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2016年 7月6日

「悪人自覚正機」7/6(水)
浄土真宗では「悪人正機」という教えがあります。


つまり「悪人自覚正機」です。


自分という人間を深く内観すればするほど、
すぐに良いことをしたと勘違いして自惚れ、自分は間違っていない
正しいと居直り、どう私は・・・と自己否定、自己卑下する。


「なんと愚かなだよなあ・・あさましいなあ・・」と自分の
姿をありのまま見れば、まさに善人どころか善の仮面をかぶった
悪人であったと気づかされていく。ただ、そうやって深く自分を内観
できる人ほど自我から解放されていく、救われていく、それを
「悪人正機」と言います。


救われるためには傲慢である自身の悪の自覚が
必要だということです。


ただ、普通の人はほとんど「なんで私が悪人なの?」
と思われていることでしょう。


親鸞聖人という方は、人間が持つ悲しさ、愚かさ、どうしようもない
性(さが)、恥ずかしさ、を正面から見詰め続けた御方でした。


そして、深く自分の心の闇を見逃さずその悪に居直ることなく、
明るく前向きに「それも仕方がない」という、受け入れて昇華する道
を極めた方でした。


この世のどんなことも、阿弥陀さま(仏さま)と共に歩いている気持ち
を常に持ちながら、「仕方がない」ことを正面から見詰め続けました。


そして阿弥陀さまと自分との、同行二人(どうこうににん)を意識する大切さを
説かれました。これと同じ意味を、空海さんも発言しています。


一人で、自分の力だけで頑張って生きていると思うから、素直になれないのです。
自分の傲慢さや未熟さを認められず、突っ張るのでしょう。
人間はどんな人でも、仏さまの世界からみれば
ほんとうにどうしょうもないほど未熟です。


仏さまと共に生きている、生かされている自分であったと
気付けば気づけるほど、仏という光が自分を照らし自分の悪(闇)が
浮き彫りになって、仏に生かされている自覚が深まり、
「私が、私が」という自我、自己愛、自意識の自分濃度
が薄まっていきます。


そうなれば、
人は真っ白のキャンパスに
素直にいろんなことを吸収していくことができます。


素直で謙虚、
そして感謝に勝る能力はありません。


うちの会社では、
だからこそ一人ひとり自分の姿をありのまま観ていく
「内観」を大切にしています。


そして、まずは自分はエリートどころて゛はない、
傲慢で、屁理屈言いで、自己中で凡夫(ぼんぶ・力のないふつうの人)
であったことに深く気づいていきます。


そこからでしょうねえ、
心底、素に戻って謙虚に学べるのは。
ただ、よくあるのはへのツッパリにもならないブライドの高さが
素直に戻ることを邪魔してるよね、もったいないことに。
我の強さを認めてしまえば、とっとと次に行けるのですが。


法子さんは、傲慢な自分に気づいてない人、
傲慢な自分を認めようとしない人、傲慢さをごまかそうとする人
に対しては、徹底的にいきますからねえ。
病気になっても、日々の相手の自我に対しての
直球真剣勝負はまったく変わりません。

19:56, Wednesday, Jul 06, 2016 ¦ ¦ コメント(0)