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2016年12月4日

「歩くのは自分自身の足」12/4(日)
私は毎朝、
会社に行く前と帰ってから必ず仏参(仏さんにお参りするし、
会社に行ってから仕事前、そして仕事が終わって帰る前に
必ず全員で仏間で仏参をしています。


会社ではスタッフたちが
お花やお仏飯を変えますが、
自分の部屋にある仏壇のお花やお仏飯は
自分が花を枯らさないように水を変えます。


これは
仏さんにお願い事や
願望実現のためにお参りしているのではなく、
仏さんやご先祖さんたちに、「今日も一日ご指導よろしくお願いします」
「今日も一日ご指導ありがとうございました」と
感謝だけのご挨拶をしているわけで、
自分の人生も会社の運気も
自分たちの努力次第です。


神仏に手を合せるという、
決して神仏に何かを依存する手段ではないのです。
尊いものに手を合せる。
そして人生を歩いていくのは自分自身の足です。


よく神仏に手を合せると良いことがあるのか?
という人がいますが、生きていれば、いろんなことがあるものです。
それが人生です。誰もが生老病死から逃げることはできません。


ただ、
尊い仏さんや多くのご先祖さんたちに
「生かしていただいてありがとうございます」と感謝で
手を合せるということは、いつも仏さんやご先祖さんと
一緒だという安心の自覚に包まれた中で
目の前に与えられたことを
一生懸命頑張ることが出来るのです。


そういった繰り返しで
実は自分の心が自然と
強く優しく育てられていってることに
気づいていきます。


決して依存しない。逃げない。
そうではなく共に生きている自覚が深まるにつれて
いろんなことがあるこの現実の世界を
地に足をつけて生きていくことができます。


精神世界や宗教に関わる人間の欠点は、
見えない世界を重視しすぎて、現実の行動に無責任
になって本気で頑張らなくなることです。


そのことを
「頭でっかんけつすぼり」と広島では言います。


知識や理屈ばかりで実践がないということです。


そんなことが
本当の信仰だと思ったら大間違いです。
見えない尊いものを敬いながらも、まず目の前にある
現実をしっかり見据えて積極的に行動していくこと。


「仏道」「武道」「茶道」「華道」「「空手道」「クリー二ング道」・・。
「道」が付くものは型が大切です。作法を大切にします。
この「道」は型を繰り返して、自分の心を「内観」していきます。
最初はわからなくても、作法を繰り返し繰り返していくうちに
その心が次第と分かっていきます。


仏参もそうなのです。
繰り返さないうちは、決して分かりません。
最初は何かよくわからなくても、いつしか繰り返していくうちに
型がいつしか本物に変わっていきます。必ずです。


そして人生を歩くのは自分自身。
仏参を繰り返すうちに、次第とその足取りが腰が落ちた
しっかりしたものへと変わっていきます。必ずです。

uiy
廣瀬家の長男、次男、そしてお父さんの伸ちゃん三名が広瀬家の
報恩講をお勤めに来ました。ほんとに二人ともいい子に育ちました。
みんなに育てられたねえ。有難いねえ。廣瀬家一家でいいスタート
が切れたね。

11:37, Sunday, Dec 04, 2016 ¦