「お通夜」12/29(日)
よく法子さんから
「あの人は心がケチだから豊かさがない」
という言葉を聞きます。
「ああ・・・・確かに・・そんな気がする」。
法子さんがケチだと言っているのは、
当然、お金や物に対しても執着が強いという意味あるのですが、
何より自身のいのちに対して、良心に対してケチだということ。
自分のいのちを良い方向、豊かな方向に育てていこうとせず、
この世的なことばかりに捕らわれて、一喜一憂した人生を送って
いるということ。
当然、そういう生き方をしているから
先祖や神仏を心から尊ぶこともなく、
どうしても目先の利害損得や好き嫌いで動き、
大局的な見方が出来ないこと。
たとえその人がいくらこの世で出世していようが、
地位や名誉やお金があろうが、とてもその人のいのちが
貧相で豊かさが伝わってこない、つまりいつも我良しである・・等々。
彼女は一瞬でその人を見抜いて
しまうので(これは私もなんですが)、
今日はケチについて話し合いました。
そういやあ、
そうだよなあ・・・と頷きながら・・・。
さて、今日は12月22日午前9時45分にお亡くなりになった
松山良博さん(享年60歳)のお通夜を玉泉院君津中央会館で
午後6時よりお勤めさせていただきます。
明日は午前11時30分からお葬儀をお勤めさせていだきます。
若くしてお亡くなりになった良博さんには、
「釋良晃」という法名を付けさせていただきました。
良は良博さんの「良」から取りました。
良博さんはレントゲン技師として長年森田医院に勤務されておられ、
多くの患者さんのレントゲン撮影を行われてきたわけで、「良」とは
その医療の道のひいでたプロであったということですね。
そして「晃」とは、仏の光明をあらわしたもので、
陰ながら身の病で苦しむ人たちのかけがえのない支えとなって、
生前はご尽力され、この世を去ってはそのお徳によって、
仏の光明に照らされて浄土に迎えられ、諸仏となって
この娑婆に還って来て人々を救う慈悲の働きに参加される
ということです。
実は良博さんが末期がんで余命一年であろう・・と知らされ
のが、お姉さんの治美さんからこの11月末でした。
それからあれよあれよという間に、病状が悪化し、あっという間に
22日というお亡くなりになる日を迎えました。
聞くところによりますと、
看護婦の元の奥様が最後まで献身的に看病で良博さん
に付き添われ、またご友人の方もホテルを取って病室に通われ、
またお二人のご子息も父である良博に寄り添われた。
当然、姉の治美さんや89歳になられる冨美子さんも、
一日でも長く生きてくれることを祈るような思いで通われて
いました。
姉の治美さんはいつも、
小さいころ「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私の傍から
離れなかった、そんな幼いころの事を、昨日の出来事のように
思い出して、とても胸が痛みますと、いつも涙ぐんでおられ、
また、母である冨美子さんも、「親が子どもを見送るというのは
言葉にならないほど辛い」と、やはり涙ぐんでおられました。
そういう姿を見ながら、
私たちに何が出来るだろうか・・と真剣に考え、
スタッフ全員で出来るサポートを全力でさせていただこうと
今日の日を迎えるに至りました。
亡くなられて一週間の時間をもらい、
スタッフ一人ひとりが良博さんの死を通して、
今の自分の生活に後悔は無いか?今の自分の人生に悔いはないか?
しっかりと自分のいのちの在り方を振り返らせていただきました。
そして、あらためて思いましたのは、
自分は一人で生きているのではない、目に見える人たちの縁、
目に見えない多くの先祖に生かされているのだ、ということでした。
つきなみですが、そういう当たり前の事が
こんなことがないと人間はなかなか腑に落ちないのです。
いくら故人は「お浄土の世界へ還られましたよ」といっても、
恩愛の情は断ちがたく、別離の悲しみはいうべからずです。
ただ、これから明日の葬儀や七日七日の法縁を通して、
私たち一人一人が、私を生かして下さっている
大きないのちのはたらきの中に生きているのだ・・
ということを深く気づき目覚めさせていただく。
その時、
今までせ小さな枠の中で「わたしが」「わしが」と
我が身のことだけを考え、とらわれていた自己中心的な
「私とあなた」の心の位置が、
相手の立場で物事を見ていこうとする「あなたと私」の
立ち位置に転じていくのだと思います。
まさにそれは浄土の世界より諸仏となられた良博さん、
釋良晃の慈悲の光(温かさ)が私たちのいのちに至り届いたということが
目には見えないけど、はっきり感じられるのではないかと思います。
というような、
法話になるのではないかなあ・・と思います。
今日、お通夜に来られない皆さんを意識して
お話をさせてもらいました。
あらためて、
一週間の時間を与えられて
本当に良かったと思っています。
仏さまを声高々に礼拝する
愛の賛歌「正信偈」をみんなで練習できましたし。
「あの人は心がケチだから豊かさがない」
という言葉を聞きます。
「ああ・・・・確かに・・そんな気がする」。
法子さんがケチだと言っているのは、
当然、お金や物に対しても執着が強いという意味あるのですが、
何より自身のいのちに対して、良心に対してケチだということ。
自分のいのちを良い方向、豊かな方向に育てていこうとせず、
この世的なことばかりに捕らわれて、一喜一憂した人生を送って
いるということ。
当然、そういう生き方をしているから
先祖や神仏を心から尊ぶこともなく、
どうしても目先の利害損得や好き嫌いで動き、
大局的な見方が出来ないこと。
たとえその人がいくらこの世で出世していようが、
地位や名誉やお金があろうが、とてもその人のいのちが
貧相で豊かさが伝わってこない、つまりいつも我良しである・・等々。
彼女は一瞬でその人を見抜いて
しまうので(これは私もなんですが)、
今日はケチについて話し合いました。
そういやあ、
そうだよなあ・・・と頷きながら・・・。
さて、今日は12月22日午前9時45分にお亡くなりになった
松山良博さん(享年60歳)のお通夜を玉泉院君津中央会館で
午後6時よりお勤めさせていただきます。
明日は午前11時30分からお葬儀をお勤めさせていだきます。
若くしてお亡くなりになった良博さんには、
「釋良晃」という法名を付けさせていただきました。
良は良博さんの「良」から取りました。
良博さんはレントゲン技師として長年森田医院に勤務されておられ、
多くの患者さんのレントゲン撮影を行われてきたわけで、「良」とは
その医療の道のひいでたプロであったということですね。
そして「晃」とは、仏の光明をあらわしたもので、
陰ながら身の病で苦しむ人たちのかけがえのない支えとなって、
生前はご尽力され、この世を去ってはそのお徳によって、
仏の光明に照らされて浄土に迎えられ、諸仏となって
この娑婆に還って来て人々を救う慈悲の働きに参加される
ということです。
実は良博さんが末期がんで余命一年であろう・・と知らされ
のが、お姉さんの治美さんからこの11月末でした。
それからあれよあれよという間に、病状が悪化し、あっという間に
22日というお亡くなりになる日を迎えました。
聞くところによりますと、
看護婦の元の奥様が最後まで献身的に看病で良博さん
に付き添われ、またご友人の方もホテルを取って病室に通われ、
またお二人のご子息も父である良博に寄り添われた。
当然、姉の治美さんや89歳になられる冨美子さんも、
一日でも長く生きてくれることを祈るような思いで通われて
いました。
姉の治美さんはいつも、
小さいころ「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私の傍から
離れなかった、そんな幼いころの事を、昨日の出来事のように
思い出して、とても胸が痛みますと、いつも涙ぐんでおられ、
また、母である冨美子さんも、「親が子どもを見送るというのは
言葉にならないほど辛い」と、やはり涙ぐんでおられました。
そういう姿を見ながら、
私たちに何が出来るだろうか・・と真剣に考え、
スタッフ全員で出来るサポートを全力でさせていただこうと
今日の日を迎えるに至りました。
亡くなられて一週間の時間をもらい、
スタッフ一人ひとりが良博さんの死を通して、
今の自分の生活に後悔は無いか?今の自分の人生に悔いはないか?
しっかりと自分のいのちの在り方を振り返らせていただきました。
そして、あらためて思いましたのは、
自分は一人で生きているのではない、目に見える人たちの縁、
目に見えない多くの先祖に生かされているのだ、ということでした。
つきなみですが、そういう当たり前の事が
こんなことがないと人間はなかなか腑に落ちないのです。
いくら故人は「お浄土の世界へ還られましたよ」といっても、
恩愛の情は断ちがたく、別離の悲しみはいうべからずです。
ただ、これから明日の葬儀や七日七日の法縁を通して、
私たち一人一人が、私を生かして下さっている
大きないのちのはたらきの中に生きているのだ・・
ということを深く気づき目覚めさせていただく。
その時、
今までせ小さな枠の中で「わたしが」「わしが」と
我が身のことだけを考え、とらわれていた自己中心的な
「私とあなた」の心の位置が、
相手の立場で物事を見ていこうとする「あなたと私」の
立ち位置に転じていくのだと思います。
まさにそれは浄土の世界より諸仏となられた良博さん、
釋良晃の慈悲の光(温かさ)が私たちのいのちに至り届いたということが
目には見えないけど、はっきり感じられるのではないかと思います。
というような、
法話になるのではないかなあ・・と思います。
今日、お通夜に来られない皆さんを意識して
お話をさせてもらいました。
あらためて、
一週間の時間を与えられて
本当に良かったと思っています。
仏さまを声高々に礼拝する
愛の賛歌「正信偈」をみんなで練習できましたし。
11:38, Sunday, Dec 29, 2019 ¦ ¦ コメント(0)