でしたから、一つのルールで、一つのチラシで、一つの売り方で、大繁盛しました。だけど今は違います。所得層、購買経験、趣味や嗜好、性別、年齢などの要素で物の選び方が変わるので、繁盛するためのルールはこれまでと違います。
  私は今後のクリーニング店は、環境汚染を増加させていく「ドライ」から、健康・環境・衣類によい「リーズナブルな水洗い」に転換し、「染み抜きや色修正技術」によって、衣類やレザーのケア・メンテナンスができる、安心を与えられる楽しいお店しか生き残れないだろうと実感しています。
  本物とは『環境や人が良くなるもの』という意味であり、偽物とは『環境と人が悪くなるもの』のことを言います。時流はあきらかに『本物志向』ですし、鈍感な人たちも、やがてはそこに向かいだします。このルールに沿った楽しい行動の変化を、全ての業種が求められていると思っています。そして人の生き方も、です。

12月2日「ISOの審査は受けません」 (2008.12.02[Tue])

  今日の朝、法子さんより「代表どうするんですか?」といってISO14001の更新審査の文書を手渡されました。
  担当のまっちゃんに、『君どう思う?』と聞いたら「はあ〜〜・・・・・」。すかさず『わかった。もう方便はええんじゃ。それよりもっとわしらにはやることがあるよな』と言うと、まっちゃんは「これでやっとほっとしました・・・」と物凄く喜んでました。
  そりゃあそうでしょう。この審査を受けるとなると担当者は書類の作成で、これからの一ヶ月間は徹夜覚悟しなくてはなりませんから。
  初回の審査を受けるまでのプロセスが尊かったわけで、今となれば、その段階を超えて、それよりももっともっと大切なことがあります。それはISO認証のために培った経験の上で、もっと現場力と共にクリーニングという作品のレベルを高めていくことです。 それとお客さんへ安心を与えるサポート力を高めていくことです。
  数年前まで、アパレルの販売員は、お客さんに上手に説明するカリスマ店員などと呼ばれる人がトップセールスマンでした。でも今は、説明するのが下手でも、真面目で自分のことを考えてくれそうな人から物を買いたい、とお客さんが思うようになってきています。
  ヘビーユーザーは、もう販売員の口車には乗らない。それよりも、その人の人間性や一生懸命さを信じて物を買います。この人は信頼できる、この人なら万が一返品したときにも、気持ちよく受け取ってくれるに違いない。クレームを言っても素直に聞いて何らかの改善策を前向きに出してくれる、といった安心感のある人が、現在はトップの営業マンです。
  これは、人間というか、消費者の心理についてのルールです。それが分かると、上手な言葉より、言葉は下手でも心ある会話を交わせる人がいいということが分かってきます。これはビジネスだけではなく、教育にしても、医療にしても、すべてに通じるルールです。
  つまり安心をいかに相手に与えることができるのか。そのためには社員のマナー・躾で一目置かれた上に、サービスマインドを身につけることだと私は思っています。
  そういう意味では、ISOや生産方式の追求といった効率と合理性の追求よりも、時流は、私の一番好きなもっと大切なワクワクを共感していく心の時代に入ってるわけですから。

12月1日「言葉が変われば行動が変わる」 (2008.12.01[Mon])

  よく「考え方」を変えてから「行動」を変えないと身にならないという人がいますが、「考え方」を変えてから「行動」を変えようとするのは間違いです。
  基本的に人間は、言葉が変わると行動が変わり、病気が治ったり、商売が儲かったり、人間関係がよくなったり、仕事ができるようになっていきます。
  とにかく、力まずに声に出して言い続ければいいんです。決して心を込めなくてもいいから、「ありがたい」「ついてる」「やったらできちゃう」「幸せだ」「ラッキー」と、とにかく気楽に声に出して言う癖をつけるんです。
  本当についてない人の口癖を黙って聞いてると、「なんでこうなるの」「またぁ~」「いつもこうなんだから」「そりゃあ無理よね」「世の中こんなことばっかり起きてかしいよね」と、まあついてない言葉のオンパレードです。
  だけど、本人は全く気づいていないのでたちが悪いのです。何度も何度も心の水を濁らしては、濁った出来事を引寄せてはトラブルを起こしていきます。このままでは、このついてないパターンを死ぬまで繰り返してしまうでしょう。
  この原因は、つい出てしまう言葉の癖に在ります。牽引の法則というのがあって、何気なく発信した言葉に引っ張られて心が動き、行動が動き、そして言葉と同じ波動のマイナスな事象が引寄せられていきます。もう、これは法則ですから、どうすることもできません。因果の道理なのですから。
  とにかく、言葉癖を意識として変えていきましょう。心がこもっていなくてもよいのです。とにかく口癖を、何気なく出る言葉をプラス言葉に変えていきましょう。そしてプラスの出来事を引寄せて下さい。すると。「そういうことだったんだ」と、法則は誰にでも働いているということが、心底分かっていきますから。するとしめたものです。プラス言葉癖が楽しくなって、もっとプラスの出来事を引寄せられるようになっていきます。


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