2008年11月の日記

11月29日「困ったと思えることは仏様からのプレゼント」 (2008.11.29*[Sat])

  困った事はないと思っていても、人生には「えっ?!」と思うこともやってきます。デモ、そういうことは仏様からのプレゼントなのです。
  それは、「困ったと思うことも、実は困ったことではない」ということに気づけることが、仏様からのプレゼントなのです。 このプレゼントをもらった人は、絶対に「いのち」のステージが上がります。一皮向けてエネルギーが大きくなるのです。「いのち」のステージを上げることが幸せの道なので、仏様からのプレゼントなのです。
  「いのち」のステージは人によって違います。つまり、私に起こる問題は他の人に起こる問題ではありません。だから、自分の問題は他人には起こりません。そして、自分に起こる問題は、「いのち」が成長するために仏様がくれたプレゼントなのです。
  そんなことを言っても、私は本当に困っていると思っている人もいるかもしれません。では、今困っていると思っていることは、本当にあなたを困らせていることなのかと、じっくりと考えてみて下さい。
  仏様はあなたを困らそうとはしません。それなのに、あなたは困っていると思っているとしたら、仏様はあなたにこう伝えたがっているのでしょう。「あなたのその考え方、やり方は間違ってますよ」と。大切なことは、この仏様の声に気づくか、気づかないかなのです。
  仏様の声に気づいて、困ったことは起こっていないということがわかったときに、あなたの「命」のステージが一つ上がり、幸せに一歩近づくことになります。

11月28日「未来は楽しいことばかり」 (2008.11.28[Fri])

  景気が悪い、景気が悪い、と、マスコミも世の中も騒いでいます。でも、景気が悪いといっても、世の中には「困った事」なんて何もありません。すべての人間にとって、未来は必ず明るいのです。
  たとえば、日本の六十年前は戦争をしていました。百五十年前はちょんまげを結って、ひえやあわを食べてました。百五十年前から比べると、随分便利に幸せになりました。だから世の中はあと百五十年経つと、もっと便利で幸せになっています。
  でも、景気が悪い、何が悪いと騒いでます。つまり、その人の物の見方や考え方によって、これだけ幸せな世の中はもっと幸せに感じていくのですが、今、何が悪いと言っては[困った]と思ったり言ってる人は、過去も未来も永遠に〔困った〕ことばかりが続いていると思い込んで、その困った世界を引寄せて生きているわけです。
  「ありがたいよなあ」「幸せだなあ」と声に出せば出すほど、今が幸せということです。今が幸せということは、明日はもっと幸せということです。仏様、つまり、宇宙の法則は、どんな状況でも「幸せとは今に感謝があること」を教えようとしてくれます。
  だけど、人間は仏様を疑います。エゴから、どうしても恐れや不安が生まれ、守りに入ろうとします。お金を貯めておかなければ不安ですし、保障がなければ不安です。[困る]という動機からはじまったことは、途中でどんなにうまくいっても最後は困った事になってしまうのです。最初の動機、つまり最初の思いが何かで最後はもう決まっているのです。これもまた「宇宙の法則」です。
  現在、考えられないようないろんな犯罪が起こってます。人が犯罪を犯すって理由は何だと思いますか?その人が犯罪者の資質があるからでしょうか?そうではありません。何かに不安と恐怖を感じ、その不安と恐怖を消すために罪をあえて犯してしまうということなのです。
  人間は本当は、困ったことなんて何もありません。その人が困ったと、不安と恐怖を生み出して、結果的に不安と恐怖の事象を引寄せているだけなのです。つまり、自分がマイナスの言葉や思いによって、無意識にシナリオを書いて、そのマイナスのシナリオ通りに事を運んでいるだけなのです。つまりみんなプラスの生き方もマイナスの生き方も、自己実現をしているだけなのです。そのことがとにかく好きなのです。この事実に誰も気づこうとせず、いつも責任を環境や他者に転換していきます。こういう人は死ぬまで,、いや、死んでも永遠にこういう迷いの世界をさ迷っています。
  よく覚えておいて下さい。困ったことなんか何もありません。困ったと思う、あんたの迷いの心が困ったものなのだということを。まずはその事実に気づくってことなんです。

11月27日「成功したいと思ったら仏様の願いに従う」 (2008.11.27[Thu])

  成功には努力と苦労がつくものだ。よく成功した人が努力や苦労の話をするので、勝手に成功するためには努力や苦労をしなければという、誤解がどんどん広がってしまったのです。成功するには努力してはいけません。成功するためにはとにかく今を本気で楽しむことです。言い方を変えれば「成功したいと思ったら仏様の願いに従う」ということです。宗教的に聞こえるのなら、「成功したければ宇宙の法則、普遍の法則に従う、自然の摂理に従う」と言ってもいいです。まだ分かりませんか?
この世には「宇宙の法則」が働いていて、すべてはこの法則に従がって動いているのです。言い換えてみれば、絶対的なルールがあるということなのです。このルールに従って生きたり、仕事をしたり、行動すれば、誰でも幸せになれるし、成功するようになっているのです。  逆に、この「宇宙の法則」からはみ出したり、逆らった生き方をすると、不幸がやってきます。
干ばつや洪水や天災などは、神様や仏様の仕業ではありません。後先を考えない人間の犯した愚かな過ちから生まれてくるものです。仏様が私たちに与えてくれているものは、幸せになってほしいという願いです。その願いが働として、水や空気、緑の大地、見返りを求めない自然の恵みです。つまり、私たちは、知ってか、  知らないかは別として、仏様の大きな心、慈悲の中で生かされているのです。
  この会社が「ドライ」はやめて「水洗い」に転換したのも、この「仏様の願い、宇宙の法則に従がったから」です。石油系のドライ溶剤は、人体に対して皮膚障害を起こさせますし、結局はシンナーを毎日肺に吸い込んでいるのと同じなので、工場で働いている人たちの肺がんや脳梗塞は以上に高いのです。また、土壌汚染、大気汚染、オゾン層破壊、地球温暖化の原因として、自然環境に悪影響を与え続けています。世の中でよく言う、本物とは、人や環境に良い影響を与えるものです。偽者とは、人や環境に悪い影響を与えるものです。とするならば、いくらクリーニング屋さんが「ドライはいい」と言っても、仏様の願い、宇宙の法則からはみ出してることになります。ということは、偽物ということになります。
  私は最近よく思うことがあります。何故、テレビ局が、こうも押し寄せてくるのだろうか?なぜ全国から荷物が届くようになったのだろうか?回答内容はいろいろありますが、やはり、宇宙の法則に素直にしたがって、楽しくやっているからだと断言できます。
  とにかく、成功するためには、宇宙の法則に従い、楽しく「いのち」がワクワクすることを一杯やっていけばいいわけです。仕事で成功するためには、スポーツだけは別として、特別な才能や努力は必要ありません。「宇宙の法則」を知り、「宇宙の法則」に従がって楽しく、素直に生きれば十分です。ビジネスの世界では、売上げを10倍にすることは、100mを一秒で走るようなもので、こんなことが本当に起こってしまうのです。法則に従い、課題を楽しくクリアし、いかに楽しく楽をして成功していくのか、その実験の真っ只中です。

11月26日「10倍努力するか10倍楽しむか」 (2008.11.26[Wed])

  ある億万長者の人が言ってました。「努力しているうちは絶対にお金持ちにも、幸せにもなれないよ」って。法則的に言うと、全くその通りです。とにかく、あなたが会社の社長で、組織のトップで、もし売り上げを現在の3倍にしたいと思えば、みんなに「3倍にするよ」という言葉を何百、何千回出せばいいのです。間違えてはいけないのは「3倍頑張ろう」と言ってはいけません。
  大体、普通の会社なら、常に売上げを伸ばそうと精一杯知恵を絞っているはずだし、働いている人も十分頑張っています。そんな状態からさらに3倍も5倍も努力する事など、土台無理なことです。そもそも五倍努力したといって、売上が三倍にも五倍にも伸びるわけでは在りません。現実に売上げを三倍から五倍にした会社があるとすれば、実は三倍から五倍楽をしたからなのです。
  一日八時間働いている人が五倍働いて五倍儲けようとしたら、その人は一日四十時間働かなければなりません。一日は二十四時間しかないのですから、翌日も今日の分を働かなければならない計算です。そんなことは、この世では無理なのです。
  ところが、日本人はどうも勘違いしていて、「みんなで頑張ったから、今月はこれだけ売上げが伸びたぞ」と激励していくわけです。本当は楽をして、心豊かな仕事をしたから伸びたのに、苦労したから伸びたのだと思ってしまうのです。成功した人の多くが、苦労話ばかりをするので、それが成功の法則だと思い込んでしまってるのです。
  はっきり言って、苦労と成功は関係ありません。厳しい親方のもとで殴られながら修行した職人が、何かの拍子で成功したとします。例えば、持っていた土地が値上がりして儲かったということもあります。
  しかし、その職人は、苦しい修行に耐えたからだと力説するかもしれません。苦しい修行と、土地の値上がりは何の関係もないのにです。はっきり言っておきます。努力すれば成功するのは嘘です。誰でも勉強すれば東大に入るなんて在り得ません。逆に努力すればするほど、その行動に無理が出ます。完全主義者になっていきます。努力してないと思う人を裁きだします。自己評価が勝手に下がっていきます。それで成功するなんて、ありえません。
  逆に子どものように、今を楽しんでいる人は、自然に身体が動き出します。探究心や好奇心からいろんなことに挑戦していきます。そんな時、人は苦労や努力という感覚は全く在りません。私も工場に入って、染み抜きをしたり、洗いやプレスを工夫したり、とにかく日々が新たな挑戦ですから、楽しいのです。
  たとえば、マージャンがしたい人は、努力して、苦労してマージャンをしているわけではありません。「マージャンは楽しい」と自然と口に出してるから、マージャンに行ってしまうのです。人は、いつも言ってる言葉や思いの通りになっていく。これは病人でも同じ事が言えるのです。「私は大丈夫」と笑って言ってる人は、本当に病気にならないからです。

11月25日「引寄せの法則を知ると努力は無用になる」 (2008.11.25[Tue])

  思いや、言葉によって、自身の人生が全く変わってしまうということが、次第に分かってくると、本当につまらないマイナスな思いや、言葉を使うことが阿保らしくなってきます。そして、頑張って努力するということもです。
 ここでまた勘違いされると困るので、努力についてお話しておきますね。基本的に、努力と言う概念は、とにかく頑張ること、無理や意地になってもやり抜くこと、歯を食い縛って突き進むこと、こういう意味合いで受け止められています。
 ただ、ただね、そうやってうまくいくことは、まずないってことなんです。最初はよくやってると思っても。やはり法則的に不自然なのです。不快なことや義務的なことを快に努力して無理矢理変えようたって無理なことですし、不自然きわまりません。
 たとえば、あなたが嫌いな人のことを、努力して、頑張って好きになろうとしても、無理ですよね。ためになる話を聞いて、そのときは、その人のことを好きと思い込もうとしても、やはり本音は反発してますから、ドッと疲れた後に必ずリバウンドが出て、さらに大嫌いになってしまいます。それと理屈は同じです。
  そうではなくて、人はプラスや感謝の思いや言葉を癖付けてしていくと、自然と脳の仕組みが「ありがたい」に変わってきて、勝手に身体が動き出すのです。ちょっと考えてみたら分かりますが、勝手に動き出すのだから、当然、自然に思いや言葉も変わっているわけです。ですから努力は必要ないということなのです。
  これは、人間関係にしても、仕事にしても、家庭にしても、病気にしても、何でもかんでも貫く普遍の法則です。自分でも「頑張ってるなあ」と思うときは、やはり、無理があるのです。心が本当に快とは感じていないのです。だから頑張りが過ぎると、一気に疲労感や脱力感が訪れます。そして、無気力になってしまいます。リバウンドですね。
  だから最近では、よく「頑張らないで下さいね。ワクワク楽しんで下さい」という言葉を聞くようになりました。このことは物事の本質や法則が理解されてきた時代になった、ということなのでしょうね。
  実際、現在の私は工場に入ったり、デスクワークをやるようになったりと、バランスを取るようになりました。その方が全体の流れが客観的に見えますし、情報も収集できますし、何よりも両輪の方が楽しいからです。それによって、現場に支障を与えると言うことは在りません。分からないことや、「えっ?これは・・・どうしよう?」ということがあったら、皆、私のところへ聞きにきてくれるからです。
  だから、「努力してお金儲けをして、世のため人のために生きる」よりも「楽しくお金儲けをして、楽しく生きたら勝手に世のため人のためになった」の方が絶対法則に無理なく叶っているということが分かってきます 頑張らずに、今を子どものような純な心で目一杯楽しむこと。そうすると楽しいこと、「いのち」のワクワクが引寄せられてきますから。

11月24日「口に出せば出すほどそんなことが勝手に起こってくる」 (2008.11.124[Mon])

  思いや、言葉の法則を知ると、うつかなことを思えないし、うかつなことを言わないようになってきます。
  なぜなら、本当にそんなことが良いも悪いも起こってくるからです。
  だから、意識してでも楽しい言葉、嬉しい言葉、幸せな言葉を使った方が絶対に得ですよ。なんせ、落胆的なため息、人の悪口、人の批評批判、苦しい、悲しい、つらい言葉を使えば使うほど、ほんとうにそうなってしまうことが頻繁に起こってくるからです。
  正月になると、全国の神社仏閣で初詣が行われます。そこでは必ず「〜になりますように」とお願い事を思ったり、言葉に出したりします。これは実にまずいのです。自分の思いや、言葉は必ずそのようなことが引寄せられてしまうからです。なぜまずいのか?「〜になりますように」というような現実を引寄せてしまうからです。意味分かります?
  「幸せになりますように」「新築が手に入りますように」「健康になりますように」とにかく何でもいいのですが、「なりますように」という願いは、「なりますように」つまり、「そうなりたい」と本当に思うような現実が次々に引寄せられてしまうのです。と言うことは、永遠に「そうはなれない」って事なのです。意味分かりましたか。
  でも、初詣をしながら、「仕事をやることがとても幸せです。いつもありがとうございます」「健康を与えてくださってありがとうございます」「いつも幸せです。ありがとうございます」と、感謝の心、感謝の言葉を出す人がいたとしたならば、その人には感謝する出来事が引寄せられていきます。分かります?何度も伝えてるんですが、この引寄せの法則の仕組みって・・・。この法則の仕組みが本当に分かっている人は、うかつなことを言わなくなるし、思うのをやめてしまいます。それほど、この法則はマイナス面には即効性があるからです。プラス面はちょっと積み重ねが必要ですが、必ず時期と共にそうなっていきます。
  だから、ありがたいことがあったから「ありがとう」というのではなくて、「ありがたいよね」と、まず声を出す。そこからすべてをはじめると、なんでもすべてが「ありがたく」なっていくし、現実的に「ありがたい」出来事が頻繁に引寄せられてきますよ。
  多くの人は、順番が逆なのです。ただ言えるのは、あなたに感謝の心があるのかないのか。いや、感謝の思いや言葉を意識してでも出そうとしているのか、それだけなのです。あなたの幸せは、その一点にかかっているわけです。結果は引寄せの法則によって、勝手に後からついてきます。
  ちなみに、「なんまんだぶつ」って「ありがとう仏様」ってことです。目の前に何が起こっても「なんまんだぶつ」なんです。このあたりの深い意味って分かります・・・? 今、あなたがピ〜ンときたこと、そういうことなんです。
 だから昔から「腹が立ったら、ぶつぶつ申せ。ぶつはぶつでも、なんまんだぶつ」って言われてるんですが、そういうことなんです。

11月22日「言葉はトレーニングで変わる」 (2008.11.22[Sat])

  脳のメカニズムは不思議です。その人の「言葉」をキャッチすると、その原因を探し出すからです。たとえば、「幸せだねえ」が口癖になると、「なぜ自分は幸せなのか」という理由を探し出してふっと理由が出てくるようになります。
  逆に、脈絡のないことを話していると、思考回路は錯乱します。この錯乱を止めるためには、脳は錯乱した原因を探し始めます。「幸せだなあ」といった自分は、なぜ自分は幸せなのかという原因を探し始めるのです。「今日は天気だから幸せだ」「あの人から褒められたから幸せだ」「みんな元気で幸せだ」と、幸せである理由が勝手に口から出てきます。
  この幸せの対極にあるのが、ため息です。ため息をつくのは、自分にとって一番悪いことです。ため息の中には夢がありません。そればかりか、夢を消して諦めや絶望を生み出します。このように、ため息は最悪の行為なのですが、うっかりため息をついてしまうこともあります。
  でも心配はいりません。そんなことは気にせず、続けて「幸せだよな」と声に出すのです。「ふうっ~・・・幸せだよなあ」となります。
  こうしておけば、ため息の悪い部分を薄めて、幸せになっていきます。人は幸せになるために生きているわけですから、邪魔するものは払いのけなくてはなりません。
  そして、「ありがたいなあ」という言葉、この言葉を声に出していると、面白いことに、ありがたい現象がどんどん起こってくるのです。
  ありがたいことが合ったから、「ありがとう」ではなくて、まず「ありがたいなあ」と声を出す。そこからすべてをはじめると、なんでもうまく運ぶというようになるものです。
  この世の中には、「思っていることを何回も声に出して言ってると必ず叶ってしまう」という法則が在ります。千回言えば絶対に叶います。これはもう、面白いほど当たり前のようになってくるのです。
  そして運命が上昇し出すと、はじめは小さな抵抗が起きます。大きくうまくいきだす前は大きな抵抗が生まれてきます.。この原理は空を飛ぶ飛行機の原理と同じなのです。飛行機が空を飛べるのは、空気抵抗があるからです。直進する力に対して、空気抵抗が翼にかかって、巨大な飛行機を押し上げてくれるのです。
  飛行機に限らずあらゆることにこの原則は働きます。ただ抵抗が強ければ強いほど上昇できます。向かい風のような抵抗に、グッと押し込み気持で一歩足を踏み出すと、自分の身体はびっくりするぐらい持ち上がっていきます。
  逆に、抵抗が怖いからといってエンジンのパワーを緩めてしまうと、失速して墜落します。

11月21日「汚い言葉を使えば不幸に、楽しい言葉を使えば幸せに」 (2008.11.21[Fri])

  言葉は凄く大切だというお話しをしています。
  例えば、貧乏暮らしを長くつづけている人は、必ず貧乏くさい言葉を口にしています。
  「安月給で生活するのも大変だ」
  「お金がないからどこにもいけない。何も買えない」
  「この先、どうなるか不安だ」
  楽しい言葉を使わなければ、お金は向こうからやってこないのに、逆に濁った汚い言葉を出し続け、心に濁った汚い水をたらし続けています。これではいつまで経ってもコップの水は濁ったままなので、永遠に貧乏暮らしからは抜けだません。
  楽しい言葉、きれいな言葉というのは、意識して使わないとなかなか口からは出てきません。それは、人間の脳と関係があるからです。
  人間の脳は、本能的に自分の身体を守ろうとするために、悪いことが起きることを前提でものごとを考えています。要するに、前もって心配するのです。
  頭の中であれこれ心配することによって、予期せぬ出来事に対して予防線を張っています。あらかじめ心配しておけば、いざショッキングなことが起こってもショックを和らげることができるからです。
  「この先どうなっていくんだろう」
  「将来のことが不安でならない」
  人はさまざまな不安を自分で作り出しては、勝手に思い悩みます。しかも、その悩みや心配を声に出してしまいます。
  その言葉は、濁った水となってコップに垂れていくので、コップの水はいつまでも濁ったままです。つまり、絶対に成功しないし、幸せにもなれないのです。では、きれいで、楽しい水というのは、どんな言葉なのでしょうか。
  「楽しいねえ」「ありがたいなあ」「ついてる」「嬉しい」「幸せ」という、楽しく幸せな言葉を使えば使うほど、声に出せば出すほど、コップの水は透明になっていきます.究極は、「なんまんだぶつ」です。とにかく、どんどん声に出して言っていると、最後にはコップの水は透明な感謝と安心の水で満たされて、あなたは幸せな顔になっていくはずです。
  言葉はエネルギーです。口から出た言葉は、エネルギーになって天空を駆け上り、再び自分の元に戻ってきます。
  「ありがたい」と言えば〔ありがたい〕事が、〔幸せだなあ〕といえば、〔幸せの〕出来事が自分に返ってきます。しかも、そういう楽しくきれいな言葉を使えば使うほど,何倍も大きくなって返ってくるのです。
  はじめに投げた石の大きさ、はじめに口に出した言葉の持つ力ですべてが決まります。一つの意思が一つの波紋をつくって、やがて消えておしまいというわけではありません。それは広がりとなって、跳ね返っていろんな形になって、自分に返ってくるのです。

11月20日「心」 (2008.11.20[Thu])

  人間と動物の一番の違いは「心」を持っているかどうかです。人間だけが心という不思議なものを持っているので、心について考える事は、人間にとって、とても大切なことなのです。
  例えば、この心というものをコップ一杯と考えましょう。そして、このコップの中には水が入っています。この水が人間のそのもの、その人そのものと考えてみて下さい。すると、性格や人間性は、この水によって決まってきます。
  清らかな澄んだ水なのか、それともドロドロした水なのか、人間の運命を決めるのは、心のエキスである、この水です。
  ただ、ほとんどの人の水は濁っています。なぜならば、気がつかないうちに、自分や周りの人が、その濁った水をコップの中にたらし続けているからです。この濁り水とは、それまで自分が声に出してきたり、あるいは自分に向けられてきた諦めや絶望、妬みなどのマイナス言葉です。
  「私って本当にダメるえ」「何をしてもうまくいかないなあ」「ア~ア、お金がない」何気なくこんな言葉をこぼしています。
  また、「お前はどうしてそんなにできないんだ」と上司に叱られたり、親から「また途中で投げ出すのか。おまえはつまらない」とけなされたしていると、心の水はどんどん濁っていきます。
  私たちの心のコップには、水が満々と入っています。ですから、自分に向けて声を出したり、まわりの人から言葉を耳にすることは、このコップに滴を垂らしているのと同じ事なのです。溢れる水は、その人の表情や態度や行動になります。立ち振る舞いやしぐさ、そして言葉となって出てくることもあります。
  当然、濁った水より、透明な水がいいのに決まっています。ではどうすれば透明な水になっていくのでしょうか?それは「水は言葉である」という真実を知っておくことです。言葉とは言霊です。とても大きな力を持っています。普段何気なく口に出す言葉が、その人の行動や生き方を決めてしまうぐらいなのです。
  地球上で言葉を使うのは人間しかいません。だからこそ人間は無限の可能性を秘めているのです。言葉の力とその言葉の持つ人間の偉大な可能性を知っていたのが、キリストさんやお釈迦さんだったのです。
  二人が共に残した大切な教えが、「はじめに言葉ありき」です。私は阿弥陀さん大好きの人ですから、「なんまんだぶつ」を称えます。「なんまんだぶつ」とは「阿弥陀さんありがとう」という言葉です。感謝の言葉です。と共に、阿弥陀さんの方から「安心せよ。まかせよ。信じよ」という絶対安心の言葉が返ってきて、自然と「自己評価」が高まります。
  人は「安心」の心が根本にあると、すべてはうまく流れていきます。安心が引寄せられていきます。安心の「水」を心の中に湧き出させるのが、「なんまんだぶつ」だったのです

11月19日「楽しくて仕方ない生き方」 (2008.11.19[Wed])

  人間は何があっても感謝に思える本当のプラス発想をしていくと、周りから自然と嫌な人がいなくなっていきます。そしていつも明るく前向きなことばっかり考えられるので、毎日が楽しく幸せになっていきます。
  人間は、気づきや目覚めを通して、楽しく生きるために働いたり、生活したりするものです。とにかく楽しくなることを目標にして生きるのが一番幸せなのです。それに、楽しくなることを目標にして生きていくと、世の中も、仕事も、人間関係も、少し違って見えてきます。
  例えば、仕事も努力して頑張ろうというよりも、楽しくなるにはどうすればいいのかを考えるようになります。
  さて、どうすれば「楽しくてしかたない生き方」ができるのでしょうか。そのためには、まず他人が持つ「自己評価」を高めて上げる事です。「自己評価」というのは、自分がこの世の中でいかに大切な存在なのかを実感することです。
  まわりの人から感謝されて、世の中の役に立っていることを自分自身が自覚したときほど幸せな瞬間はありませんよね。
  いい車に乗ったり、ブランドのスーツを買ったり、一戸建ての家を買ったりするのも、形をかえて自分の「自己評価」を満たそうとする行為なのです。おそらく、どんな環境にいても、何歳になっても、人間はこの「自己評価」を追い求めて生きているのだと思います。
  それが人間の特徴なのですが、自分の「自己評価」を満たそうとする反面、他人の「自己評価」を奪い取ろうとする悪いところもあります。例えば、他人の欠点を鋭く指摘して悦に入っているタイプの人がそうです。
  他人の欠点を見つけて声高に指摘しても、自分にいいことなんて何一つありません。成功するためには「楽しくて仕方ない生き方」をすればれいいいのです。そのためには、他人の「自己評価」を高めてやればいいのです。要するに、他人に「自己評価」を与えてあげて、それが楽しいと感じるようになると、楽しくなるということなのです。
  他人に「自己評価」を与える一番の方法は、その人を「褒めて」「認めて」「感謝する」ことです。とにかく良いところを見つけては、褒める、認める、感謝するくらいでちょうどいいのです。
  そんなことを繰り返していると、自分も回りも、楽しくて仕方なくなっていきます。
  そういう楽しい生き方を、仏さんは心から喜ばれます。

11月18日「流れよりも直感に従う」 (2008.11.18[Tue])

  物事にはなんでも「流れ」があります。その流れに乗っかった方がうまくいくし、流れに逆らったことをすると、余計な時間や面倒なことやトラブルが起こる場合があります。とにかく、一番最初の自分の本音で選び、あとは流れに任せる、これがあなたの夢や望みに近づく方法です。
  とにかく、一番はじめは、あなたが「快」になる方を選び、そのあとは流れに身を任せるのです.。日常でも、仕事でも、すべてを直感で選んでいくと、タイミングのいいことが起こって、流れがやってくるのです。
  逆に、感情が知らせてくれる方向とは違う方に進んでいるときは、一つのことが次々とつながっていく感覚もないし、実際につながっていきません。一つの行動がプツンと切れて、次の展開が起こらないのです。
  それだけでなく、本心に従わず、常識的や、義務的や、正義感などの思い込みで動いていると、タイミングの悪いことや運の悪いことが起こったり、自分の周りには今までいなかったような居心地の悪い人が現れたり、「なんなのこれ」というような「変な事」が起こり始めます。そしてそんなことばっかりが続きます。
  どういうときにこのサイクルになるかを考えてみると、「居心地が悪いと感じているのに無理して進もうとしていることがある」というときなのです。つまり、直感、本音に逆らって、無理に自分をごまかしながら進んでいるときに、こんなことが起き続けてきます。
  とにかく、「流れ」は、今の自分がどのような状態にあるのかを教えてくれます。「流れ」が来なくなったら、本音に逆らって無理をしていないかどうか、見直すチャンスなのです。

11月17日「迷うときは、そのままほおっておくと直感がくる」 (2008.11.17[Mon])

  直感に従うとうまくいくというお話をしています。
  「気持がのる」ときというのは、その話を聞いたとき、すぐに「それっていいね」と感じるはずです。パッと気持ちが盛り上がったり、明るくなるのです。また、その瞬間はそれほどでもなくても、時間が建つちにジワジワと楽しい気持が盛り上がっていきます。
  逆に、あなたにとって「やめたほうがいい」という情報の場合には、時間が経つほど重荷になったり、気がすすまなくなって、ますます迷います。
  ということは、迷っているということ自体、直感は「大賛成」ではないということです。本音と違う方向へ進もうとしているから迷うのです。こういうときは、無理に答えを出すことをやめて、答えがでるまでほおっおきます。「後は仏さんが決めてくれるだろう」と、一切心配するのをやめて、後は自分の本音が固まるのを待つのです。
  つまり、「迷うときというのは 決める必要のないとき」ということなのです。本音の感覚は自分の未来の情報なので、迷うということは「そのまま決めれば先へ行っても迷う」ということです。
  とにかく、自分の基準は「自分が゛それに向かっていると本当にワクワクするか、楽しくなるか」なのです。ワクワクするという感覚があれば、迷っていても、必ずそのワクワクを選択するようになります。それが未来の情報だからです。

11月15日「夢を実現させる人は常識的な選択をしない」 (2008.11.15[Sat])

  私は、すべて直感に従って生きているとお話しました。これは、人生を変えるだろうと思える大きな選択でも、日常の小さな選択でも、仕事でも、人間関係でも、すべてそうです。この直感に従うと、すべてうまく物事が運んでくれます。
  ですから、直感に従ってますので、理由や論理は勝手に後からついてくるといった感じです。その時、直感で何故それを選んだのかということは、「よくわからないが、なんとなく」といった感じなのです。ただそのときの感覚は「快」か「不快」が重要な基準になっています。「快」であったらやるし、「不快」だったらやらない。ただそれだけなのです。 夢を実現させた人は、常識的な判断とは違うほうを選び、それが思わぬ展開をしてうまくいったという経験をしていることがたくさんあります。
  でもそれを選んだ基準はかなり感覚的な理由が多いのです。本心がそう感じた、ということなのです。まわりの意見やデーターも参考にしますが、それを加味した上で、一番最後は自分の本音の感じ方で決めます。
  感覚で思いついたことだけで大切なことを決めるわけにはいかない、と思う人もいるようですが、むしろ逆です。運がいい人、ついてる人は、自分の本心が思いつくことが自分にとって悪い情報のはずかないと、信じてます。
  回りの意見や常識、頭で考えつく理由をつけて直感とは違う方を選ぶと、たいていうまくいかなくなります。
  例えば、仕事やプライベートで、何かを勧められたり、新しい話がやってきます。このとき本音では、{何か違う感じがする}「あまり楽しそうじゃない」と感じたのに、おだてられたり、情でからんでいったり、義理にしばられたり、常識にとらわれたり、利害損得や保守保身が働き出すと、頭はだんだんと無理に「選ぶ理由」をつけ始めるのです。
  このような頭で考えた理由でそれを始めると、途中で必ず何かのトラブルが起こったり、それが原因で嫌な思いをすることになったりします。
  私にも、この数年、こんなことはいっぱいありました。「どうもワクワクしない」と思いながら始めたり、何かを常識的に選択すると、結局は、最後は一番はじめの感覚にぴったりの面白くない結果になるのです。
  もちろん、逆のこともたくさんあります。特別な理由はないのに、「いいかもしれない」と感じたことは、その条件などに関係なく、自分にとっては{やっぱり良かった}という状況で進んでいきます。
  ためしに小さなことで実験してみてください.。一番はじめに感じたとおりの結果になっていくということが、分かると思いますよ。

11月14日「直感的に生きよう」 (2008.11.14[Fri])

  直感とは、自分の本音の感じ方です。あなたが望むような方向に進んでいくには、日々起こることや,何かを決めるときに直感で選ぶことです。
  一度夢を設定すると、その夢につながるようなことばかりが回りに起こり始めます。始めは小さな変化なのでなかなか気づけませんが、設定された夢に関係ある出来事や情報が集まってきます。ですから、やってくることはすべて夢につながっていると安心して受け止めて、どんなことでも「プラス発想」で通過すれば次につながります。
  そしていろんなことがやってきた時、右か左かを選ぶのはすべて直感です。あまり深刻な考えなくても、直感で決めたことは引寄せの力が働きますから、その方向で進めば間違いありません。
  直感とは、自分の本音の感じ方のことです。自分の心の奥底の本音を直に感じることです。そのことに素直に生きていくと、必ず物事が回りのサポートも手伝ってうまくいくようになっています。
  ところが、普通の人は、日常や、何かの選択の時、直感が来てもおおよそ頭の中でいろんなマイナスのことをグジャグジャ考えて、直感に従いません。目の前に来ていることがチャンスでも、結局はそれを逃がしてしまったり、遠回りをしてしまったりするのです。
  さて、この直感ですが、単純にあなたの気持ちが「快」になる方を、選べばいいということです。
  「楽しい」「うきうきする」「好き」「明るい気持になる」「やる気が湧く」「気が乗る」というような気持になることのほうを選び、「ゆうつになる」「嫌だ、苦手」「うきうきしない」「居心地が悪い」「なんだか気が重い」というような感情が湧き起こるものは選ばない、やらない、またはちょっと様子をみるということです。
  はじめに感じた気持のままそれを選ぶと、その思いに「引寄せの力」が働くので、それにふさわしいように物事が展開していきます。ですから、嬉しい、楽しいと感じたことは、ますます嬉しく、楽しい出来事が起こってうまくいきますし、嫌なことは、ますます嫌なことが起きてうまくいきません。
  夢の設定をしたとき、あなたはもともと自分が楽しい気持になることを設定しているはずなので、それと同じような「快」になっていくことだけを選んでいけば、結果的に夢の実現につながって夢は現実化していきます。
  だから、私は誰がなんと言おうと、それがどんなことであろうと、私自身の「快」か「不快」かという直感に従うことにしています。そういう意味では自分の本心に超素直な生き方をしているといえるでしょう。
  実は、この自分の本心に超素直に生きるということが、仏さんと共に生きてるということであり、浄土への道を歩んでいるということなのです。仏さんの願いは、おまえはおまえの「いのち」が喜ぶ生き方をしなさいなのですから。

11月13日「本当のプラス思考」 (2008.11.13[Thu])

なんでもプラス思考がいいということは、本屋にいったら、いたるところで書かれています。あなたは本当のプラス思考の意味を知ってますか?
プラス思考は、とりあえず物事の良い面を無理やりにでも見つけて、その場の気持ちを明るくしようとする「その場しのぎ」の方法ではありません。また、苦しいときにもなんとか明るくふるまって、また頑張ろう!という「励まし」の方法でもありません。
何があっても、自分は仏さんの「お育て」にあってると心から思え、それが人から見たら嫌なことであっても喜べ、大きな気づきを与えられたことを感謝できるのがるのが本当のプラス発想なのです。
大きな嫌なこととは、自分の考えをひっくり返せるチャンスだからです。そういうことが分かっていると、人に同情することがなくなってきます。その人が悲しみ、苦しみ、悩むことは、その人自身の心をひっくり返すために必要なチャンスだからです。そういってたことがない限り、自分が自分を「変えよう!」と決意することがないからです。
ただ、そういった場合、多くの人たちは法則を知りませんし、関心を持っていませんから、世間的な解決策を、ああでもないこうでもないと輪廻します。まさしく相談された方も、相談者も智慧がないので無明を永遠にさ迷うのです。そして結果的に、あの人が悪い、あの環境が悪いと他者責任に転換していきます。
当然、相談者は自分の同情をかうようなことを相手には伝えますので、相手もその無明にはまっていくわけです。
すべて自分に起こることは因果の道理で起こっているのです。誰に文句を言うことはありません。それよりも、仏さんは自分に一体何を伝えようとして下さっているのか、そのメッセージを感じ取ることなのです。
そして、劇的に自分を変えるチャンスが到来したことを喜び、面白い展開の始まりと思えばいいのです。こういう心境は、日ごろから念仏を称え,仏さんの救い、大きな愛と共に生きてないとなかなか難しいと思いますが、まず知っておいてもらいたいのは、どんな理不尽なことと思えることも、全部自分が大きく変われるチャンスだということです。だから、決して人や環境のせいにしないということです。
何かを知らせるためにそれが起きてるわけだと気づくと、その人の生きてる次元は一瞬に変わります。
仏さんは、いろんな手を使って私たちに気づきを与えようとしてくれています。人間関係の不和、家族の不和、いざこざ、体調不良、大病・・・、気づきがないと、その人にとってだんだんと重くつらいことに形は変わっていきます。はじめから重く苦しいことが起きるのではなく、小さな現象からお知らせが来て、それに気づけないと、だんだん大きなものへと変わっていきます。気づくチャンスはいくらでもあります。目の前に起こる事象は、そのためのメッセージなのです。いつも仏さんの「お育て」にあっているのです。

11月12日「マイナスなイメージからさよならする」 (2008.11.12[Wed])

私は、人にとって何が一番大切かと言うと、自己評価に勝るものはないと言います。なぜかというと、自己評価の高い人ほど、運がいい、ツイてると思えるし、プラスのイメージが強くて、何より自分のことを愛しているからです。
引き寄せの法則から言うと、こういう自己評価の高い人ほど、プラスの現実を引き寄せる力を持っているわけです。
この自己評価の高さ、つまり、自分は生きる意味がある、存在意義がある、愛されているという安心感覚は、おおよそ子どもの頃に、親の影響力や周りの環境の影響によって育まれていきます。
また、自己評価が低かった人でも大人になって、こういった法則を学び、法則を生きることによって後天的に自己評価は高まっていきます。だから、法則を学び、法則を生き、法則を体験するということは物凄く必要なことなのです。なかでも、安心が絶対的なキーワードです。
逆に、遠ざけなくてはならないのが、不安、心配、嫉妬、愚痴、不平不満といったマイナスです。これらのマイナスのイメージは、一度心の中に入り込んでしまったら、中々取り消すことはできません。だから、そういうマイナスはかかわらない方がいいのです。
親鸞さんという人は、物凄く占いや迷信を嫌いました。私にはその根拠が凄く分るのです。それは、「あなたはこのような悪いことが起きる.こうしないとだめになる」なんて言われてしまったら、そのインプットの強さは物凄いものなのです。なかなか消せずに、逆に「そうなりたくない」イメージの方向に引寄せの力が働いて、結果的にはそうなってしまうということを引寄せてしまいます。なんのこっちゃなのです。
それよりも親鸞さんが徹底して伝えて言ったのは、仏さんの大きな愛に包まれて安心なんだよ、だから占いや迷信なんかに惑わされずに,強く明るく今を生きていきなさいと、仏さんから与えられる無条件の愛、大安心を、親鸞さんは徹底して伝えていったのです。
実際、四柱推命とか、算命学など、その人の持って生まれた星の流れや暦の影響、森羅万象のエネルギーなどから分るその人の傾向や資質などは、まったく嘘ではないと思います。真言宗なんかでも、この手の占いを行っています。ただ、人間は弱くて勝手なのです。自己中心的なのです。当たっただ、当たらなかっただとか、そんな依頼心や迷いの心を拡大させるよりも、その人の人生は、ことより、その人の意識の持ち方と、日ごろの暮らしぶりによって、統計的なものですら全く変わってしまうのです。
もっと分りやすく言えば、安心で生きているのか、不安で生きているのか、ということなのです。もう一度引寄せの法則を思い出して見てください。ここで私が何を伝えたいのかが分るはずです。運命は自らの意識によって大きく変化していきます。であるならば、仏さんの大きないのちの安心の世界を生きた方が、絶対にいいに決まってますよね。

11月11日「病気にならない方法」 (2008.11.11[Tue])

病気には誰だってなりたくありません。ところが病気になってしまいます。「病気になりたくない」と思うと、病気になってしまったら困るということを具体的に考えてしまうので、結局は病気をイメージしていることになります。
だから、病気にならない方法は、「病気になりたくない」じゃなくて、健康な自分をイメージすればいいのです。
親が子どものことを心配するのは当たり前と思いがちですが、これも逆効果です。例えば、「このままじゃあこうなってしまうわよ」「ああなったら困るでしょ」「こんな大変なことになるのよ」と口に出しながら心配したり、怒ってみたり、脅してみたりなんてことをしていたら、ますます親も子も悪いイメージができて、惡い情況を引き寄せます。
この場合、そんなことを言うよりも、子どもが元気に学校に通っている姿、楽しそうに勉強している姿、友達と仲良くしている姿をイメージすることなのです。
これは、職場でも仕事でも同じです。
たとえば、いつもミスをする人に、「またおまえか。またやったか」と思ったり、言ったりしていると、自分のイメージもそういうものを作り上げていきますし、相手も「ミスをしたくない」と思えば思うほど、ミスするイメージができてミスを引き寄せてしまうのです。
「こうすれば大丈夫」と安心のイメージをお互いに持てることが成功のカギなのです。
私が園長を勤める保育園は仏教保育です。仏教保育とは安心保育です。仏さんといつも一緒ということを、何度も何度も安心と共に伝えることによって、子どもの心の中には安心が育っていきます。この安心を徹底的に育てていくのが仏教保育なのです。
今回、引き寄せの力を連載していますが、何故私が、口をすっぱくして、「安心を与えて自己評価を育てていくことが一番大切なことなんだよ。そのためには、まず保育師や職員が仏さんと共に生きて、安心の世界を生きていかないとな」と伝えているのは、こういう根拠があるからなのです。引き寄せの法則はものすごくリアルに良い惡い関係なく子どもも、大人も、働いてくるからです。保育園でどれほどその子に安心を与えていけるか、感動の心を育てることができのか、それがすべてなのですから、まず自身がそうならないと安心や感動は伝わっていきません。
子どもや、いつも一緒にいる人の状況を変えたい、好転させてあげたい、と思うのであれば、不安なイメージをあおるのではなくて、望む方のイメージを与えてあげることです。
それには、まず自分がそう思い、常に安心と感動を生きるということなのです。
何があっても、私たちには仏さんがつきづめ、守りづめです。安心して生き、安心して死んでいく。後は仏さんに任せればいい。そういう安心の人生を生きていきましょう。
不安や心配は百害あって一利なしということ、よくよく覚えておいて下さい。特にそういう癖のある人はなおさらそうですよ。

11月10日「解決したければ心配するな」 (2008.11.10[Mon])

引き寄せの力は、良い方向にも悪い方向にも働いていきます。
安心な意識であれば、安心な出来事を引き寄せます。不安や心配があればそのことを引き寄せます。
例えば、仕事で悪いことがあって、いつまでもイライラしたり沈んでいたりすると、次々と悪いことを引き寄せていきます。自分に起こることは、一枚のテーブルクロスのようなもので、一つの部分がグッと下がると、周りも全部下がって、すべてにおいて心配や不安なことが引き寄せられていくのです。
よく、人のことを心配したり、なんでもないことを心配する人がいますが、一見良いことのように見えても、心配することによってすべてを悪い方向へ進ませてしまいます。ゴルフの場合でもそうです。バンカーに入れたくないと思えば思うほど、バンカーに入ってしまう。心配した方向に物事は進む、ということなのです。
そのことに多くの人は気づいてません。ですから,自ら心配し、自らが心配事を引き寄せるという、まるでばかげたことを繰り返してしまうのです。
これは、そうなりたくないことを考えているときというのは、そうなってしまったら困る自分の気味もちをイメージしていることになって、イメージ通りのことを引き寄せてしまうからです。
皆さん、このことを覚えておいて下さい。「こうなりたくない!」は「こうなる!」とイメージしているのと同じだということを。実は、強く避けていることは、強く望んでいるのと同じぐらい現実化されていきます。これは嫌がっていることもです。
そういう人は、必ず無意識に不満や不平を漏らしています。そういうマイナスのことをつい言えば言うほど、それと同じことを自分に引き寄せてしまうのです。
だから、過去の嫌なことはできるだけ思い出さないことです。意識が感じているとおりのことが引き寄せられてくるからです。
運が強い人たちの特徴は、嫌なことはサッサと忘れるという点があります。これは理に適っていて、解決策がないときは忘れたほうがいいのです。
自分にはどうしようもないことが起きたときは、それを考えるのはすっぱりやめる。後は、仏さんにお任せする。凄く無責任に聞こえるかもしれませんが、考えないほうがうまく物事が流れていくのです。
とにかく、安心して、すべてを仏さんに任せておけばいいのです。安心していけバイクほど、安心の出来事が引き寄せられてきますから。
仏さんと一緒。このことが一番の安心なのです。

11月8日「いつも゛いのぢがワクワクしているか」 (2008.11.08[Sat])

私は、自分で言うのもなんですが、物凄く単純で素直で行動的で、ワクワクすることしかできない性格なのです。自分をごまかせないというか、表面的に、社会的に、立場的に納得させてやろうとしても、自己矛盾が起こって全くやる気がなくなっていきます。そういう意味では、ワクワクの夢を現実化させるのにはもってこいの人と言っていい気もします。 とにかく自分の過去を振り返ってみても、ワクワクすることは100パーセント現実化していきました。昔はまだこの世的な価値観の願望実現の様相もあり、仏さんのお心とは若干ずれていたので、結果的にはその時期抱いていた夢を現実化したとしても゛いのぢは喜んでいませんでした。そんなことを繰り返しながら自己矛盾の度に、本当の成功とは何か?を強く求めていきました。
世間一般の「成功」という概念は、経済的、物質的なことや、名誉や地位的な事がほとんどですが、それを本人が望んでいるのなら、段階的にはちっとも悪いことではありません。それも一つの夢の実現、成功だからです。
でも、一番大事なことは、それによってその人の゛いのぢが本気でワクワクしているかどうかなのです。自分が幸せを感じるとときを思い出してみると、その状況だけではなくて、気持ちがワクワクしているのか、穏やかに幸せを感じているかどうかという「気持ち」が実に大きいのだと思います。その「気持ち」がなければ、過去の私のように、状況がそろってもむなしかったり、他のなにかを探したくなったりします。
それと、今を楽しんでない人、今に感謝できない人は、夢が実現しても楽しくなれないのです。つまり、今の生活に不満がある。足りないものがある、だからこうなりたいと考える人は、現状を否定しているわけですから、そこに続く今はやってこないのです。
童話の「わらしべ長者」のように、今、目の前にあるものを大事にして感謝していると、それが次に化けて、それを純粋に喜んでいると、またそれが次の面白い展開を引き寄せるのです。
ですから、夢を実現する、幸せ一番の近道は今の現状に感謝しているということなのです。また、強引に自我の力で夢を実現することができたとしても、お金や物に余裕ができても決して楽しくなれないし、「いのち」の喜びなんて味わえるはずはありません。
すべてがそろっているように見えても、社会的に成功しているように見えても、本人が不平や不満を抱いていたら幸せではありません。逆に、人から見たら、幸せでないような情況でも、そこにいる本人が物凄く楽しんでいる場合もあります。
つまり、幸せとは、他人の価値観で判断できるものではないということです。その人が、「幸せ」と思えれば、他人の迷惑にならない限り、なんでもありなのです。
本人がどう感じているかが、結局は一番重要なのです。

11月7日「どんなにも大きな夢でも志さえ高ければ現実化されていく」 (2008.11.07[Fri])

人の話を聞いていると「夢」を抱かない人の多さにびっくりします。また「夢」を「欲」と思い込んでしまってる人もです。まあ、それはそのことに執着心を持っているということなのですが、いずれにしても、自分も回りも「いのち」が喜ぶワクワクすることを目指せば間違いありません。
とにかく、「夢」とは、そのことを考えると、とにかく自身の「いのち」がワクワクするということがない限り実現しません。もし、実現したとしても自我が動機の場合は、後々おかしなことになっていく場合が多いのです。
「いのち」がワクワクするとは、多分、そのワクワクした意識の波長に゛引き寄せの力゛が働いて、それにふさわしいものが引き寄せられてくるのだと思います。
さて、シンクロニシティという言葉があります。これは、単なる偶然ではなくて、その人にとって重要な意味が隠されている、意味のある偶然の一致ということです。実は、夢が現実化してくる前は、このシンクロが頻繁に起こってきます。
例えば、この場のことで言うと、ある日を境にマスコミから頻繁に取材を受けだして、新規の顧客が増加していく。必用な技術や情報が向こうから勝手にやってくる。この技術を世の中に知らしめるために、いろんな人がアナウンスしだす。こんなことは序の口なのですが、こちらから一切アクションを起こしていないのに、自然とこういったことが頻繁と起こってきます。これをシンクロと言うわけです。
また、この夢の実現、シンクロが頻繁に起こってくる人は、実に単純な人ほど多いです。これは、夢の実現に対してまったく疑いがないからだと思います。つまり、子どものように素直に「こうなりたい」と、ただ楽しく想像できることが必要なのです。この「楽しく想像する」「想像できる」という人は、意外といるようであまりいません。なんの邪心もなく夢のことを思い描けるというのは、すごいことなのです。それは、その人が子どものように純粋な証拠であり、そこに欲がないし、邪なない思いがないからです。
ですからこういう人は、まわりから見ると信じられないラッキーなことやタイミングのいいことが重なって、凄いスピードで夢が現実化されていくのです。「素直に単純に信じることができる」ということは、ある意味、才能なのだと思います。
逆に、なかなか夢が実現できない人は、疑いが強い人、自身のことを認めてない人、感謝がない人が多いようにも思います。
とにかく、夢を実現させる近道は、今の状況がどんな状況であろうと、感謝できるということなのです。こうなったら、ああなったら感謝するなんていうのではなく、どんな状態であろうと、すべてはうまくいっているのです。大きな流れの中にあるのです。今を感謝できる人は、その気持ちにふさわしい出来事を引き寄せてくるので、,今度は,本気で感謝したくなるような事柄が起きてきます。これを繰り返していくと、いつの間にか夢の実現に感謝している自分に気づけます。やはり、感謝に勝る能力無しなのです。

11月6日「夢の実現に向かって」 (2008.11.06[Thu])

夢の実現のプロセスについてお話します。
まず、はじめに「こうありたい」という夢があります。その次に、そうなった時の自分や周りをイメージします。これはより具体的でなくてもアバウトでいいのです。
そして、その目標に対して必要なことを具体的に整理します。その中でも特に必要なこと、これだけは絶対に常用なポイントを自分の心の中に落とし込みます。また、逆にこれだけは絶対にやってはいけないことも決めます。
後は、「よし!」とスタートを切って、流れに身を任せます。目標はしっかり決まっているので、迷いなく進めます。当然、途中にはいろんな予想外のことも起こってきたりしますが、その都度、目の前に現れてくる現実を逃避することなく、一つ一つ課題を克服しく度に、自己成長していきます。
大事なことは、夢を思い返すときに、自分にとって同じ夢のイメージが出るということです。そうでないと、その夢は現実化されていきません。これは日々の現実や仕事もそうですが、曖昧な夢やイメージの設定をしていると、その曖昧なまま現実が引き寄せられてきます。曖昧な夢の設定とは、こういうのもいいけど、あああいうのもいい、といったような、何が望みなのか自分にもわからないという状況です。そうすると引き寄せられてくるものもあっちもこっちもごちゃごちゃになって、どれも中途半端に展開してしまうのです。
私は、浄土のような「いのち」の歓喜する会社という場を創りたいと本気で思いました。
浄土とは相照の世界、ああたらこうたらといった、屁理屈や私利私欲や保守保身や裏表がなく、人と人の壁がない以心伝心できる単純で透明な愛の世界です。そういう浄化された場で、最高のクリーニングをやってみたい、それが具体的な夢でした。世間は、相殺の世界です。お互いを殺しあう世界、自我にとらわれた世界、これが普通の世の中なのです。
浄土を目指したい。そのためには、当然、私を含め、ここに集う人たちの心の変化が必要です。こういった気づきの社内報を毎日発行し、日々の出来事や課題の中から自分を内観し、新たな決意と同時に、古い殻を抜き捨てて新しい自分に脱皮し続ける必要がありました。また、古い体質を改善し、洗い、仕上げ、染み抜き、染色などの技術を再構築し、よりグレードの高い仕事内容を目指すことも必用です。極めつけは、多能工の推進です。一人が一つの仕事に留まらず、何役も自由にこなせる。このことによって人間の意識や技能は著しく拡張し進化していきますし、常に新しい自分に生まれ変わっていけます。
夢の実現に向けて、一気に加速しながら変化を繰り返し、走り続け、脱皮し続けてきたのが今です。特に、私が君津工場に入ったこの5月から、変化は物凄い大きな渦となって起こっていったように思います。
現在総勢で20名余りです。その少ない人数で、50名の時以上の仕事をこなしています。ただ、私も回りも、「生きてるぜ!」という実感と共に、「生かされている」感謝も深まりました。明らかに、夢のワクワクの浄土の世界は現実化されてきていると実感しています。

11月5日「考えてというよりも、感じて生きるということ」 (2008.11.05[Wed])

  自分に起こることは、すべて因果の道理で引き寄せてられ起こってきます。昔から言った、善因善果悪因悪果ですね。これは単純なものではなくて、いろんな自分の意識してやったことや無意識でやってしまったことの心・口・意の三業が絡まって、縁が熟したら目の前に必然的に引き寄せられてきます。
  ここで皆さんにお伝えしたいのは、あなたは一人で生きてると思ってますか?
  それとも、生かされていると思ってますか?
  自分は自分で生きていると思ってる人は、ほとんどの人でしょう。自分は自分なりに頑張って生きていると思ってしまうのも今の世の中の風潮では当然なのかもしれません。ただ、こういう人はどこか傲慢で自分を省みることや感謝がありません。
 人はいろんな挫折を経験したり、苦難をのりこえる度に、何度も脱皮していきます。そして、「自分は生きている」から「生かされている」に変わっていきます。
 仏教では、このことを「お育てにあう」と言います。つまり、自分にとってどんなに都合の悪いことも、嫌と思うことも、実は仏さんから与えられた、自身を脱皮できるチャンスなのです。
 脱皮するとは、自分の古い価値観や思い込み、プライドやさまざまな固定観念から解放される、そういった自我の重い心を捨てて心の自由を獲得していくことです。人は重い心、とらわれの心を捨てれば捨てるほど、生きているから、生かされている、に心がひっくり返っていきます。
 自分は皆のおかげ、目に見えない先祖や、大きな大きな愛の仏さんの力で生かされていると本当に思えるようになるには、どうしてもこの脱皮の繰り返しが必要なのです。そういう人は、何があっても感謝に転じていけます。
 すべては、自分の発する波長に引き寄せられて起きてきます。
 生きていると思い込んでる人は、自分一人が生きていると思わざるおえない事象や出来事を引き寄せていきます。生かされていると思っている人は、生かされていてよかったと思える事象や出来事を引き寄せていきます。
 仏さんと共に生きるという事は、決して良いことばかりを引き寄せようと欲望や願望をつのらせることではありません。それでは執着や我執につかまって、心の自由どころか、心は重く硬くなっていきます。仏さんと共に生きるということは、どんなことが起こってきても、お育てにあってると喜べるということです。古い自分を捨てて、新たに生まれ変われると感謝できることです。
 本当のプラス発想とは、そういうことなのです。生かされていると思える心は、どんどん古い自分から新しい自分へと生まれ変われます。それと同時進行に、新しい世界が目の前に引き寄せられてくるのです。楽しいですよ。

11月4日「鏡の法則」 (2008.11.04[Tue])

  誰かに褒められたら、今度は褒めてあげたくなる。
  いじめられたら、いじめ返したくなる。 親切にされたら、親切にしたくなる。
  悪口を言われたら、悪口を言い返したくなる。
  人間はそんな生き物です。
  人間性には、先天的に持ち備えたものと、後天的に獲得していくものがあります。つまり、人間性は後天的な経験と気づきによって、成長し変えることができるのです。
  世の中の人間のあり方は、はっきり言って性悪説です。愚痴、不平不満、傲慢、陰口や悪口、疑いや裏切りなど、とても人間には仏の心が宿っているとは思えないと感じることもあります。
  ただ、仏さんの教えを学べば学ぶほど、自分の愚かさや傲慢さに気づかされ、相手の素晴らしさや長所に目を向け、物事をありのままに見ていくことができるようになっていきます。仏教を学ぶことは、まさに人が人間になっていく道を歩めるものなのです。
  そこに、私は強く魅力を感じます。
  『鏡の法則』は良くも悪くもありのまま働きます。
  ただその「鏡の法則」は、私たち人間を、より幸福に、より「いのち」が満たされる方向に、導くために仏さんから与えられたものだと思えます。
  私たちの水洗いは、もっともっと成長していこうとしています。技術やサービスの進化を目指すばかりでなく、生き方や考え方もそれに該当します。
 お客さんから大切にされる企業を目指すために、まず私たちが、お客さんを大切にしていくこと、そのためにはデリカシーとスピードが必要です。デリカシーは、相手に対する思いやり。スピードとは即時対応力です。この二つを実践することによって、鏡の法則はよき方向に働いてくれます。 このことを決して忘れてはいけません。

11月3日「学習好きな人は根っからのプラス発想ができる」 (2008.11.03[Mon])

  学習好きの癖をつけていくと、あらゆることに根っからのプラス発想ができるようになっていきます。そして、成功を信じ、イメージ化することによって、物事は本当に現実化されていきます。
 また、すべての事象は偶然めいた必然の、因果の道理から目の前に現れてきます。すべての経験を、自分にとって必要、必然の学びの機会と考え、すべてが自分に用意され、課せられた問題集であるとすれば、そこから必ず、何らかの学びはあるはずです。
 学んだことを実感できると、自然と感謝の念が起きます。根っからのプラス発想は、感謝の念から起こります。
 この世に起きるすべての自称は、仏さんから与えられた気づき、目覚め、自己成長のための、この世的な方便なのですから。

11月1日「本当の学習好きになろう」 (2008.11.01[Sat])

  私は自分自身の経験や価値観という枠に『とらわれすぎる』ということを極力やりません。それは新しい知識や他者の意見を吸収するのが難しくなるからです。また、自分の知らないことや異なった見方を、頭から否定せず、何事も素直に耳を傾けると、自然に情報が集まり、新しい知識を身に着け、新たな創造を生むことができるからです。
  『本当の貪欲さ』『本当の学習好き』な人。『成長好きな人』は、知らないことに興味があり、よほどのことでない限り、どんなことにも関心を持ちます。興味を持っていると、周囲もどんどん情報を提供してくれたり、開示してくれ、自らも学習して楽しんでいけます。
  勉強というと、何か学校での強制的な教えというイメージが強いので、あえて自主的・自発的にやる学習という言葉の方が今の私にはピンとくるので、あえて学習という言葉を使いますが、実際は勉強熱心な人ほど情熱的な生き方、人に共感を与える生方ができるものです。
 とにかく今の私は、水洗い時や、その後に繊維に与える潤いや光沢、また、腰やはり、そして、柔軟性を与える自然な加工剤にとても興味があって、それについて学習し、今よりも良いものを追求しています。
 そのために、わざわざ専門業者の社長さんにおいでいただき、新たな加工剤の開発を要求できるようになりました。その結果、ここの仕上がりは一段も二段もレベルアップされていくはずです。そうすれば、お客さんも今以上にとても喜んでくれるはずです。
 人は人に喜びを与えるためにこの世に生まれてきました。また、仏さんはそのことを一番願われています。
 素直で学習好きは、自らを伸ばし、なおかつ心底楽しめる何かを持つことができるような重要な素地だと思っています。


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