「いのちのリレー」12/3(水)
体育の時間にリレー競争をしたことがありますか。みんなで
次々に走って、順位を競う競技ですね。リレーのルールは簡
単です。バトンをもって走り、そのバトンを次の人に渡します。
どんなに走りたくても、バトンをもらわないと走れません。
私たちは、お父さんお母さんから、いのちのバトンをもらって
生きています。お父さんもお母さんもまた、それぞれのお父
さんお母さんからいのちのバトンをもらっています。
その前もまたその前も、いのちのバトンは、一度も途切れずに
渡されてきました。数えきれないたくさんの人たちのいのちの
バトンがリレーされて、私一人に届いているのです。
リレー競争でバトンを次の人へ渡すとき、前の人は「あとはたの
んだよ。しっかりがんばってね」という気持ちで渡します。私は数
えきれないくらいたくさんの人たちから「がんばってね」と応援さ
れながら、永遠のいのちのリレーを生きているのですね。
(たつお いちょう)
親子で読める「ほとけさまのお話」より転載
町内で一番最初にお寺に保育所を開設したのはお寺の住職
である祖父の中田珠教でした。坊守の祖母は保母として祖父
ほ支えました。
父は中学校の教諭を退職するとお寺の住職と保育園の園長
を務め、坊守の母は保母として父を支えました。
僕は住職と保育園の園長を務め、現在は理事長の職を務め
ています。妻は坊守として保育士を務めた後、現在は園長を
務めています。
昨日、娘の輝香に広島別院真和保育園から内定通知が届き
ました。
ただそこに至るまではちょっとしたドラマがありました。
僕は就職する保育園を選ぶのなら「仏教保育」を実践する保
育園であることと、娘にははっきり伝えていました。
ただ、娘は道徳教育をしっかりして自分が納得できる保育園
であれば、仏教保育にこだわることでもないと、自分の意見
を持っていました。それは仏教保育と銘を打っていても、そう
でないとこがたくさんあると。
その夜、娘とそのことで口論となりました。そして娘にはありの
ままの僕の気持ちを伝え、厳しく本気で叱りました。
祖父が何故、情熱を持って「仏教保育」を町内で最初に行った
のか?その祖父を祖母は尊敬し支え続けました。それは公立
の行っている道徳教育の限界を感じ取っていたからなのです。
両手の手を胸の前で合わせることを「合掌」といいます。左手は
私、右手は仏さまを意味します。「なもあみだぶつ」と言うときに
合掌するのは「私が大きな愛の仏さまにであう」ことを表していま
す。
食事のときは、「私のいのちが食べ物のいのちとであう」のです。
あいさつするときは、「私とあなたがであう」のです。
合掌することは、相手を深く敬い感謝することです。そこには、個
性はばらばらであったとしても、尊いいのちをお互いが尊重し合い、
認め合う、爽やかな人権感覚があるのです。
人間の自己評価、自尊感覚は0歳から10歳までの間に育てられ
ていきます。どんな時でも「私がついているよ。安心しなさい」と呼び
かけ、共にいて下さるアミダという仏の大きな愛をいただくこと。
「なもあみだぶつ」と声に出して称えることがそのまま「いつも見守っ
て下さってありがとうございます」というお礼でもあるのです。
そんな大きな愛の仏さまの安心の世界を生き、そして子供たちに伝
えていくこと。その安心の世界を子どもと共に感得していくのが「仏教
保育」なのです。その「いのちの保育」を先祖たちは後の子孫たちに
バトンタッチするために頑張って仏教保育に生きてきたのです。
僕の本気に娘は何かを感じ取ったのか、僕の知らない間に仏教保育
の真和保育園に体験実習に入り、採用試験を受験していました。そし
て、昨日、採用内定通知が自宅に届いていたのでした。
その前もまたその前も、いのちのバトンは、一度も途切れずに
渡されてきました。数えきれないたくさんの人たちのいのちの
バトンがリレーされて、私一人に届いているのです。
リレー競争でバトンを次の人へ渡すとき、前の人は「あとはたの
んだよ。しっかりがんばってね」という気持ちで渡します。私は数
えきれないくらいたくさんの人たちから「がんばってね」と応援さ
れながら、永遠のいのちのリレーを生きているのですね。
娘もまた、そうでした。ありがたい。
洗い場のさっちゃんが、この話を聞いて「涙が出るほど嬉しい」と
喜んでくれていました。この会社も人間の都合よりも仏さま、お法
が中心だから・・・。
生かして頂いて ありがとうございます。
次々に走って、順位を競う競技ですね。リレーのルールは簡
単です。バトンをもって走り、そのバトンを次の人に渡します。
どんなに走りたくても、バトンをもらわないと走れません。
私たちは、お父さんお母さんから、いのちのバトンをもらって
生きています。お父さんもお母さんもまた、それぞれのお父
さんお母さんからいのちのバトンをもらっています。
その前もまたその前も、いのちのバトンは、一度も途切れずに
渡されてきました。数えきれないたくさんの人たちのいのちの
バトンがリレーされて、私一人に届いているのです。
リレー競争でバトンを次の人へ渡すとき、前の人は「あとはたの
んだよ。しっかりがんばってね」という気持ちで渡します。私は数
えきれないくらいたくさんの人たちから「がんばってね」と応援さ
れながら、永遠のいのちのリレーを生きているのですね。
(たつお いちょう)
親子で読める「ほとけさまのお話」より転載
町内で一番最初にお寺に保育所を開設したのはお寺の住職
である祖父の中田珠教でした。坊守の祖母は保母として祖父
ほ支えました。
父は中学校の教諭を退職するとお寺の住職と保育園の園長
を務め、坊守の母は保母として父を支えました。
僕は住職と保育園の園長を務め、現在は理事長の職を務め
ています。妻は坊守として保育士を務めた後、現在は園長を
務めています。
昨日、娘の輝香に広島別院真和保育園から内定通知が届き
ました。
ただそこに至るまではちょっとしたドラマがありました。
僕は就職する保育園を選ぶのなら「仏教保育」を実践する保
育園であることと、娘にははっきり伝えていました。
ただ、娘は道徳教育をしっかりして自分が納得できる保育園
であれば、仏教保育にこだわることでもないと、自分の意見
を持っていました。それは仏教保育と銘を打っていても、そう
でないとこがたくさんあると。
その夜、娘とそのことで口論となりました。そして娘にはありの
ままの僕の気持ちを伝え、厳しく本気で叱りました。
祖父が何故、情熱を持って「仏教保育」を町内で最初に行った
のか?その祖父を祖母は尊敬し支え続けました。それは公立
の行っている道徳教育の限界を感じ取っていたからなのです。
両手の手を胸の前で合わせることを「合掌」といいます。左手は
私、右手は仏さまを意味します。「なもあみだぶつ」と言うときに
合掌するのは「私が大きな愛の仏さまにであう」ことを表していま
す。
食事のときは、「私のいのちが食べ物のいのちとであう」のです。
あいさつするときは、「私とあなたがであう」のです。
合掌することは、相手を深く敬い感謝することです。そこには、個
性はばらばらであったとしても、尊いいのちをお互いが尊重し合い、
認め合う、爽やかな人権感覚があるのです。
人間の自己評価、自尊感覚は0歳から10歳までの間に育てられ
ていきます。どんな時でも「私がついているよ。安心しなさい」と呼び
かけ、共にいて下さるアミダという仏の大きな愛をいただくこと。
「なもあみだぶつ」と声に出して称えることがそのまま「いつも見守っ
て下さってありがとうございます」というお礼でもあるのです。
そんな大きな愛の仏さまの安心の世界を生き、そして子供たちに伝
えていくこと。その安心の世界を子どもと共に感得していくのが「仏教
保育」なのです。その「いのちの保育」を先祖たちは後の子孫たちに
バトンタッチするために頑張って仏教保育に生きてきたのです。
僕の本気に娘は何かを感じ取ったのか、僕の知らない間に仏教保育
の真和保育園に体験実習に入り、採用試験を受験していました。そし
て、昨日、採用内定通知が自宅に届いていたのでした。
その前もまたその前も、いのちのバトンは、一度も途切れずに
渡されてきました。数えきれないたくさんの人たちのいのちの
バトンがリレーされて、私一人に届いているのです。
リレー競争でバトンを次の人へ渡すとき、前の人は「あとはたの
んだよ。しっかりがんばってね」という気持ちで渡します。私は数
えきれないくらいたくさんの人たちから「がんばってね」と応援さ
れながら、永遠のいのちのリレーを生きているのですね。
娘もまた、そうでした。ありがたい。
洗い場のさっちゃんが、この話を聞いて「涙が出るほど嬉しい」と
喜んでくれていました。この会社も人間の都合よりも仏さま、お法
が中心だから・・・。
生かして頂いて ありがとうございます。
18:12, Wednesday, Dec 03, 2014 ¦ ¦ コメント(1)