「仕事とは」5/28(日)昼
今、伊勢丹の花嶋さんから
「今日は12時からの出勤でございます。
よろしくお願いします」と、
挨拶の電話がありました。
今日は東京も曇っているので
伊勢丹新宿店メンズ館しとても落ち着いて
いるそうです。
伊勢丹新宿店メンズ館は、
スタッフが廣瀬、手島、花嶋、近藤の4名体制ですが、
廣瀬は主人の伸ちゃんが4月に腎臓癌の摘出手術
を受けましたのでコロナ禍もあり、現在は自宅に
戻って家事をやっています。
ただ、それではこちらも人員のローテ―ションが
組めないので、月に10日ぐらい出てきては
店舗の方へ立ってくれています。有難いです。
そして明日仕事が終わったら兵庫の自宅へ帰ります。
「仕事」。
本来、仕事は「事に仕える」ということですね。
つまり「目の前にある事に対して、[させていただく]
という謙虚な気持ちで一生懸命 お仕えすること」が、
仕事本来の意味なのです。
そういう「本来の仕事」をさせてもらっていれば、
必ず受け取るべき利益が生まれます。
一般的にそれは「お金」という対価を与えられます。
それ以外に、お客様の「笑顔」や「喜び」や「感動」、
そして「労の言葉」や「ありがとう」の感謝などの
場合もあります。
これはうちの全スタッフに伝えたいのですが、
当然仕事の利益とは「お金」もあります。本当に
一般的にはまさにこれしかない!といった感じです。
ただ人間はそれだけじゃあ心は満たされないのです。
「本当の利益」とは、「誰かの役に立ち、相手の喜び
に貢献すること」なのです。
それが真の「仕事の真の目的」であり、仕事を通じて
得られる本当の成果であり一番自分の良心が喜ぶ
ことなのです。
コロナ禍前までは相手から奪い取ることで、利益を
確保していたような企業もあったようですが、もう
「本当の利益」に貢献する、「本当の仕事」しか、
残れないと感じています。
彼女は自宅にいて家事をするときはご主人の
援助をしたり、掃除洗濯お料理をして、「家族の
役に立ち、喜びに貢献する」。これも立派に
受け取る「本当の利益」です。
そして時が来れば自宅を離れて、「本来の仕事」
をして「本来の利益」をお客様の喜びに貢献
して受け取っていく。
また、ここに来れば姉、法子ちゃんの「あんたぁ
何やってんの。ばっかじゃない!!」ビシバシもあり、
ジェットコースター状態の日々刺激だらけで新しい
「気づき」や「目覚め」が起こり、半端ない
自己成長ができます。
というか、そうじゃないと本当の彼女のいのちに
戻れない。思い込みが強いから。
とにかく
そのビシバシ学びをお客様の喜びに貢献したり、
兵庫の自宅に帰ったら家族の喜びに貢献して
ほしいと思っています。
およそ来年の3月末までは伸ちゃんも自宅療養し
彼女もこういった生活が続きますから、どこに
いても「本当の仕事」「本当の利益」に意識を向け
てもらいたいと思っています。
(株)廣瀬の人たちの喜びにもね。
そうやって「本当の仕事」をしていく人には、
必ず「本当の利益」の喜びが与えられていきます。
何よりもそういう「させていただく」という、
一勝懸命 事に仕えていく謙虚な姿勢があれば
自他共に喜びが共有できます。
これは彼女だけでなく、
うちのスタッフ全員、
また縁のある関係者のみんな、
常に「本当の利益」を考えて一生懸命
情熱を持って「本当の仕事」を
させてもらいましょう!!
どうぞよろしくお願いします。
「本当の利益」とはこういったお客様からの感謝と喜びです。
これがあるからこそ頑張れる!ってなものです。
「人生でいちばん大切なむ 自分との約束」著 はずき虹映 参考
「今日は12時からの出勤でございます。
よろしくお願いします」と、
挨拶の電話がありました。
今日は東京も曇っているので
伊勢丹新宿店メンズ館しとても落ち着いて
いるそうです。
伊勢丹新宿店メンズ館は、
スタッフが廣瀬、手島、花嶋、近藤の4名体制ですが、
廣瀬は主人の伸ちゃんが4月に腎臓癌の摘出手術
を受けましたのでコロナ禍もあり、現在は自宅に
戻って家事をやっています。
ただ、それではこちらも人員のローテ―ションが
組めないので、月に10日ぐらい出てきては
店舗の方へ立ってくれています。有難いです。
そして明日仕事が終わったら兵庫の自宅へ帰ります。
「仕事」。
本来、仕事は「事に仕える」ということですね。
つまり「目の前にある事に対して、[させていただく]
という謙虚な気持ちで一生懸命 お仕えすること」が、
仕事本来の意味なのです。
そういう「本来の仕事」をさせてもらっていれば、
必ず受け取るべき利益が生まれます。
一般的にそれは「お金」という対価を与えられます。
それ以外に、お客様の「笑顔」や「喜び」や「感動」、
そして「労の言葉」や「ありがとう」の感謝などの
場合もあります。
これはうちの全スタッフに伝えたいのですが、
当然仕事の利益とは「お金」もあります。本当に
一般的にはまさにこれしかない!といった感じです。
ただ人間はそれだけじゃあ心は満たされないのです。
「本当の利益」とは、「誰かの役に立ち、相手の喜び
に貢献すること」なのです。
それが真の「仕事の真の目的」であり、仕事を通じて
得られる本当の成果であり一番自分の良心が喜ぶ
ことなのです。
コロナ禍前までは相手から奪い取ることで、利益を
確保していたような企業もあったようですが、もう
「本当の利益」に貢献する、「本当の仕事」しか、
残れないと感じています。
彼女は自宅にいて家事をするときはご主人の
援助をしたり、掃除洗濯お料理をして、「家族の
役に立ち、喜びに貢献する」。これも立派に
受け取る「本当の利益」です。
そして時が来れば自宅を離れて、「本来の仕事」
をして「本来の利益」をお客様の喜びに貢献
して受け取っていく。
また、ここに来れば姉、法子ちゃんの「あんたぁ
何やってんの。ばっかじゃない!!」ビシバシもあり、
ジェットコースター状態の日々刺激だらけで新しい
「気づき」や「目覚め」が起こり、半端ない
自己成長ができます。
というか、そうじゃないと本当の彼女のいのちに
戻れない。思い込みが強いから。
とにかく
そのビシバシ学びをお客様の喜びに貢献したり、
兵庫の自宅に帰ったら家族の喜びに貢献して
ほしいと思っています。
およそ来年の3月末までは伸ちゃんも自宅療養し
彼女もこういった生活が続きますから、どこに
いても「本当の仕事」「本当の利益」に意識を向け
てもらいたいと思っています。
(株)廣瀬の人たちの喜びにもね。
そうやって「本当の仕事」をしていく人には、
必ず「本当の利益」の喜びが与えられていきます。
何よりもそういう「させていただく」という、
一勝懸命 事に仕えていく謙虚な姿勢があれば
自他共に喜びが共有できます。
これは彼女だけでなく、
うちのスタッフ全員、
また縁のある関係者のみんな、
常に「本当の利益」を考えて一生懸命
情熱を持って「本当の仕事」を
させてもらいましょう!!
どうぞよろしくお願いします。
「本当の利益」とはこういったお客様からの感謝と喜びです。
これがあるからこそ頑張れる!ってなものです。
「人生でいちばん大切なむ 自分との約束」著 はずき虹映 参考
12:01, Sunday, Jun 28, 2020 ¦ ¦ コメント(20)
「気づき体質」5/28(日)朝
「気づく人になる」
『世の中で成果を上げる人と
そうでない人の差は、むだがるか、ないか。
無駄をなくすためには、気づく人になることが大切。
気づく人になることによって、無駄がなくなる。
その「気づき」をもっと引き出してくれるのが
トイレ掃除です。』
気づかない人は、自分も周りも不幸にします。
人はよく「大変だぁ」という場面に遭遇します。
しかし、「大変」になってから対処しても、
もう手が付けられません。
「大変」になる前に、必ず「小変」があるはずです。
この「小変」が気づきに相当することだと思います。
つまり、気づくということは、「大変」になる前に
知るということです。
結果が出てみなければ分からないのでは遅すぎます。
気づきの段階で対処すれば、もう、手のつけられない
「大変」な事態になることはなくなります。
気づきは、「良心」からのメッセージが込められて
いるように思います。それだけに、気づいたことを
迷うことなく、次から次に処理していくことが
何より大事なことなのです。
気づきを一つひとつ処理する中で、
さらに気づきのアンテナが研ぎ澄まされていきます。
そうしますと、益々人生がよくなるわけです。
「掃除道」著鍵山秀三郎(亀井民治編)より抜粋転載
正直言って
気づく人になるというのは
日々トレーニングしておかないと
難しいと思います。
何故ならば、
いかに「まずい」場面になろうとも、
常に客観的なもう一人の自分が
舞台の上で演じている自分を冷静に見ている
そういう感覚がないと、
この「気づき」、
つまり良心からのメッセージは
キャッチできないからです。
多くの人が「まずい」場面に出合うと、
気が動転して、心の中心がプレ、
わけがわからなくなってしまいます。
こうなれば気づきどころか、
自分自身が自分の動揺した感情に
引っ張られ、「それはないやろ・・」
という間違った判断をしてしまいます。
何もない平穏な時は
みんないい人なのです。
しかし、「まずい」場面になればなるほど
その人の本性が出てしまうのです。
これは日常生きている座標軸の中心が
良心なのか、自我なのか
一瞬で圧倒的に自分が生きていた方へ
流されたり引っ張られていきます。
だからこそ、
日常生活から、
良心と共に生きることを意識して
決意行動という生活をしておかないと、
なかなか「いざ」という時は
難しいのです。
中心がとても弱い
ということは良心が自分に対して
オッケーを出していない生活、
生き方をしているということなのです。
私は正直言って
人の何十倍?それ以上「直感」「閃き」の「気づき」
は長けていると思います。
また、逆に「まずい」という場面になればなるほど、
総合格闘技のように力を発揮することが出来ます。
これは過去をずっと
振り帰ってみれば、
「問題可決」としてはミクロ的にマクロ的にも
一番良い判断をしている
ことが分かるのです。
周りの人がら見れば
そう見えなくても、直接因縁と複合因縁を絡ませて、
その中で今必要な判断とベストな行動を
しているということなのです。
ちょっと難しいなあ・・この説明は。
「気づき」が何故どんどん起こってくるのか?、
それは日常から良心に従って
「よりよく生きるためには」「よりよく進むためには」
と、自身に問いを発し続けている
からだと思います。
つまりいつも「問題意識」を
持って日々を生活してからなのです。
しかし、
これらは人から教わったものではなく、
自らが気づいていこうとする
問題意識の姿勢を持ち続けることなのです。
これも「凡事徹底」です。
いざという時には、
教わって、覚えたことはまったく
役にたちません。
常に自分の課題に対して
自分の良心に対して
「問い」を出し続けることが大切です。
「これでいいのか?」という問題意識を
持ち続けるということです。
これは「危機管理」も同じですね。
常に「最悪の事態を想定」して、
どうそれに対して「向かい合ったらいいのか}
問い続け準備をしてやるだけやり尽くし
後は仏さまに任せるということでした。
それとやはりこういった知識を入れ、
日常の中でいろんな経験をしておく
ということです。
知識と経験はいざとなったとき、
「気づき」のヒントになってくれる
ことは多いいです。
そうやって本番では
自ら気づいたことだけが、
役に立ちます。
気づく体質になるには、
そういった日々のトレーニングがあってと
時間がかかります。
問いや問題意識がないと、
ぼ~~と生きていると、
気づきも
答えも生まれてきませんから。
トイレ掃除は沈黙の中で
自分を問うていくには
とてもよい場所です。
トイレに限らずいろんな場所で
自分を問うていき、
気づくを一つ行動すれば、
また新たな気づきが研ぎ澄まされて行く
これは本当ですね。
天変地異にコロナ禍、
これからも今まで以上にいろんな問題が
目の前に起きてくると思いますが、
本当の楽天主義者、ポジティブシンキング
とは、「常に最悪の事態を想定」し、
それに対して対処できている人、
それでダメなら流れに任せる
という腹の括れた人の事を言います。
なるようになる、
という気持ちになれるのは
良心が準備をして危機管理に意識が
向いているその人にオッケーを出している
ということなのです。
ここを勘違いしないで
横着しないで下さいね。
※カメラマンの加藤さんから私が住職を務める長松寺のCDが送られてきましたので、その一部を今回掲載してみました。こんなお寺です。そしてこんな認定こども園です。
●長松寺のこの写真を見て、NCのスタッフたちが「ああ、いいですねえ・・・。今年は行けないんですよね。生きたいですねえ・・長松寺へ。別世界ですよねえ・・・穏やかなあの場は」と言ってくれてました。
来年の夏はコロナ禍もおさまっていると思うから、伊藤さん親子も、大留ちゃんも、来れる人は夏の法要に来たらいいです。
伸ちゃんもそのぐらいになればなんとか普通の状態に戻っていると思うしね。
『世の中で成果を上げる人と
そうでない人の差は、むだがるか、ないか。
無駄をなくすためには、気づく人になることが大切。
気づく人になることによって、無駄がなくなる。
その「気づき」をもっと引き出してくれるのが
トイレ掃除です。』
気づかない人は、自分も周りも不幸にします。
人はよく「大変だぁ」という場面に遭遇します。
しかし、「大変」になってから対処しても、
もう手が付けられません。
「大変」になる前に、必ず「小変」があるはずです。
この「小変」が気づきに相当することだと思います。
つまり、気づくということは、「大変」になる前に
知るということです。
結果が出てみなければ分からないのでは遅すぎます。
気づきの段階で対処すれば、もう、手のつけられない
「大変」な事態になることはなくなります。
気づきは、「良心」からのメッセージが込められて
いるように思います。それだけに、気づいたことを
迷うことなく、次から次に処理していくことが
何より大事なことなのです。
気づきを一つひとつ処理する中で、
さらに気づきのアンテナが研ぎ澄まされていきます。
そうしますと、益々人生がよくなるわけです。
「掃除道」著鍵山秀三郎(亀井民治編)より抜粋転載
正直言って
気づく人になるというのは
日々トレーニングしておかないと
難しいと思います。
何故ならば、
いかに「まずい」場面になろうとも、
常に客観的なもう一人の自分が
舞台の上で演じている自分を冷静に見ている
そういう感覚がないと、
この「気づき」、
つまり良心からのメッセージは
キャッチできないからです。
多くの人が「まずい」場面に出合うと、
気が動転して、心の中心がプレ、
わけがわからなくなってしまいます。
こうなれば気づきどころか、
自分自身が自分の動揺した感情に
引っ張られ、「それはないやろ・・」
という間違った判断をしてしまいます。
何もない平穏な時は
みんないい人なのです。
しかし、「まずい」場面になればなるほど
その人の本性が出てしまうのです。
これは日常生きている座標軸の中心が
良心なのか、自我なのか
一瞬で圧倒的に自分が生きていた方へ
流されたり引っ張られていきます。
だからこそ、
日常生活から、
良心と共に生きることを意識して
決意行動という生活をしておかないと、
なかなか「いざ」という時は
難しいのです。
中心がとても弱い
ということは良心が自分に対して
オッケーを出していない生活、
生き方をしているということなのです。
私は正直言って
人の何十倍?それ以上「直感」「閃き」の「気づき」
は長けていると思います。
また、逆に「まずい」という場面になればなるほど、
総合格闘技のように力を発揮することが出来ます。
これは過去をずっと
振り帰ってみれば、
「問題可決」としてはミクロ的にマクロ的にも
一番良い判断をしている
ことが分かるのです。
周りの人がら見れば
そう見えなくても、直接因縁と複合因縁を絡ませて、
その中で今必要な判断とベストな行動を
しているということなのです。
ちょっと難しいなあ・・この説明は。
「気づき」が何故どんどん起こってくるのか?、
それは日常から良心に従って
「よりよく生きるためには」「よりよく進むためには」
と、自身に問いを発し続けている
からだと思います。
つまりいつも「問題意識」を
持って日々を生活してからなのです。
しかし、
これらは人から教わったものではなく、
自らが気づいていこうとする
問題意識の姿勢を持ち続けることなのです。
これも「凡事徹底」です。
いざという時には、
教わって、覚えたことはまったく
役にたちません。
常に自分の課題に対して
自分の良心に対して
「問い」を出し続けることが大切です。
「これでいいのか?」という問題意識を
持ち続けるということです。
これは「危機管理」も同じですね。
常に「最悪の事態を想定」して、
どうそれに対して「向かい合ったらいいのか}
問い続け準備をしてやるだけやり尽くし
後は仏さまに任せるということでした。
それとやはりこういった知識を入れ、
日常の中でいろんな経験をしておく
ということです。
知識と経験はいざとなったとき、
「気づき」のヒントになってくれる
ことは多いいです。
そうやって本番では
自ら気づいたことだけが、
役に立ちます。
気づく体質になるには、
そういった日々のトレーニングがあってと
時間がかかります。
問いや問題意識がないと、
ぼ~~と生きていると、
気づきも
答えも生まれてきませんから。
トイレ掃除は沈黙の中で
自分を問うていくには
とてもよい場所です。
トイレに限らずいろんな場所で
自分を問うていき、
気づくを一つ行動すれば、
また新たな気づきが研ぎ澄まされて行く
これは本当ですね。
天変地異にコロナ禍、
これからも今まで以上にいろんな問題が
目の前に起きてくると思いますが、
本当の楽天主義者、ポジティブシンキング
とは、「常に最悪の事態を想定」し、
それに対して対処できている人、
それでダメなら流れに任せる
という腹の括れた人の事を言います。
なるようになる、
という気持ちになれるのは
良心が準備をして危機管理に意識が
向いているその人にオッケーを出している
ということなのです。
ここを勘違いしないで
横着しないで下さいね。
※カメラマンの加藤さんから私が住職を務める長松寺のCDが送られてきましたので、その一部を今回掲載してみました。こんなお寺です。そしてこんな認定こども園です。
●長松寺のこの写真を見て、NCのスタッフたちが「ああ、いいですねえ・・・。今年は行けないんですよね。生きたいですねえ・・長松寺へ。別世界ですよねえ・・・穏やかなあの場は」と言ってくれてました。
来年の夏はコロナ禍もおさまっていると思うから、伊藤さん親子も、大留ちゃんも、来れる人は夏の法要に来たらいいです。
伸ちゃんもそのぐらいになればなんとか普通の状態に戻っていると思うしね。
05:18, Sunday, Jun 28, 2020 ¦ ¦ コメント(17)