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2016年12月27日

「素直な心」12/27(火)
「0470-People」1月号より転載


 今、ここ、私を精一杯生きる


歳を取っても今が青春。生涯現役。


とにかく今の生活が楽しいのです。
自身のいのちがとても喜んでいるのです。


小さな頃に戻ったように大きな声で笑い、
悲しいとき、嬉しいときは人目を気にせず涙する。


悪いことをしたら「すいませんでした」。
よくしてもらったら「ありがとうございました」と言う。


ここには世間のしがらみや、つまらない不条理、
そして理屈や説得説明はないのです。
ただたた゜感じて即行動する。
そしてつまらない我が出たら、
思いっきりどやされる。


会社と自分の理想に向って、
四苦八苦しながら、喧嘩しながら、
本気でぶつかり合っていけるから楽しいし、
生きている実感がある。


そういう場に参加させて頂いているだけで有り難い。


お金だけじゃないのです。
生涯学習を推進してきた私はその意味と価値が分かるので
逆に払いたいくらいです。


過去でもなく、未来でもなく、
今、ここ、私を懸命に生きる。


今もこれからも仲間たちと変わりなく、
手抜きのない仕事をさせて頂きたいと思っています。

≪転載終了≫


うちでは仕事を通して、
徹底的に自分の心の弱さや愚かさや傲慢さを
知らされていきます。気づかされていきます。


それは、
まさに自分の心の中にいたらなさがあることを
認める人がもっとも素直になって成長できる人
であるからです。


まさに、
柔らかい木ほど折れにくいのと同じ道理です。


≪まるぞう備忘録≫より転載

 自分は心の弱い人間であること。
いつも他人と自分を比べて自分を否定している
こと。
他人の成功を妬んでいること。性的妄想に満ちて
いること。
他人を傷つけても自分が得をしたいと願っていること。


 その上で、そういう想いが自分の中にあることを
認め、そういう弱い邪な自分を静かに受け入れること。
自分の邪さを静かに受け入れたポイントに、自分の
聖なる神性が生じます。興味深い現象です。


 陰と陽の振り子は私達の心の中にも常に振れて
います。陰を極めたところに陽が生じ、陽を極めた
ところに陰が生じます。「邪なるものを排除し聖なる
ものを突き詰める」とそこには「先鋭化した邪なるも
の」が発生しますが、


 反対に、「邪なるものを静かに認め受け入れる」
ところに、正反対の「神聖さ」が生まれます。
                     ≪転載終了≫

まさに親鸞聖人のいう
「悪人正機」、悪人自覚正機。
もっと分かりやすく言えば「わがまま、
自己中心自覚正機」です。


自分の中にある、
わがままさ、自己中心的なモノの考え方、傲慢さ、
をすて受入れた上で頑張っていけることに
感謝していくということなのです。


この受け入れるということは、
実はなかなか難しい。やはりいいかっこうしたい自分とか、
自分はこんなもんじゃないとか、とにかく我が反発して
きますので受け入れたつもりでも「どうせ私は」とか、
「なんで自分ばっかりが」とか必ず我が反発爆発
していきます。


自分の我の強さを
本当に受け入られた人は
とても素直になって良心が表に出てきます。


そして
素直さと感謝のある人は、
どんくさくてもコツコツ改善努力していくので
伸びていきます。


また、今までは逃げたり
ごまかしていたのが、
逃げずに痛みを感じていきますので、
その痛さが人に対する思いやり力を育てて
いってくれます。


そして、
技術に対しても、
サービスなに対しても
繊細な思いやりの心を育てていってくれます。


、「邪なるものを静かに認め受け入れる」
ところに、正反対の「神聖さ」が生まれます。
          

明石家さんまや、ビートたけし、たもりが
何故あそこまで魅力的なのか。
そこに人間の本質的な生きるヒントがありますね。

05:05, Tuesday, Dec 27, 2016 ¦