10月30日「無我に生きよう」 (2008.10.30[Thu]) |
共産主義も資本主義も、理想を追求していきますが、結局人間は煩悩があることによって自己中心的な社会を築いていってしまいます。資本主義は結果的に、地球環境の破壊によって、地球を深刻な状況下まで追い込んでいっています。地球という生命が深刻な状況下にある証拠に、ここでは世界で起きてる気候異常気象が、100年前の約50倍に増えています。 |
10月29日「仕事は忙しい人に頼め」 (2008.10.29[Wed]) |
唐突ですが、仕事ガ好きでない限り,人に喜ばれる仕事なんてできません。すべての仕事は自分が成長するためにやっていることだと考え、自ら進んで仕事に取り組めば、人はみるみる成長していきます。しかも喜んで取り組めば、さらに自己成長を遂げて人に喜ばれる仕事ができるようになります。 |
10月28日「テレビからは本当の情報は得られない」 (2008.10.28[Tue]) |
今の日本国内で評価されるのは、テレビコメンテーターのような人です。彼らは、常に世論を刺激しない発言を心がけているようにも見えます。逆に言えば、そこにはオリジナリティがほとんど見受けられません。 |
10月27日「もったいない」 (2008.10.27[Mon]) |
ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが、「もったいない」という日本語に感銘を受け、「MOTTAINAI」」という言葉を環境保護の合言葉として世界に広めようと決意されました。 |
10月24日「人を見る目」 (2008.10.24[Fri]) |
相手を正確に見抜く目をあなたは持っていますか? |
10月23日「自分を磨く」 (2008.10.23[Thu]) |
よく、「あの人は凄いオーラがある」という言葉を聞くことがあります。逆に「あの人はオーラがない」という言葉も聞きます。 |
10月22日「感動するということ」 (2008.10.22[Wed]) |
最近、工場にいろんな人が訪れて来ます。そこで人々が口にする言葉が「すごい!」「感動した!」です。そういう人たちは、みんな利害損得を超えた、感じる心、熱い心を持っています。だから、本気の仕事が伝わっていくのでしょう。 |
10月21日「仕事は評価されるためにやるんじゃない」 (2008.10.21[Tue]) |
いろんな人と話をしていると、よく「自信が無い」とか「自分を好きになれない」とか言います。 |
10月20日「誰と出会うかは宿命。どんな関係に育てるかは運命」 (2008.10.20[Mon]) |
仕事も人生も人で決まります。 |
10月18日「天職と適職」 (2008.10.18[Sat]) |
お金は生き金として使う中で、価値が生まれるものとお話しました。使い道もないのに、ただお金だけあっても、そのお金は全く価値のないものです。また、ストレスを解消するために使うのもです。 |
10月17日「お金について道」 (2008.10.17[Fri]) |
11月14日〜15日にかけて、国税の監査を受けました。 |
10月16日「心身一如」 (2008.1016[Wed]) |
白隠というお坊さんが、人間は思い癖によって病気になると言われ、次のように語っています。
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10月15日「執着を捨てる」 (2008.10.15[Wed]) |
この世にある苦難は、そのおおもとにあるものはシンプルに言うと「執着」です。病気、金銭問題は苦の一例でしかありません。
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10月14日「奇跡的」 (2008.10.14[Tue]) |
何より「生きる」ということは、様々な苦難や困難を体験しながらも、「自分は仏の子である」「仏の子として利他的に生きる」ということを思い出す作業でもあると思うのです。目に見える世界だけにとらわれ、執着していると、本質的な感覚、感性がぼけていくのです。 |
10月13日「人生とは自分の心・技・体を鍛えるスポーツみたいなもの」 (2008.10.13[Mon]) |
人はこの世にう生まれ、人それぞれ、さまざまな生き方の中で経験を得てこの世を去っていきます。
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10月11日「因果の道理」 (2008.10.11[Sat]) |
仏教は因果の道理、つまり因・縁・結果の法則を説きます。 |
10月10日「人間の“いのち”は感動の体験によって磨かれていく」 (2008.10.10[Fri]) |
人間の“いのち”は感動がある限り、死ぬまで「青春」なのだと思います。「感動」とは、感じて動くこと、心が動くということです。
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10月9日「物差しを捨てるのが南無」 (2008.10.09[Thu]) |
物事を自分の物差しで判断するのを「分別」と言います。その智慧を「分別知」と言います。私たちは生きていく中で、物事を良いとか悪いとか判断します。
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10月8日「南無とは」 (2008.10.08[Wed]) |
悲しいことは、悲しい。辛いことは、辛い。悲しいのに悲しくないと、感情否定する必要はありません。悲しいことですから、悲しみを素直に悲しんでいいんです。悲しいことは悲しい、辛いことは辛い。
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10月07日「阿弥陀仏とは宇宙の願い」 (2008.10.07[Tue]) |
僕たちが存在する宇宙にはある願いがあります。その願いとはすべての“いのち”が幸せであって欲しいという「願い」です。
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10月6日「仏法聴聞すること」 (2008.10.06[Mon]) |
毎朝、朝礼では「仏法」のお話をします。 |
10月4日「弥陀(みだ。仏さん)の誓願不思議(せいがんふしぎ)」 (2008.10.04[Sat]) |
仏さんの心が僕たち一人ひとりに訴えかけてくる、僕たちの心がそれに答える。それは同時に起こります。そのことはもう不思議としか言いようがありません。分かっている人は一々それを説明しようとは思いません。人間が説明できるようなことではないからです。
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10月3日「感応道交(かんのうどうこう)の世界」 (2008.10.03[Fri]) |
永遠なる大きな“いのち”、仏さんに生かされていることが直感的に分かる人は、自分の力で分かるのではありません。分からせてもらっています。歎異抄の「弥陀(みだ)誓願不思議(せいがんふしぎ)に助けられまいらせる」ということは、そういうことです。
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10月2日「人間の生き方には二つの生き方がある」 (2008.10.02[Thu]) |
人間の生き方には二種類あって、自分が自分の力で生きてるのだと思っている人(世間の大多数)と、永遠なるものを見つめ、目に見えない永遠なるものに生かされているのだという人とはっきり分かれてしまっています。
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10月1日「信心とは自分のエゴの外に出ると言うこと」 (2008.10.1[Wed]) |
「南無阿弥陀仏」を称えると言うことは、自分の中に握り締めているこの“いのち”を、仏さんの大きな大きな“いのち”の中に解放せよ、小さな自分の固体を突破せよと、大きな“いのち”が教えてくれるわけです。
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