2007年07月の日記

鬼塚ちひろさんの歌に、こういう歌があります。 (2007.7.31[Tue])
「この鎧は重すぎる 私にはとても 優しささえ伝わらずに
倒れるのは嫌 もう誰もあなたを責めたりしない そんなの早く脱いで」

人間は大なり小なり心の鎧を着込んで生きています。
この鎧は無意識に着込んできたんですね、生きるために。自分を守るために。重い鎧を着込んできた。

この「心の鎧」のよくないところは、周りからの攻撃も跳ね返すけど、周りからの愛情、優しさも跳ね返してしまうってことです。

他人や部下、また家族や子どもにかかわる場合、相手が甘えてきた時に、鎧を持った大人は、それを跳ね返してしまう。つまり、相手を突き放してしまうんです。
その人は、こういうふうに思ってます。

「所詮、人間というのは一人ぼっちだ、人を当てにしても最後は逃げるし、結局は裏切られるだけなんだ、裏切られるくらいなら自分一人で生きていけばいい。自分一人で頑張ればいい。だから、おまえも、人を頼ろうとするな。人に甘えるな。自分一人で生きてくことを決めて、行動していきなさい。人生は一人で生き、一人で死んでいく。だからこそ潔さを持って生きていきなさい」

そういう考えですね。誰あろう、これはちょっと前までの僕の姿です。智慧というデーターは一杯頭の中に入ってるから、何でも答えられる。ただ、何かが足らないってずっと思ってました。

甘えを受け容れることができず、本当の意味で心底人に愛情を伝えることができない。何か問題が起こっても、自分が甘えたことがないので、相手に対して正論を伝えることはできても、本当はどうしたいいのか分からない。それを無理やりやろうとすると、バランスを崩して、自分がおかしくなりそうになる。

しかし、そういう人も、子どもや相手の甘えにとことんつきあっていくと、人との関わり、甘え、甘えられることの喜びを感じられるようになっていきます。「ああ、甘える。甘えられるってとても気持ち良くて安心感を得ることなんだ〜」ってね。
心のどこかで、今まで裏切られることを恐れて人を拒否して生きてきたけど、それは本当は寂しい生き方だったんだって気づいていきます。本当は自分も、素の自分に戻って、愛情を人一倍求めていたんだってことにも気づいていきます。
すると人前でいいかっこうしたり、人に負けまいと頑張ったりすることが、なにかアホらしくなっていきます。「人はみんな弱い存在なんだ」って共感したり慈しみが起こってきます。「甘える」「甘えさせる」ってどれだけ大切なことなのか、物凄く実感しています。

★甘えない人が自立するのではなくて、甘えた人が自立していく。

「この人のおかげで、成長できている」 (2007.7.30[Mon])
親が子どもを育てるといいますが、実は親は子どもに育てられているって僕は思います。これは上司と部下の関係だってそうです。

子ども小さくても、完璧に人なんです。親が子どもを育てるんだという傲慢をまず捨てれば、その子がたとえどせんなに小さくても、もうすでに一個の人格を備えていることが見えてきます。それを大切にして、この子は将来どんな大人になるんだろうかと考えて、親は子どもと接することなんです。

だから、子どもを育てあげているんだと思うことをやめ、それどころか、この人のおかげで、自分が成長できるんだということなんです。

親は、子どもを何とかしなくちゃなんて思わなくていい。子どもはそんなことをしなくても、ちちゃんとした人格を持った人間なんだから、しっかり育っていきます。それよりも、親がしなくちゃあいけないのが、自身が成長して変わること。

親が子どもに対して、本当にするべきことは、その子の“いのち”を信じてあげること。「お母さんは◎◎ちゃんのことを信じているよ」こう言い続けること。それだけでじゅうぶんなんです。
これは部下に対しも、同じことが言えると思います。

子どもや部下を変えようとするのではなく、自分が変わらない限りどうにもならないんだって、物凄くよく今は分かります。

そして自分が変わるためには、人を好きになること。それと共に仏さんから大きな大きな心で包まれてるって気づくこと。そういう温かい心が育っていけば、心は豊かになります。心が豊かになれば、自分が不思議と変わっていけます。「もうこういうことはやめよう」とか「もっとこんなことはどんどんやっていこう」と人が幸せになったり、喜んでくれたりすることがやりたくなります。

子どもにしても、部下にしても、相手が変わることを期待するんじゃなくて、自分が豊かな心になって変わってしまうことがすべてですね。

☆相手を変えようとするのではなく、自分が豊かな心になって変わること。

「愛情は3年間しか持たない」 2007.7.29[Sun]
よく「好いた惚れた」という話を聞くことがありますが、特に男女の恋愛感情というのは三年で消えてしまうらしい。
詳しく言うと、類人猿、オランウータンとかチンパンジーなどの霊長類、それらの恋愛
感情というのは、動物生態学者が長年研究してきた結果、三年くらいが平均なんだそうです。人間の愛情もどうも三年で消えていくらしい。

じゃあ、どうして夫婦は別れないのかというと(別れる人もいます。またこれはこれで意味があります)、愛情以外の価値観を夫婦の間につくり上げているからです。そうじゃなくて、惰性というか、妥協して夫婦を演じている人もいますが、今回はそういう話ではない。

男女が好きになり、「私は絶対にいつまでもこの人を愛し続けよう」と思っても、その気持ちは3年で確実に萎んでしまうんです。同じように「永遠にこの人から私は愛され続ける」という自信を持っていても、動物学的にはどうも3年で終わってしまう。

その時に必要なのが、実は「尊敬」「信頼」という価値観なんですね。その3年間でこの「信頼」「尊敬」という概念をお互いにつくり上げることができると、「この人とずっと一緒にいたい」って思うようになります。

それは、相手の中に尊敬できる箇所を見いだすということも大切ですが、自分の中に相手から尊敬されるものをつくるというふうに考えた方が、いいかもしれない。
それは夫婦の関係だけでなく、親子関係、人間関係はみんなそうですね。

で、その「尊敬」や「信頼」はどうやって生まれるかということなんですが、相手にはこういう個性があって、自分とは違う特性を持っているんだということを、認めることですね。 相手は自分にはない素晴らしいものを持ってる、と認めることなんです。

ただとかく、自分たちは相手に自分の都合が満たされるように「変わってもらいたい」って期待します。そうじゃなく、相手の個性をただ受け入れられるかどうかだけなんです。この人は、そういう個性的な人であること、そういう価値観を持っているということを認められるかどうかだけですね。
それを受け入れられないと、ず〜っとつらい。だって、そうはなりませんから。言って、思いどおりになる人であれば、まったくストレスにはならないわけです。自分がイライラしたり、ストレスを感じたりするのは、相手が簡単に変わらないからでしょう。

とにかく、人を変えようと思っている間は、自分の悩み、苦しみ、苦悩、煩悩は永遠に続きます。でも、相手を変えるのではなくて、相手の存在を丸ごと全部受け取ること、私がこの人にはどう対処するかだけを考え、「この人はこのままでいい」と思い切ることができれば、それが相手への「信頼」と「尊敬」になっていく。またその瞬間から自分の悩みやストレスはなくなっていきます。

☆相手を受け入れて相手の特性を認めていくと、それが「信頼」「尊敬」になっていく。

「自分にも他人にも優しく甘く」 2007.7.28[Sat]
僕はNCにお世話になって随分考え方や物の捉え方が変わりました。また最近グルンとひっくり返るような「痛、気持ちよい」意識の転換もありました。それからというもの、何か心の底が抜けたようで、とても物事をかる〜くとらえるようになりました。やはり体験しかないですね、意識がヒックリ返るということは・・。

人を糾弾したり、批判したり、自分に対しても厳しい人は、確かにしっかりきっちり生きているのだけど、あまり楽しそうな人生には見えません。
反対に、自分にも他人にも優しく生きていると、自分はすべての人の善意と好意の上に生きているということに気づかされますから、すごく豊かな心になれて楽しいんです。

僕は「痛、気持ちよい」経験をしてからというもの、人生は「人に優しく、自分に甘く」でいいんじゃないかと思えるようになりました。

基本的に人というのは真面目ですから、どうしても常識論や正しさにとらわれていきます。正しさということを前提にすると、状況もわからないのに、どうしても正義感と使命感で人を批判してしまうことになりますから、これからは、自分に対しても他人に対しても、「正しい」から「楽しい」方向へと切り替えていったらいいですね。

まず自分が「楽しい」と思えることをまず考え、行動するんです。つまり「楽しい」といのは、良心が喜んでるわけですから「正しい」とらえ方なんです。

「正しい」と「楽しい」は、一字違いです。同じ方向性を持っている。正しく生きるということは、楽しく生きるということですね、実際は。だから「楽しい」ことが「正しい」ことだと思って仕事や生活を楽しむんです。

そうすると、自分が楽しく幸せに生きているんだから、人が楽しいことをやっていても認められるし、気になりません。ニコニコ笑って見ていられるわけです。楽しくラクに生きている人は、周りもラクで楽しい、ということですね。

この「楽しい」ですが、やはり心の豊かさや「安心」がないとなかなか「楽しく」は生きれない。また「安心」というのは、決して自分を裏切ることのない信頼できる何かを持つしかないんです。
僕はそれが「仏さん」なんです。「いつでも、どこでも、何があっても、おまえと共にいるよ。安心しなさい。任せなさい。ゆだねなさい。私を信じなさい」といつも僕を呼び続けてくれる仏さん、この仏さんこそ絶対の安心の存在なんです。こういう安心の存在が僕のバックボーンになってるわけですから、安心して楽しく生きていけるんです。

☆仏さんの大きな慈悲を感じると安心して楽しく生きていける。

「言葉に出すと現実になるスピードが速くなる」 (2007.7.27[Fri])
日本には昔から「言霊(ことたま)」というものがあります。「言葉の音や響きには一つの意味があって、現実のものごとを動かす力がある」ということなんです。
とにかく、言葉にはすごい影響力があります。それは、言葉は、意識が音となって表れてきたものだからです。

だから、自分がそうなりたいと思うことは、口に出したほうがいいんです。

言葉にすると、すでにそうなる予定があるように思えてきます。もちろん内容によると思うし、いつもそんなことを言っていたら現実ではないのにウソをついてることになります。だから無理して言うのではなく、それについて話すときには「いつか〜になると思うから、よろしくね」というニュアンスがいい。思い描くときと同じで、「〜だといいなあ」ではただの希望だから意識の型が固まりにくい、できればはっきりと、「そうなるからね」と断言しておくんです。

また、ひとりのときやまわりの目が気にならないときは、「〜になった」と過去形で言うことです。もうかなったあとのように言うのです。言葉にして発すること。言った時点で、自分の意識にもまわりの人の意識にもその言葉がインプットされます。

たとえば「〜になるからね」と言ったりすると、まわりの人にも「あの人は〜だそうだ」とインプットされ、みんなの「〜になる」という意識が自分に集まってきます。人の意識は現実を動かす力があるので、「〜になる」という意識が自分に集まってくれば、目に見える周りの物事も、それに向かって流れ出します。

つまり自分の目標を声に出して言っていると、自分もまわりもその気になり、情報も集まってくる、そういうことなんです。

また、いつも口にしていると、自分自身も再確認することができますから。

☆プラスの言葉を意識して使おう。

「毎日ワクワク思い描くことが心の型になっていく」 (2007.7.26[Thu])
一番適えたいことをずっと思い描くと本当にそうなりそうな気がしてきますが、このとき、人の意識にはどんな変化が起こってくるのか?
その人が毎日考えていることが、その人の「心の型」になっていきます。型の形は人によっていろいろで、これをつくっているのがそれぞれの意識です。

「◎◎になる」といつも思っていれば、それがそのまま「型」として固まります。このときに、「◎◎になりたい」という思い方ではだめなんです。それじゃあ「型」はできません。ましてや、ぼんやりと「こうなりたいなあ」という思い描き方では弱すぎて、現実になりにくいのです。こういう思い描き方をしている人は、いつまで経っても現実化はやってきません。

思い描いているうちに「なんだかそうなる予感がする」「本当にそうなりたい」という気がしてくる、その感覚が「型」が固まってきた合図です。まずはこの意識の型がしっかり固まるまで、思い描いて下さい。

とにかく、基本は自分の心が豊かな状態であること。自分の心をいつもプラス状態にしておくこと、つまり明るく楽しく穏やかにしておくことで、そのような心で暮らしていると自然と固まっていきます。

・自分を認めて心を豊かにする。
・親切にする。
・一分でも一秒でも穏やかに。
・礼儀正しくする。
・小さなことにイライラしない。
・目の前のことを一生懸命やる
・不安や憂鬱な気持ちを持たない
・いつも心がワクワクするようなことを考える
・笑顔ですごす
・身の回りをきれいにする

こんなことに注意して過ごしていると、知らない間に心の中にプラスのエネルギーがたまって、運のいいことや、小さなラッキーが突然起こってきます。こういうことを体験して気づきだすと、面白いし不思議なので、ますます心豊かに生きたいと思っていきます。

それと、大切なことは、心の底からそうなる予定があるように思い描くには、少しでも不安を持たないこと。このような漠然とした不安があると、形は現れてこなくなるからです。
うまくいきたければ不安を持たず、安心してやっていくことです。

☆心にプラスのエネルギーをためるために、心穏やかに、心豊かに生きる。

「あなたの周りに起こることはあなたの意識がつくり出している」 (2007.7.25[Wed])
あなたは日々いろんなことを体験して生活していると思います。ただ、あなたの周りに起こることは全部あなたの意識がつくり出してるってご存知ですか?
人の意識はエネルギーですから、その人がいつも考えていることへ現実を動かしていく力があるんです。
だから、心の中で思い描き続けることは、必ず現実の世界に現れてきます。
自分のかなえたいこと、夢も希望も、心から思っていれば必ず実現します。「今の自分にはとても無理・・・」と思える大それたことでも、ずっと思い描いていれば必ず実現していきます。
目標を立てて「〜しよう」と思ったときから、目には見えませんが、目標までの道ができるんです。その道は、その人の意識レベルに応じて遠かったり近かったり、曲がりくねっているかもしれない。でも心が豊かになればなるほど、心の中で思い描き続けることは、必ず現実の世界に現れてきます。

ただここで大切なことは、自分の欲を満たすだけの夢や目標は、どんなに思い描いてもうまくいきません。私利私欲のためや、「もっともっと」という気持ちを満足させるだけの希望であれば、必ず失敗します。
逆に言うと、人の幸せや喜びにつながるようなことであれば、どんなことでも道は開けていくはずです。そういうものなんです。
でも、まずは自分が幸せになることに目を向けることです。
自分のことを忘れて人のことを考えるのは確かに素晴らしいですが、無理にすることは偽善者のように感じられるし、長続きしませんよね。それに、自分が幸せを感じて生きていない人が、他人の幸せに関わるわけはないからです。

自分が幸せになることを目標にするとき、その夢が他人に迷惑をかけずに自分の心が本当に楽しくワクワクすることであれば、どんなことでも必ず思えば現実化します。
で、思ったことを現実化させるためには、その夢がかなったときの状況を、細かく具体的に考えることです。
この具体的というのが大切。ぼんやりとならば誰でも思い描いていると思いますが、これをどこまで明確に鮮やかに思い描いているかが、本当に現実になる人との違いです。
どのような過程でそれがかなうのかは考えない。とにかく、かなったときの現状を具体的に鮮やかに想像するんです。

心の中で、自分の一番かなえたいことを想像して下さい。
今の時点では大きすぎて無理と思うことでも、大きな理想でも、心の中で思い描けるので誰にもわからないので、本音でかなえたいことを想像します。本音でそうなりたいと思っているならば、それが誰かの不幸を望むことや、迷惑をかけることでない限り、ことの大小に関係なくうまくいきます。
そして、今思い浮かんでることが現実になったときの様子を考えてみて、それがかなったら、自分はどんなふうに喜んでるかを想像しましょう。ムチャクチャ楽しいし、「望みがかなってうれしいなあ、よかったなあ」とニコニコしていることを想像すればいいんですよ。

☆心の中で思い描くことは、必ず現実化されていく。

「心のレベル」 (2007.7.24[Tue])
頑固で、「この人って・・・・」といぶかしく思うような人でも、あるとき“ポロッ”と優しい言葉が出たりすることもあるし、いつもは人を思いやる気持ちで人と接している人でも、ときには人を傷つけてしまうような言葉を“ポロッ”と吐いたりして、「エエッ」と驚くこともあります。

誰だって、豊かな心と貧しい心の両方があるってことなんです。
じゃあ、心の豊かさが誰も同じかというと、全然そのレベルって違います。
それは、「楽しいな」「面白いな」と感じてる時間の長さの違いを見れば分かりやすい。

心のレベルの高い人は、豊かな心でいる時間が長いので、「楽しい」と感じている時間が長いんです。反対に、レベルの低い人は貧しい心でいる時間が長いので、怒ったり、憎んだり、悲しんだりする時間ばかりが長く、「楽しい」「面白い」と感じて時間が短くなってしまっています。

つまり「楽しい」「面白い」と感じている時間が長ければ長い分だけ、それだけ心の豊かさのレベルは高いということなんです。

じゃあ、心を豊かにするためにはどうしたらいいかと言うと、まず、悪口、泣き言、愚痴、文句、不平不満なんかは絶対に言わない方がいい。逆に「楽しい」「面白い」と思うことに心を向けて、頑張らずに楽しめばいい。面白がればいいんです。ワクワクしてきますから。

またこの心の豊かさというものは、顔にもすぐに表れます。

女性ならだれでも、「キレイになりたい」と思いますよね。だから、みんなお化粧するわけですし、人によって整形する場合もあります。みんな、「顔のつくりは生まれつきで、自分では変えられない」と思ってますが、そうじゃないですね。顔は突然変わります。

例えば、意地悪なこととかマイナスのことばかり言ってる人がいるでしょう。ソウイウ人の場合、突然顔に傷ができたり、大きく歪んだりするってことがあります。直接の原因は交通事故なんかもありますが、急にそうなってしまう。

この反対に、「この人整形したの?」と聞きたくなるぐらいキレイになっている人もいます。

こういう人の場合は、いつも優しいことを考えて、優しい事を言って、優しいことをして。そして楽しく生活していると、ある日、突然キレイになってます。これは本当の話です。

心の豊かさのレベルで、顔ってまるっきり変わってしまうんですよ。

☆悪口、愚痴、泣き言、文句、不平不満を言わず、「楽しい」「面白い」と感じていられる時間がより長い人ほど、心の豊かさやレベルは高くなります。

「人から好かれる生き方」 (2007.7.23[Mon])
 人から好かれる生き方ってどんな生き方なんでしょうか?
 
 まず一つは、赤い花はより赤く咲く、黄色い花はより黄色く咲くということです。
 これは、自分がどんな人間なのかを、自分の長所をより鮮明に出すということです。自分らしさを清々しく出し続けることです。それを隠したり、中途半端に引っ込めたりすると、魅力がなくなります。
 そういう自分がどこにいこうがいつも同じように生きていける。これが「自在」です。料理屋さんでも、食べに行くたびに味が違ってると、ファンになりにくい。それとおなじですね。パーソナティーをはっきり出すと、「あっ、それ好き」という人はいつでも近づけるし、それが嫌いな人はいつでも離れられます。

 もう一つは、好かれたいので、好きになること。
 もし誰かに好かれたいのであれば、まずあなたが誰かを好きになることです。愛されたいのであれば、まずあなたが愛せばいいんです。
 大勢の人に好かれたいのなら、大勢の人をまず好きにならなければならないということなんです。

 大事なのは、この二つですね。

でも、注意しておかないといけないのは、「全員に好かれると思うな」です。
 ともすれば、人に嫌われたくないばかりに自分を出せない、自分の本当の気持ちを閉じ込めて、いつの間にか「楽しくない」と思いながら人と接するのなら、なんのこっちゃなのです。

 だから、自分を分かってくれるひと、自分のファンは独りいればいいって知っておくことです。好いてくれる人が独りいれば、それでいいってことなんです。だから、嫌われるのを怖がって、自分の気持ちを隠してはいけません。
 人と人は縁があって出会います。全力でサ相手のポートしたと思っても、相手によって反応も違います。喜んでくれる人もいれば、遠ざかっていく人もいる。

 つまり、あなたがみんなに同じように接すると、向こうが勝手にどうするのか選んでくれるんですね、それでいいんです。
 人に嫌われて苦い思いをした人ほど、誰かに嫌われることを怖がります。だけど、このことをよ〜く覚えておいてください。自分のことを心底分かってくれる人は一人いればいいってことを。

☆好かれたければ、赤い花はより赤く咲くこと。まずあなたが人を好きになること。また、自分を分かってくれる人は一人いればいいってことも。

「本気は豊かな心を生む」 2007.7.22[Sun]
 仕事を本気でやる。人間関係という縁を大切にする。人生を本気で生きる。こういう人たちはみんな「豊かな心」が育っています。

 ただこれらの基本は、すべて愛情から生まれてきます。他の人を思いやる愛情を持つことが、自分の心を豊かにして行くものなんです。

 愛を持って人と接すること。これが人間関係をよくすると同時に、自分の心を豊かにしていくし、そして、これこそが、人生を幸せにする道でもあり、仕事や商売を成功させる方法なんです。
 愛を持って接するということは、「みんないい人ばかり」と思って人と接することです。これとは反対に、相手のことや、出会った人を、「この人はおかしい人なんじゃないか」って思っていると、本当にそうなっちゃうかも知れないし、願望実現してそうなってしまいます。

 だから、いい人に巡り合って、何とか手助けしてもらえるような人間関係が作りたかったら、まず、自分がそう思えば、きっとみんなもあなたのことを「いい人」って思ってくれますし、本気でつきあってくれます。

 それと、仕事でもそうですが、やらなきゃならないことを優先順位の先に書いたら、よくありませんね。それより、自分のやりたいこと、簡単にできそうなことから先にやりましょう。
 「やらなきゃあならないこと」を優先してしまうと気持ちが重くなるし、難しいことが次に来たりしてうまくいきませんからね。一日の最初からつまずいたらもったいないしね。
 「やりたい」「簡単そうなこと」と感じることをまず優先する。するとどんどん勝たずいていくから、仕事に熱がでるものなんです。

 その勢いがついたところで難しいことをやれば、「意外と簡単」ってなります。

 リストについては、夜寝る前や一日の仕事が終わった後に、次の日の分を作るのがいいね。また、予定の仕事にやりのこしが出たら、「よし、明日やろう」って次の日に楽しくやる。
☆ 愛を持って人と接し、まず簡単なことからやっていこう。

「自分が豊かになって変われば自然と周りは変わっていく」 2007.7.21[Sat]
 自分とは考え方が違う人と、トラブルになるってよくありますよね。相手が自分勝手だったり、頑固だったり、偏屈だったり、無知、傲慢だったり、そういう人の悪いところばっかりが見えてきて嫌になっていきます。

 ただ、じゃあ自分はどうかというと、自分も相手から見れば同じように思われているんです。だけど皆、自分は変えたくない。相手が変わればいいって自己主張します。とにかく自分は変わらずに、周りが変わればいいって。
 結局、何にも解決しない原因はここにあるんです。
だって、人の心は変えられませんよ。どうやっても。
変えていけるのは、自分の心だけ。
 それなのに自分の心を一切変えようともしないで、「あの人が変わってくれたら幸せになる」なんて思っているだけじゃあ、結局、誰も変わらないし何も変わりません。
 
 とにかく、相手に対して思っている通りを、相手も思っているって覚えておくことですね。その延長では、ずっと不幸ですよね。

 だから、相手が変わることを期待するんじゃなくて、自分が変わってしまうことが、人間関係のトラブルを解決するコツなんです。
 そして自分が変わりたいと思ったら、どんどん「いいなあ〜」と思う人を好きになればいい。あこがれればいい。すると愛情というものが自分の心のなかに沸々と蘇ってきます。そういうあったかい気持ちになれると、「まっいいか」って相手のことを責めなくてもよくなって行きます。それより、何か自身の心が柔らかくワクワクしてきますから。相手に対する態度も変わっていきます。

  そうすると、人間関係のトラブルでストレスをためることが、グングン減って行くんです。他の人の心は変えられない。できるのは自分の心を変えられること。そのためには好きな人を見つけること。その好きな人が喜ぶようなことはどんなことか考えてみること。それは思いやりの言葉だったり、ねぎらいの行為だったり、明るい笑顔だったり、スピードある行動だったり、みんなプラスのことばっかりです。
  そんなことが分かってきたら。自然と「そうしよう」ってなるものなんです。

 すると、自然と自分が変わり、その暖かい波動で人も変わっていきます。
☆他人が変わることを期待せず、まず好きな人、憧れる人に意識を向けて自分をワクワクに変えていきましょう。

「愛情がパワーの原動力」 (2007.7.20[Fri])
 職場で一番何が大切ですか?ときかれたら、最近は迷わず「愛情」とこたえられます。
最近までは「ホウレンソウ」って言ってましたが、いまやっぱり「愛情」ですね。

 よく職場では「ねぎらい」と「共感」が僕は大切だって言います。「ねぎらい」というのは、相手に対する愛情ですね。ですから、何かを教えるときも、山本五十六さんが言ったように「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」で、そこに愛情がないと何も伝わっていかない。

 例えどんなに正論であっても、そこのあるのが義務的なものであったり、貧しい心であったら、義務的や貧しい心しか呼ばないですね。

 何か他の人がよかったことを、一緒になって「よかったね」と思えるのは、心が豊かだからできるんです。
 そんな豊かな心になって「ハッピーになろう」ってことなんです。こういうのはすべて愛から起こってくる気持ちですね。

 僕は上司と部下といっても、まあ基本的な上下関係は多少あるとしても、心の中では単なる役割分担だって思っています。またここまで仕事で、ここからがプライベートという区分の意識もない。その人の人生をまるごと預かっていると思ってますから、そんな区分なんてできるわけがない。だからいろんなことに本気でサポートしていけるんです。

 誰かと知り合う、特に、うちの職場に集まってくる人たちはよっぽどの縁があったということです。
 そういう縁の深い者同士が、同じ方向を目指し、共にサポートしあいながら成長していくことが基本ですから、当然人間関係は愛が基本で、仲間の間には距離なんて必要ないなんて思っています。もし、距離を感じるなら、埋めたらいいだけです。

 例えば、うちで働きたいという人が来たときもそうです。最初からその人に近づいていって、「ちょっと他とは変わった会社だけど、こういうところなんだよ」でいい。それで、もっとこっちへ近づきたいかどうかを決めるかどうかは、その人が判断することなんです。
 それと、お互いの距離を埋めるのには、人の話をじっくり聞いてあげるのも大切なんですね。相手の話を聞いたら、「なるほどね〜」と相槌を打ってあげる。
 こういう言葉を使えば、相手の言うことを頭ごなしに否定しないですむのです。そうすると、相手にもこちらの言葉を聞いてもらえて、お互いの気持ちが通じ合えるようになります。

 そこには愛情が基本になっているということですね。距離を埋めるのにも、やっぱり、愛が大切なんだよね。職場に限らず、人間関係にとって一番大切なのは愛情だね。

☆ 愛情を持って人と接すると楽しくなって頑張れる。

「人を愛することで自在を身につけよう」 (2007.7.19[Thu])
 さて、仏さんの話なんですが、仏さんは大悲といって、愛が無限に大きい。ちょっとそこまで行くのは無理としても、人は人を愛することで、仏さんの心をちょっぴり学ぶことができます。
 例えば、よく「◎◎さんのことが好きなんです。愛してるんです」って相談に乗ることもあります。
 人を愛するというのは、愛した人も愛された人も、またその周りの人たちも絶対によくなるんです。そうでなければ、それを愛とは呼べません。
 人を愛したら、自分もその人も、そしてその豊かでハッピーな波動を受けて周りの人もそれまでよりもよくならなきゃあウソなんです。
 だから、愛することによって、仏さんの心を学んでるんです。優しさや、親切や思いやりや、気配りや、心遣いや、ねぎらいなんかをんね。
 
 だけど、誰かを好きになって自分の生活がメチャメチャになったり、自分を犠牲にしたり、相手を束縛したり、思い通りにコントロールしようとしたり、自分を好きになったことで、相手の人が不幸になってしまうなんて狂ってます、そんなのは絶対におかしい。それは愛じゃなくて、執着です。そういう場合は「欲しい欲しい」と愛を吸いつくそうとするヒルのような世界、愛を飲んでも飲んでも欲しがる餓鬼の道を歩んでしまってる。そんなのは愛ではないんです。
 人を好きになることをガマンしなさいって僕は言いません。逆です。もっとその人を好きになることで、もっともっとたくさんの人を好きになりなさいって言います。そうすれば、もっと上手に人を愛せるようになっていくんです。
 人を好きになることで自分がそれまでよりも悪くなったり、相手の人が不幸になったりするのは、愛し方が下手なんです。そういう人が、人を何度も好きになることによって愛し方が上手になっていく。人を好きになるうちに、少しずつ愛し方が上手になって、両方ともよくなれるような愛し方ができるようになっていくものなんです。
 
 人を好きになるのは健全な欲望です。健全な欲望は大いに燃やしましょう。自分にはこういう欲望がある、だから仏さんみたいに完全には利他的にはなれない。でも、他の人のもそういう欲望があることを受け入れてあげる。いつも自分がよくなりたいし、他の人もよくなって欲しいと思う。これが愛の前提ですね。これは男女の関係だけじゃなく、いい人間関係ってみんなそうです。年齢も性別も関係なく、誰かに出会って、ググッ、ワクワクってきた人を好きになれるといいんです。そして好きになったら、それ以前よりもお互いによくなるようにと心で願い、そうなるようにポジティブに行動していくんです。
 
 いくら社会的にそつなく、生真面目に生きていても、好きな人も、好きになってくれる人もいないなんて、これ以上不幸なことはありませんよ。
 仏さんの大きな愛を感じるということは、人と人との間で愛を実感できることから始まります。愛をこんなふうに定義できると、お互いにものすごくいいレベルを目指した関係になっていけるんです。すると日々が楽しく、仕事は今以上に頑張れる。それが愛の力なんです。
☆ たくさんの人を好きになれば、自分も相手もよくなる愛し方ができるようになる。何より仏さんの愛というのが感じていけるようになる。

「自身の“いのち”をありのまま生きるのが自在」 (2007.7.18[Wed])
 ちょっとお坊さんモードに入っているので、久々にお釈迦さんの教えである仏法をお伝えします。仏法とは何かというと、一言で言って「智慧」「慈悲」です。よく「この世を生きるために役に立つ処世術」みたいなことを言う人がいますが、役に立つ、役に立たないという問題ではなく、私の“いのち”そのものを明らかにしてもらうのが仏教です。
 日々仕事や生活に流されているとなかなか気づけないのですが、僕たちの“いのち”は、自惚れることもなく、自己卑下することもなく、本当のありのままの“いのち”を思い切り生きたいと願ってるんです。

 坂村真民さんの詩に、「草も、鳥も、愚痴一つこぼさずに、精一杯生きている」と。人間はそうじゃないですね。愚痴をこぼしたり、自我で相手を裁いたり、何かあると自惚れてみたりして、精一杯生きていない、そんなグズグズした人生なんてあっという間に終わってしまう。
 人間以外の“いのち”は全部、自身の“いのち”を精一杯生きています。花も輝き、鳥も輝き、草木も輝いてる。人間だけが輝いていない。くすんだ顔をして生きてるんです。
 ただ、人間は他の“いのち”がいただいてない知性や理性や感性などをいただいて生きているのですから、花や鳥以上に輝けるはずなのです。ところが多くの人はそうなっていません。昨日からの話の続きになりますが、実は仏さんは「自在」を実現させてやりたいと働いていらっしゃる。
 仏教は、結局はどうしたら本当に力一杯この“いのち”が生ききれるかを問題にしているのです。じゃ、どうしたら自身の“いのち”が自在に生きれるのか。
 仏さんの大きな愛を感じ取ることなんです。
ただ仏さんと言っても、色もない、形もない、匂いもない。だからさっぱり分からない。でも、その仏さんの働きは人を通して「自在を生きよ」と働きかけてくる。
 
 例えばうちの会社なんかそうですね。僕たちは「明るい貧乏会社」と言っているんですが、みんな「安心」してチャレンジしてくれている。変化し続けてくれている。実際、「え〜?」と思うぐらい「水洗い」や「技術」に対する未来投資をしてきましたから、内実は貧乏です。でもみんな明るく不平不満も言わずに頑張ってくれている。
 普通の会社だったら、おおよその人はブーたれているか、まあ、さっさと辞めて行ってますよ。「もっと給料や条件のいい所がいい」って。でもうちの人たちは辞めずに、逆にワクワク現場を楽しみながら変化と進化を喜んでくれている。

 それは自身の“いのち”が知っているからです。この場は「自在」を与えてくれる場、「自在」に生きれる場、そして何よりもその自在のために絶対的な「安心」を与えてくれる場だって。常に仏さんと共に生きれる場だという深い味わいが、まあ、何と言いましょうか、僕や社長なんかを通して仏さんの「安心」と「大きな愛」のエネルギーを受けながら、一人ひとりの“いのち”の中に染み入っていっている。
だから「自由」じゃなく「自在」に生きる方向を常に差し出され、導かれる。常に全体的な流れだって分かりますよね。自身の“いのち”を阻害する「エゴ」の方向には行けない流れだって。それがあなたに実は「自在」を与えてくれているんです。そういう凄い会社だってみんなの“いのち”が無意識にでも気づいているから、ここで頑張れるんです。
☆誰の“いのち”も「自在」を生きたいと願っている。

「自由と自在」 (2007.7.17[Tue])
日曜日は久々の法話会でしたが、台風にもかかわらず結構の人が来られてました。
お話の内容は「縁」というネットワークの中で人は育てられているということ。これは事例を交えながら話したので、皆さん大きく頷いていました。
それと「自由」と「自在」の違いについて伝えました。
「自由」というのは、何かから縛られている状況から抜け出して自由になったなんて言いますよね。
お店に縛られている。家族に縛られている。仕事に縛られている。だったら他に行ったら「自由」になれた、羽が伸ばせたっていう、あれです。
だけど、この「自由」というものは、現状から逃げ出すというか、抜け出すことをもって「自由」を実現するってことになるわけです。まあ、そういう、どこどこからという「から」の「自由」ですね。こんな精神状態の場合は、必ず「自由」を阻害するものには何らかの対象があるわけです。そこから逃げる、抜け出す。でも、対象が他にある場合は、また必ず新しい対象が出てきて「自由になりたい」って思えます。このパターンにはまると、死ぬまで「自由」、つまり逃避、抜け出しを求め続けます。
ところが「自在」というのは、何らかの対象から抜け出すということではなくて、どの場合にあっても、私は私としての、“いのち”を生きれるということです。何にも束縛されずに存在するということです。家にいようが、会社にいようが、仕事をしていようが、どこにいようが“いのち”が束縛されないで、目一杯生きれるというか、結構ワクワクして生きれるというか、等身大の自分を生きれるというのが「自在」です。
いただいた“いのち”のあるだけを100l生きるのが「自在」です。それが仏教で言う本当の「楽」です。
その「楽」が極まった世界が「極楽」です。
その「極楽」を生きれるためには、絶対的な「安心」の存在に出遭うってことなんです。そして自分を愛し、自分が好きになれる。頑張らなくてもね。それが仏さんとの出遭いだし、仏さんの(本願)「心配するな。任せよ、信じよ、私に委ねてお前の小さな我の世界を抜け出した心オープンに大きな愛の世界を生きていきなさい。安心して」という声を念仏申すことによって聞き続けていく事なんだよって、何度も何度も、そういった「安心」の体験を繰り返していくことなんだよって。会社であった感動的な話や、自分の体験談を話しながらお伝えしていきました。
それにしても、この「安心」という心境ですが、昔からこのことを「平常心」とか「浮動心」とか言われてます。が、本当にこういった「安心」の世界に向かってこの地球自体が物凄く加速をつけて変化しているって感じます。時流や環境を見ていても。
とにかく、一瞬一瞬愛の拡大に向かって変化し続けているわけですから、「とどまらず」「しりぞかず」「変化を楽しむ」こと。そして大いなる仏さんの愛をうけて「自由」じゃなくて「自在」に生きましょう。NCでの日々の楽しい変化は、きわめてそこに一直線に向かっているって言ってもいい。一日休むと浦島太郎状態だってみんな言ってるのはそういうこと。
ともかくもっと変化をノリノリの達郎の曲なんかと共に楽しみ「進化」していきましょう。淳一が達郎のCD8枚ダビングしてくれたので、持って帰って会社や工場内でバンバンかけるからね〜。
☆スピード変化を楽しむ

「気にならなくなると楽しくなる」 (2007.7.16[Mon])
悲観的で被害妄想の人はとにかくいろんなことが「気になる」人です。

昨日は、夜寝る前と毎朝自分で自分に「愛してるよ、大好き」というのは自身に入りますよ。他人を巻き込まず、自分の心がワクワクして「フッフッフッ」と笑ってしまうような単純なことだけど、実にこれが自分を愛する方法としてはいいですよ、というお話しをしました。
 だから3カ月間は、山下達郎、サザン、チューブなんかのノリノリの曲を聴きながらこれをやってみましょう。絶対に効果は凄いですから。

こんなことを繰り返していると、本当に小さなことが気にならなくなっていきます。それが進むともっときにならなくなる。それを昔の人は「平常心」とか「不動心」って言ったんでしょうね。
こういう心境は難行苦行で得られるものじゃあありません。ただただ自分に対して「褒めて、認めて、感謝する」ということ。これをノリノリの曲と共に自分の言葉で自身に繰り返して言ってやる。鏡を見ながらね、誰もいないところでね。
この他にも、好きなケーキを食べたり、自分のために部屋に花を買って飾ったりもしてね。
とにかくこんなことを話すと、こんなことを言う人もいます。「こんなに自分を甘やかしてもいいんですか?」って。
でもね、あなたは今までの人生で、自分をこんなにも認めたことがあるでしょうか?
今まで、人のことは考えても、そこまで徹底的に自分の心を満たそうとは、多分ありません。

実は僕も最近までは、トップとして結果をキッチリ出して生きる、男としてやっぱり頑張り努力精進して仕事をするって無意識にはまってしまっていました。仕事が忙しくなったり、大きな仕事が来るほどこんな癖が出てきてしまう。
これは上司として生きる、妻として生きる、親から見て良い長男として生きる、母として、いい嫁として生きる・・・。そういうことにず〜っと一生懸命だったから、自分のために何かをしてあげるとか、愛情を注いであげるとか、そんな余裕もなかったからですね。
僕もそうなんですよ、頑張って一生懸命やればやるほど結構イライラしている。自分では気づかないですが、戦闘モードに入っているようです。

ぜひ、試しに自分にあふれんばかりの愛情を注ぎ、楽しませ、大切に扱ってみて下さい。心地よくて、やみつきになります。また、こんなことに本気で取り組んだとき、人は決して堕落の方向へは行きません。心を込めて真剣に自分をケアしてあげたら、より多くを望む方向ではなく、「大丈夫、安心」って心がいっぱいに満たされる方向へ行き着きます。
大切なのは、自分を育んで愛してあげることに罪悪感を持たないことです。ふしぎなもので、あなたの心が喜んで、楽しんで、愛がいっぱいになったとき、そのあふれたものが周りの人たちに自然に流れていくものなのです。

☆徹底的に自分の心を満たしていくと、満たされたエネルギーは周りに与えられていく。

「自分を愛することからすべては始まる」 2007.7.15[Sun]
サザン、チューブ、山下達郎・・・。朝からテンション上げてますよ、この手の曲をかけて。

さて、「自分は母親なんだから子どもを愛さなくちゃあいけない」「自分は上司だから部下を育てなければならない・・・」。まあ、そういうことっぽいですが、本当は思い込んでる人でうまくいってる人を見たことはありません。

そういった義務感や責任感を外す、まずそこからスタートしてみましょう。義務感や責任感は執着、強いこだわりの思いにつかまっちゃってるんでまずいんです。「重い思いは沈み、軽い思いはすべてを浮かす」ってお釈迦様はおっしゃってますよ。

今のあなたが一番最初にすることは、まず、自分自身を愛することです。自分に愛を注ぐ、自分を好きになる、自分の心を愛でいっぱいに満たしたとき、そこからあふれたものが子どもに届くし、部下に届くんです。

とにかく自分のことを好きにならない限り、人に安心や信頼や豊かさなんかを与えることは絶対にできない。だから、まずあなたが満たされること、気持ち良いことをするってことなんです。

以前僕は自分の心を満たすメニューをお話ししたことがあります。

そのすべては他人に頼らないって内容でした。好きな人から何かを買ってもらったり、「好きだよ」と言われたりするよりも、夜寝る前と毎朝自分で自分に「愛してるよ、大好き」というのは自身に入りますね。
他人を巻き込まず、自分の心がワクワクして「フッフッフッ」と笑ってしまうような単純なことなんですが、実にこれがききます。

とにかく、自分を責めずに、こうやって自分を愛して、自分を大切にして暮らしていると、自然に体の中の幸せのエネルギーがたまってきます。
こういうのは、常に自分を「疑似恋愛状態」においてくれます。だから、楽しい。なぜかワクワクする。3カ月間は、山下達郎、サザン、チューブなんかのノリノリの曲を聴きながらこれをやってみましょう。絶対に効果は凄いですから。

それまで悲観的で被害妄想だった人が、ものすごくハッピーになっていきます。

これを始めると、今まで自分の心に何か足りなくて、いつも飢餓感があって、ストレスをためていた人が、ただ自分の心を満たすだけのことに心を配っていくだけで、とても心の余裕が生まれてきます。

その結果として、「何事も気にならない」という心境が育っていきます。

☆自分自身を愛することから、すべては始まる。

「成功する人はフオローが凄い」 2007.7.14[Sat]
成功する人を見ていて気づくことがあります。それは継続力とフォローが凄いということです。
「釣った魚には餌はやらない」という男性よりも、やり続ける男性は継続力とフォローが凄いのです。
一生懸命は、成功する前より、後の方が大切ですね。

例えば、仕事でもそうですが、人をサポートしても一言「ありがとうございます」だけで終わる人がいます。そのあとの経過連絡が何もなくなってしまう。こんな人は、一生懸命やるというポイントがずれているのです。

成功する人というのは、お世話になった後でも「現在はこういう状態になっています」と、まめに連絡をしてくる人です。
これがフォローです。このフォローが一番大切なんです。お世話されっぱなしではなく、その後の事後報告がまめにあること、これがフォローです。

フォローとは何かをもっとつっこんでお話ししましょう。
クリーニングでも何でもそうですが、依頼されたことができなかった時に、お客様に対して解説をしています。解説はフォローじゃないし、サポートでもない。
解決が、フォローであり、サポートです。
お客様は「なぜできないか」という言い訳は聞きたくありません。
お客様が求めているのは、「解説」じゃなく、「解決」なのです。

フォローや、サポートは「解説」することじゃない。ところが、「解説することでフォローしている」という勘違いをする人が多いです。「なぜできないか」ということを聞けば聞くほど嫌になります。
お客様は「聞いてみたら何とかなるかもしれない」と、ワラにもすがる思いで聞いています。 それなのに、「なぜできないかと言いますと、3つ理由がありまして」と、とうとうと説明されると、「もう可能性はゼロだな」ということになるのです。この発想の根本にあるのは、「あそこは駄目、ここは駄目、なぜ駄目かという」議論であり、自己保身の発想なのです。

その悪のスパイラルから抜け出して下さい。初めて受けた依頼が来た時に、「そんな依頼は駄目。なぜなら今まで受けたことがないから。誰もやったことがないということは、きっとやれない理由があるはずだ」と思って、その理由を一生懸命探すのはやめましょう。
そういう時は、「やったことがないんです。むずかしいですね。ただ、できることはこれとこれです」という一言でいい。後は向こうが決めることです。それ以上の「なぜ難しいかというと・・・」は必要ありません。そこからは解説しかでてこない。
それは自分のプラスにはなりません。

自分をプラスにしていくためには、自分のいる業界でも、よその業界でも、競合他社でも、それぞれの中のよいところやできることを見つけていくのです。
☆解説よりも、解決をしていこう。

「組織でスピードを殺してはいけない」 (2007.7.13[Fri])
チームに誰か遅い人がいると、すべてがその遅い人のペースになってしまいます。

時間にルーズな人が一人でもいると、そのチームは動けません。

時間にルーズな人と一緒に旅行すると,たまったものではありません。

一人旅や仲の良い人との旅行は別として、普通団体で行動する場合は、電車に乗り遅れたり、スケジュールが狂って、あとの時間がメチャメチャになって、予定通りのことがほとんどできなくなってしまいます。

人数が集まれば集まるほど全体のスピードが遅くなります。

一人一人のスピードは速くても、チームになると遅くなるのです。

これも大原則です。

たとえば、悪しき馴れ合いシステムが、会社の変化のスピードを遅らせてしまいます。

ところが、一人一人に会うと、みんな悪い人なんていない。

ただ、大勢集まると烏合の衆になってしまうのです。

これが人間の集団意識です。

「一人一人はいい人だから、大丈夫」と思ってはいけません。

「すぐれた才能のある人でも、大勢集まったら、その時点でスピードは必ず遅くなる」という法則があることに気をつけることです。

☆少数で結束を固めよう

「速く気づき、速く動く」 (2007.7.12[Thu])
好きなことは、速くできます。

仕事をスピードアップする時に大切なのは、集中力です。

よく、「一つのことに集中すれば能率が上がる」という人がいますが、それは100lの力を出しているにすぎません。

本当にスピードアップしたいなら、同時に2つも3つも仕事を進めて、200l、300lの力をトレーニング次第で発揮できるようになっていきます。
一人が三役も四役もこなす多能工がそれです。

たとえば皿回しで、皿を何枚も同時に回せる人がいます。これは集中力があるからできるわけです。

「一枚なら回せる」という人の集中力は100l止まりですから、たいしたことはない。

同時に5枚回せる人なら、500lの集中力です。

練習すればするほど、集中力が高まっていきます。

武道や格闘技をやってたからよくわかるのですが、集中力のある人は、相手の視線や手、足の動き、息づかいなど、いろんな場所に同時に集中できます。

相手の目を見ながら、足の指先のわずかな動きを察知して、すばやく次の行動に移せるのです。

人間には平行処理能力があります。

一時間で終わる予定の仕事が2つあるとき、200lの集中力を発揮して2つを1時間で終わらせましょう。

「絶対に1時間で終わらせる」という気迫さえあれば、そんなむずかしいことではありません。

これがでないのは、自分のスピードや集中力がマンネリになっているからです。もし「今日は午後6時から全員でお通夜に出席するから、5時には終わるよ」と言われたら、やってしまいますから。

☆2つのことを同時にして、集中力をあげよう

「どれだけ時間を割けるか」 (2007.7.11[Wed])
人間関係で大切なのは、あなたが「相手に対してどれだけ関心があるか」ということです。
それは、その人に対してどれだけ時間を割けるかということです。

関心があるかどうかは、好きかどうかです。

自分の好きな人は、思い浮かべやすいです。

自分の好きな人に対しては、いくらでも時間を割くことができます。

好きな人となら、一分でも一秒でも長く一緒にいたいもんです。
ところが、嫌いな人とは、できるだけ時間を省きたいはずです。

これは人間関係だけでなく、ものや仕事でもまったく同じです。

そのことにかかわる時間を増やしたいと思うか、減らしたいと思うかです。

大切なのは、そのための時間がたくさんとれるかどうかじゃなく、増やしたい気持ちがあるかどうかです。

例えば、なにか用事がなくても電話をしてしまおうと思うかどうかです。そう思える人は、電話をする時間を増やしていくことができます。

それは好きなことですから、お金が儲かるとか、ほめてもらえるとか、そんなことはまったく関係ないわけです。

あえて人間関係のたとえで、どれだけ時間を割けれるかということをお話ししていますが、これは仕事だって、何だってそうなのです。

だから時間を割けないものは、思い切ってやめることです。無理して義務でやっていたら、ろくなことにならないからです。気が向かないことはやらない。気が向くことはやる。一番この生きた方が流れに乗れる生き方なのです。

☆時間が割けないものは、思い切ってやめよう。

「速さに愛情が出る」 (2007.7.10[Tue])
人間関係に、愛情が大切な時代です。
男性と女性だけではなく、お客様とサービスマン、リーダーとスタッフ、スタッフ同士、すべて愛情で結びついてなければ人間関係は脆いものになってしまいます。

だから、相手の心の状態に気づいてあげるデリカシーが大切です。それを愛情といいます。
デリカシーとは愛情であり思いやりです。それは相手の不安や不満を取り除いてあげることです。

相手の小さな要望をすぐにかなえてあげることです。要するに相手の思いに気づき、それが不安だったら、恐れから解放させてあげ安心を与える。それが不満だったら、その根本原因を感じ取ってやはり安心を与えていく。
愛情とは安心を与えるということですね。

相手が気晴らしをしたいのに言えないのだと思ったら、「私、喫茶店に行くけど、一緒に行く?」と声をかけてあげることです。

気づくことがすべての意識改革にもなるし、そういう意識がサービスになっていきます。

相手の思いに気づく時でも、スピードが大切です。

たとえば指に絆創膏を貼っているのを見てすぐに、「指どうしたの?」と聞いてあげることです。「髪形を変えたね」と言われても、一カ月後だったら「はあ?」ということになるでしょう。

遅く気づいた事は、気づいたうちには入りません。気づきの速さが、相手を思う、深さや強さです。

仕事でも、サービス業でも、日常生活すべてにわたって、どれだけ速く気づくかにかかっています。速く気がつく人のことを「気がきく人」と言い、気づかずに自分のことばかりが気になる人のことを「気がきかない人」と言います。
誰かがさきに気づいているのに、あとから「私もそう思ってた」と言われても、シラけます。

だからいつも感性のアンテナをピカビカに磨いておかなければなりません。

☆速く気づこう

「失敗しても、成功しても仏さんがさせているだけ」 (2007.7.9[Mon])
唐突ですが、僕は他力本願です。他力本願は「依存」「依頼」「甘え」本願ではありません。すべては仏さんの大きな力のお陰ということです。
僕は「他力本願」ですから、自分のやっていることは、自分がやっているのではないと開き直って生きてます。

こう言うと、「それはおかいしいでしょう」とよく言われるのですが、僕は失敗したら、自分が失敗したのではなくて、仏さんのせいで失敗したと思ってます。そう考えれば、失敗も怖くないからです。
何らかの仏さんの意図があって失敗させているんだろうと思えばいいのです。失敗も仏さんからの贈り物と考えれば、落ち込まなくてすみます。

逆にうまくいったこと、成功も、自分がしたのではなくて、仏さんが成功させたのです。成功させてもらったことに感謝こそすれ、のぼせあがる必要はありません。すると精神的なバランスを保つことができます。

ところが、失敗も成功も、自分がやったと思うと、精神的なバランスを保てなくなっていきます。「申し訳なかった」なんて自分を責め出すと、落ち込んで、ドツボにはまってしまいます。

人間は成功すると、必ず有頂天になります。でも、本当は、仏さんがぜんぶやってくれて根回ししてくれているから成功できたのです。

自分は、自分の調子の波の中に生きているだけです。

自分が仏さんという演出家の手の中で役をやらせてもらってると考えたら、一喜一憂しなくてすみます。

幸せな人は一喜一憂しません。幸せでない人は一喜一憂が激しいです。それはハッピーでないってことです。
一喜一憂しないことは、最終的には幸せなことなのです。

だから、失敗も、成功もぜ〜んぶ仏さんのお陰なのです。

☆仏さんの演出を、楽しんで演じよう。

「ワル役はイイ人」 2007.7.8[Sun]
「ワル者」と「ワル役」は違います。組織の中では、ワル役が必要です。厳しいことを言わなければならないからです。
上司として、リーダーとして、部下をほめているばかりではなく、叱ることも必要です。

「叱る人」は「ワル役」です。
学校の先生にも、叱り役の怖い先生がいました。でも、ワルイ人ではなかった。

ほとんどの場合、できるだけワル役にならないようにします。そのかわり、そういう人はワル者が多いのです。

ワル役になる人は、基本的にはイイ人が多いのです。イイ人だから、組織の中でワル役ができるのです。
映画でもプロレスでも、ワル役をやっている人のほうが、イイ人です。

組織の中では、みんなイイ役、おいしい役をやろうとします。ただ、イイ役、おいしい役をやろうとするのは、ワル者です。

イイ役とイイ人はまったく違います。
ワル役とワルイ人はまったく違います。

社内で「オレはいつもワル役なんだ」と言ってる人は、ワル者ではありません。

イイ人は、あえてイイ役をとりません。ワル者は、ワル役を取りません。ほとんどは、ワル役よりイイ役であろうと自分を演じます。でも、そういうイイ役の人は、いざとなったらサッサと仲間を追いて逃げ出します。
イイ人は、ワル者が多いのです。

イイ役、おいしい役を断って、ワル役をどんどん引き受けていけば、必ず宇宙が応援しだします。

ホテルでは、みんなフロントやコンシェルジュをやりたがります。でも、トイレ掃除をしたいと言う人はまずいません。

でも、トイレ掃除をどんどん引き受けられる人だからこそ、サービス精神があるのです。

☆率先してワル役をやろう。

「自分のため、人のため、結局ぜんぶ自分のためになる」 2007.7.7[Sat]
自分のためになることは、二つあります。

@自分のためにすること
A人のためにすること

どちらかが見つからなければ、もう一方をすればいいのです。「人のためになることをしなさい」と言うと、勘違いする人がいます。自分が犠牲になることばかりを考えてしまうのです。
自分のためになることをするかわりに、ほかの人のためになることもすればいいのです。ほかの人のためにやっていることは、めぐりめぐって自分のためになります。

自分のために何をすればいいかが見つからない人は、今までまわりのことばかり気を使っていた人です。
子供の教育のため、将来のためにいろいろしているのに、子供が言うことを聞いてくれないという人は、自分の人生のために何かをすればいいんです。

自分のことばかり考えていた人は、誰かを幸せにすることも考えていけば、自分の幸せにつながります。
成功している人がますます成功するのは、誰かのためにしているからです。「自分のため」は、すでに成功しています。
だから、誰かのためにやるのです。

人のためにやって失敗した人は、今度は自分のために何かやってあげればいい。誰かのために何かをするのは、決して自己犠牲になることではありません。最終的に自分のためになるからです。

誰かにパスをしたら、そのパスがめぐりめぐって、自分にシュートのチャンスがまわってきます。パスをしなかったら、相手チームに点を取られるだけで、自分のシュートチャンスはいつまでたっても巡ってきません。

人をアシストすることで、自分のシュートのチャンスが巡ってくるのです。

☆人をアシスしよう

「そこそこの成功か、大成功か」 (2007.7.6[Fri])
誰でも成功して幸せになりたいと思っています。
でも、どれぐらいの成功かは、人それぞれです。
あなたがもしそこそこの成功、ほどほどの幸せを得たいのなら、何も変える必要なんてありません。それこそ、目の前に表れてくることを処理していけばいいのですから。

でも、大成功したい、もっと幸せになりたいと思うのなら、その考え方もやり方も変えなくてはなりません。
これは単純な成功のための原則です。

変えるのはイヤだ、あまり変えたくないと言うのなら、大成功は不可能です。
目の前に何人の人が「人生をもっと素晴らしいものに変えたい」と現れてきたか分かりませんが、その90lの人たちが結局は「今のままの幸せでいい」と過去や今の自分にどっかりと腰を下ろしていきます。

そこそこの成功を選ぶのなら、そこそこのやり方があります。大成功をしたいと思うなら、大成功を遂げるやり方があります。どちらを選んでもいいのです。結局、あなたの人生なんですから。
でも、そう言いながらも。たいていはそこそこの考え方ややり方で大成功をしようとします。そこそこの努力をしているつもりになっているからです。
そこそこの努力では、そこそこの成功しか手に入りません。それじゃあなんとなく寂しい、もうちょっと成功できませんかと思うのなら、さらなる努力が必要になります。

努力の量を増やそうとしない人は、結局はダイエットできない人の考え方や行動とまるで同じです。「ダイエットしたい」と言う人は、ラクにできるダイエット法はないかといつも考えています。
ダイエットの方法は一つではありません。100も200もあります。でも、一つとしてラクなダイエットなんかありません。ラクにやせる方法など手術以外にないのです。「ダイエットしたい」と言う人は、痩せたいのではなく、結局はラクがしたいわけです。

痩せたかったら、「痩せたい」という注文を出せばいいのです。でも、「痩せたい」という注文を出していません。「痩せたい」と注文するつもりで口をついて出た言葉は「ラクしたい」です。ラクしたついでに、痩せたいわけです。
ほどほどの成功を望む人は、結局は「痩せたい」じやなく「ラクしたい」と思っている人と同じなのです。
成功するなら、大成功を目指して努力し続けていくことなんです。それも楽しく一生懸命に。

☆そこそこの成功なんて捨てましょう。ダイエットできない人と同じパターンなんですから。

「人は本来みんな元気を持っている」 (2007.7.5[Thu])
悩むことは悪いことじゃないです。ただ、悩んで立ち止まっていると、あなたの波動はブレて弱まります。
波動を強めようとする必要はありません。それより、あなたのエネルギーを最大限、外に出るようにすれば、あなたのこれからの未来はよくなっていきます。それが元気が出たということです。

もともとあなたには元気が備わっています。せっかく元気を持っているのに、それが外に出ないのは一番の損です。
くよくよすることが、あなたのエネルギーを一番失わせます。くよくよする人は今の自分や、過去の自分や出来事にとらわれている人です。

すぐくよくよに入る人は、「今の自分のこと」しか興味がないのです。

未来の自分に興味を持ったら、今することがおのずとわかって、行動したくなります。
一年後、三年後、自分はどうなっているんだろう、こうなっていたい、と思ったら、今から何をしておかなければならないのかが分かります。
未来の自分がイメージできれば、それに向かって元気は自然と湧いてきます。

元気がでれば未来に向かって努力ができます。宇宙や自然界は、努力している人を、逃しません。どこまでも追いかけてきて、「成功を手伝ってあげる」とツキをくれます。

周りが助けてくれない。ツイてないという人は、努力が足らないのです。宇宙や自然界の努力に関しての追求は、税務署より厳しいです。努力すればするほど、宇宙は必ず追い風を向けてくれます。

だけどくよくよ考えたり、同じところをクルクル回っていたら、努力にエネルギーが注げなくなります。努力し過ぎは、必ず宇宙に見つかります。

また宇宙が大好きな人は、「仕事を楽しんでる」人です。こういう人も宇宙は見逃しません。必ず追っかけてきて「成功させてやろう」とお節介をやき始めます。

悲惨に一生懸命楽しむことはできません。楽しんだら一生懸命できて宇宙が応援しだすのです。とにかく楽しんでやれることは、一生懸命になれます。楽しんでやれることは、全力を注ぎ込んでやれます。
あなたの未来をイメージすることです。そこに向かって目一杯仕事を楽しみましょう。必ず宇宙に見つかってしまいますから。

☆ウダウダ考えず、未来をイメージして楽しみながら全力を注ごう。

「姿勢のい人にはツキが来る」 (2007.7.4[Wed])
いろんな人を見ていて思うことですが、ツキが来る人は姿勢がいいけど、姿勢の悪い人はツキません。 姿勢のいい人は、パッと見た時に目立ちます。だから大勢の中にいてもその人だけ目立ちます。
親鳥も、大きな口を開けてるヒナからエサをやります。まんべんなくやってみんな死なせるよりも、強いヒナからエサをやります。

自然界、この宇宙の法則は平等だからこそ、実は公平に働いていきます。それは姿勢がよくて気の流れがいい人はえこひいきされるのが公平な働きなのです。
街で目を魅くのは、美人ではなくて、姿勢のいい人です。ブティックや量販店でも、値段をまけてくれるのは、姿勢の悪い人じゃない。必ず姿勢のいい人です。

逆に、調子が悪くなると、姿勢も悪くなります。姿勢をよくすると、調子もツキもやってきます。

姿勢のいい人は声が大きくなります。声が大きくなると迷いが消えていきます。

逆に、迷いがあると声が小さくなります。返事も小さくなります。そういう人は姿勢が悪いのです。

迷った時こそ大きな声で、「こっち」と決めます。決断するときは、「よし、やろう!」「よし、やめよう!」と声に出します。
決断できなくて、「 う〜ん」となると、声が小さくなっています。でも、大きな声で「う〜ん」と言えば、決めたくなります。

「そういう考え方もあるし、そうはなかなかいかないし・・・」とゴチャゴチャ迷っていると、姿勢が悪くなります。そういう人は優柔不断に見えて魅力がなくなります。

間違ってもいいから、声を大きく出して姿勢をよくすることです。すると気の通りがよくなるので、決断したことをツキがやって来て後押ししてくれます。

とにかく、マイナス思考になったり、迷うことが多いと思う人は、意識して姿勢を正しくして、声を出す癖をつけていきましょう。

☆姿勢のいい人と付き合おう

「自分のルールに対してマジメであれ」 (2007.7.3[Tue])
自分はマジメにしているから問題ないと思っている人は勘違いしてはいけません。そういう人は、世間のルールに対してマジメなだけです。そういう人は一つ間違えば保身が強い人です。
大人のルールは、世間のルールではなく自分のルールです。
赤ちゃんにもルールがあります。それは世間のルールです。

よく自分を見つめ直してもらいたい。
マジメということは、
@世間のルールに対してマジメであること。
A自分のルールに対してマジメであること。
この二通りがあります。

この@とAで、Aの方が大人です。
自分自身のルールを絶対に破らない。これが大人ですね。
世間のルールには反しても、自分自身のルールに対しては、きわめて厳格にマジメであり続けること。それが一本筋が通ってるってことです。

僕の中のルールは、本質に反したことはしない、理屈や理論で利害損得を考えた色気あることはしないです。それがいくら美味しい話でも、そういったものに心を奪われることだけは謹む。

世間のルールでは許されても、自分のルールとしては、許せないことを大人として持つことなのです。それが自分に厳しいということです。自分のルールに対して真面目な人とは末長く付き合いたいし、そうじゃない人とはできるだけ関わりたくありません。つまり筋の通らない人とはです。

いずれにしても、人それぞれが何らかの自分のルールを持っています。ただ自分のルールを他人に押し付けないことも大人のルールです。世間のルールはみんな共通で、押し付けるも押し付けないもありません。自分のルールはバラバラです。ただそのルールをしっかり守ってるかどうかです。

自分のルールを持っている人は、「自分が弱い人間で、たいしたことはない」とわかっています。だから自分のルールを守るのです。自分のルールに厳しい人は。その分まわりに肝要になれます。自分にも周りにも厳しい人の厳しさは、世間のルールを守る人です。自分も守ってるんだからあなたも守りなさい。そうでないと自分は損だという感覚があります。
こういう人は、「あなたの子育ては間違っている」なんて、お節介をやき始めます。
世間のルールは一つだけで、それが絶対だと思い込んでるからそうなるのです。お節介の人はほとんどがこれです。
お節介のめんどくさいところは、言ってる本人が、自分は絶対正しいと思い込んでることにあります。「自分はたいしたことはない」と思ってる人は、頼まれり望まれたりする以外はお節介はやかないものです。
☆自分のに厳しいルールを課そう。そのルールに対して、マジメになろう。

「手柄は上司や周りの人のおかげ」 (2007.7.2[Mon])
大人には自分以外のチームメイトや上司の手柄を喜べることが大切です。赤ちゃんは責任に関しては平気で逃げますが、手柄は自分のものにしようとします。大人は、上司の責任も自分の責任として受け止める。部下の責任も上司が自分の責任として受け止め、自分に引き寄せます。
引き寄せたほうがいいものと、手放した方がいいものの,二通りのものがあります。その都度考えていたら、対応が遅れてしまいます。

そういう場合はシンプルなルールに従うことです。
@手に入れたいものは、手放す。
A手放したいものは、引き寄せる。
これだけ覚えておけば、間違いがありません。

「お金」は、どうですか?
「評判」は、どうですか?
「責任」は、どうですか?

手柄のように、引き寄せたいものはできるだけ手放すのです。逆に、引き寄せたくない責任やリスクは、できるだけ自分のほうに引き寄せておけば間違いはありません。
僕は教育委員会のペイペイの時、上司も自分の一部と考えてましたから、上司の手柄は自分の手柄として喜べました。そして部下をもった時は、部下が何かリスクを背負っている時に、それも自分のリスクと考えていました。それは部下を自分の延長線上と考えていたからです。

赤ちゃんの世界は、「自分」と考える部分がとても狭いです。大人は、「自分」という言葉に相手も入ります。関西弁を聞いているちと、相手のことを二人称として「自分」と言ってますよね。
「自分どこに行くん?」、「自分、昨日あれからどこに行ったん?」というのは標準語では有り得ない。
「あなた」に対して「自分」と言う感覚は、自分を延長して、感情移入を相手にまで広げている考え方です。だからケンカもしません。自分と自分でケンカすることはないからです。他者と考えるからケンカが起こるのです。

大人になるということは、自分をどこまで延長して考えられるようになるかということです。
友達も、同僚も、上司も、親も、恋人も、みんな自分の延長線と考えたら、より感覚を共有できるし、応援できるし、ケンカもなくなるんです。

☆「自分」と感じられる範囲を、広げよう。

「おいしい話ばかりに飛びついていると、人間関係の借金ができる」 2007.7.1[Sun]
芸能界の友人が言ってましたが、タレントが事務所を移転する時は、調子が悪くなった時なんだそうです。「うちに来たらもっといい仕事があるのに」という、おいしい話に飛びつくのだそうです。そして必ず移籍がこじれる。
人間関係における借金を残したまま移籍しようとするからですね。

お金以外の借金は、
@自分自身の勉強の借金
A人間関係における借金
の二通りがあります。

@は、自分がコツコツ勉強していないのに仕事をして、勉強の借金をしたままテストを受けてる場合です。
Aは、前の人に借りを返さないまま、次のおいしい話に飛びついている状態です。こういうことを繰り返すと、流れが悪循環になります。

借金を抱える人はおいしい話にすぐに飛びつき、次の借金をする時、「これで一発必ず当てられるから何倍にしてでも返す」と、一気に返そうとします。
必ず前の借金をチャラにしてから次の何かを始めないと、おいしい話に出会うのは最も危険なのです。

美味しい話にすぐ乗る人の特徴は、努力が嫌いで、一発逆転ばかりねらっています。そして一人勝ちすることもです。そういう人は絶対に生き残れません。
長く生き残るためには、みんなで勝つことが大切です。自分のチームメイトだけでなく、ライバルも含めてみんなです。相手を負かすのではありません。勝ってもいいけど。勝ちすぎないことなのです。

圧倒的に一人勝ちして長続きしないよりは、二番手でちょっと負けても、長く生き延びるほうがいいのです。

☆「一人勝ち」しないようにしよう。

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