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2016年 1月8日

「無知は罪なり」1/8(金)
釈尊は、
人間にとって「無知」こそが、
もっとも罪深いことだとおっしゃっています。


人が、
無知の間は、
他人を批判し、自分を正当化し、罪を犯し続けてしまう、
ということを言われてます。


相手の事情や立場を知る、
親や家族の気持ちを知る、会社の収益状況の現状を知る。


正しい情報を知るだけでも、
相手を思いやることができたり、気遣うことができることができます。


また、自分が無知だったために、他人から非難されたり、
自分が他人に対して無意識に罪を犯してしまったりしています。


私も随分、無知ゆえの罪を犯してきましたから、このことがよくわかります。


もし自分が無知でなければ、要らぬ批判を受けたり、
災難を避けることも可能なのです。


すべての不幸は、自分の無知から起こってきています。
そのことをまず素直に認めることから、本当の成長は始まります。


自分が無知であることを素直に謙虚に認めて、
相手から無言で発せられている雰囲気や、情報を感じ取ろうと
する姿勢を持つだけでも、今の自分の状況ははっきり変わっていきます。


孤立する人は、すべてが自分の視点だけで動いています。
他人の状況を思いやることとか、相手の立場を考えてあげる視点が
欠落していて、とにかく自分の思い込みの強さと、
自己愛が中心で動いていきます。


これでは共同作業するチームの中で、
浮いてしまうのは当たり前なのです。
だかまず、そういった自己中心的な自分であることを、
まず素直に認めることなのです。


相手の立場になれないために、
「無知」は生まれます。


つまり、「無知」は、
相手への思いやりがない、ということなのです。


逆に、相手や周りへの思いやりを持てば、
自他ともに「安心した答え」へと必ず導かれていきます。


この「思いやり」という温かい慈悲心は、
自他ともに温かい方向に導いてくれます。


人間の心のどんな汚れや穢れでも、自分が相手や周りへ
思いやりを持つことで必ず浄化されていきます。


自分が過去にどんな罪を犯していても、
相手への思いやりを意識したり、持つことで、自分の心身や
周りの環境がほんとうに明るく清らかに変わっていきます。


人間はこういった思いやりを意識して発揮するために、
この世に生まれてきたのだと思います。


それは、自分が思いやりを持つことで、
無知と不幸から離れることができ、自分の過去犯してきた悪業が
ほんとうに浄化されて清まっていくからです。

   参考「釈迦の言葉2」より


現在、会社には各部署には新しい人たちが沢山加わり、
4月から始まる繁忙期に向かって、専門的なトレーニングを積んでいます。


個々人の自分力を鍛えていくのは当然なのですが、
他に対する思いやりを持つことで、その自分力は大きなチーム力となって
調和と躍動へとその力は発揮されていきます。


そして、
他者への思いやりを発揮するために、
常に周りや上司へのマメな「報告」「連絡」「相談」「確認」が
必要となります。


無知は罪なり。


本当のことを他者へ知らせようとしないこと。
本当のことを自分から知ろうとしないこと。


愛の反対は無関心であるとは、マザーテレサの言葉です。


無関心こそ実に大きな罪なのですし、
その無関心が無知を生んでいくのです。


どれだけうちの会社の一人ひとりが
他者や周りの人たちに思いやりを持つことができるのか?


会社が伸びるのも、
伸びないのも思いやり力次第です。


話は変わりますが、
この何日間、風邪を引いたのか体調がおもわしくありません。
みんな気遣ってくれて「早く帰って寝てください」と言ってくれます。


その一言一言に「思いやり」を感じます。


その思いやりの心を「ありがとう」と受け取ると、
自然と「ありがたい」って感謝の気持ちが生まれてきます。


ということは
「思いやり」とは、日々の中で「愛情」と「感謝」の気持ちを
持つということです。そんなことを感じます。


さあ、フワフワするのでそろそろ寝ることにします。
今日も一日ありがとうございました。
ちょっと今回は広島に帰れそうにないな。


ハードな日々を送ってきたので、
年明け早々は無理をせず、休息を取りなさいって
ことでしょうか。


これでもかこれでもかと、ぐっすりと寝れてますから。

20:44, Friday, Jan 08, 2016 ¦ ¦ コメント(2)


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