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2014年10月27日

「蛋白質は淡泊ではなかった」10/27(月)
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今日もシミの衣類がいっぱい。このネクタイは結び目の皮脂汚れですね。
それと所々に点々と食べこぼしのようなシミがあります。
こういう場合はまず油性の汚れを取って、それから残った水溶性の汗の
成分などを取って、最後に黄ばみが残るのでその黄ばみを漂白してキレ
イにしていきます。

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綿のドレスシャツに、何なんでしょうねえ・・・体の分泌物でしょうか?例え
ばおできから出た液体みたいなものでしょうか?とにかく水溶性のシミ抜きと
漂白ではびくともしません。

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まず漂白剤をつけて置いておきましたがまったく変化がありません。

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じゃあということで、漂白剤の効果を高めるためにサビ取りをつけ
ましたが、まったく動きません。

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熱を加えてもダメ。

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この漂白剤に過酸化水素水を増やして、濃度を上げていきます。

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その濃度の濃いい漂白剤を筆で塗ります。

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塗った漂白剤をシルクガンですすぎます。

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「う・・・ん、やっぱり動かんなあ・・・」ということで、蛋白質が
含まれているシミかも?
であるならば、「これかぁ・・」血液を取るシミ抜き剤を塗ります。

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そしてさらに酵素を直接塗って15分ぐらい置いておきます。

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15分経ってシルクガンで濯ぐと、「おっ、取れてるやん」。やはり
蛋白質のシミでした。その後は、全体漂白で浴中処理をして綿の
ドレスシャツを真っ白にする作戦です。

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「ヨシッ。オッケー。」ドレスシャッが真っ白になりました。
洗いやシミ抜きで、運動会みたいにアッいう間に午前中が過ぎて
いきます。蛋白質のシミ抜きは決して淡泊ではなく濃いかった。


さて、話は変わりますが、天台宗の開祖、伝教大師最澄は、自分
の利は忘れても、他の「いのち」を利する生き方こそ、「いのち」の
事実に目覚めたもののあり方であることを、「忘己利他(もうこりた)」
と教えてくださいました。


自分の利は追い求めなくても、多くの「いのち」によって、今、ここに
生かされているのだから、少しでも他を利することを考え行動すれ
ばいいと言われたのです。


お釈迦様も、私たちが、この「いのち」を本当に喜んで生きたいと思
うならば、正しく生きるに限ると教えて下さっています。
正しく生きるってどういうことか?


僕たちの「いのち」は、他の「いのち」に支えられて生きてます。どんな
時でも、一人で生きてるのではない。まさにお客様という相手や目の
前の相手があり、周りの同僚や仲間、取引会社や関わってる人たちが
あり、もっというと、自分では、何のかかわりもないと思っている人も居
て下さるから好きな仕事ができ、支えられ生きておれるのです。


ですから正しいとは、常に相手の身になり、周りの人の身になり、多く
の「いのち」の立場に立つということです。ものを見るにしても、考えるに
しても、話すにしても、生活するにしても、常に相手の身になり、他の
「いのち」の立場に立って生きるのが、正しく生きるということなのです。


ただ、これがとても難しい。僕たちは自分の利を忘れるどころか、他の
人の利を忘れて、知らず知らずのうちに、自分の利だけを追い求めて
しまう愚かで自己中心的な人間なんて゛す。仏教ではこれを凡夫(ぼん
ぶ)と言います。相手の身になるどころか、どんな時でも自分の立場、
自分の身を優先し、自分中心の生き方、つまり忘他利己しかできない
人間なのです。


相手の身になるよりも、どうしても自分中心になってしまうのが凡夫。
だから他の人からの意見、お客様や取組先からのクレームやお願い、
こういったことはすべて、相手の身になるよりも、自分中心になってし
まっているからなのです。


こういった凡夫が自他ともに「いのち」が喜ぶためには、小さな小さな
自我の我執を打ち破らないとどうしょうもできない。そうでないと、仕
合せや、お客様や相手の喜びとは無縁の存在とし、その時その場の
環境や状況に流されては転ぶ(流転輪廻)のあり方から、脱出(出離解
脱)ことはできないでしょう。


うちのスタッフたちは常にこのことを教えられてるんです。お客様から
のクレームや、取引先からのお願いで。まず、このことに真剣に気づ
いてほしい。そして以上のことを繰り返していると心底自覚してほしい。
じゃあ、そういう僕たちのような凡夫に救いがないかというと、一つ残さ
れた道があるのです。そのことを僕は何度も何度も毎回話しているの
ですが、忘れるんだよねえ。


「スピードは愛だ」とか、「考えるな感じるんだ」とか、「感じたら即行動」
とか、「まず動け」とか・・・。結局、自分の立場、自分の身を優先するっ
てことから離れない限り、何も変わらないのです。というか、逆に、ちょ
っとうまくいくと、かえって自分の自我を誇り、鼻にかけ、自我への執着
を強くするのが、凡夫だから。


とにかく、「愛か怖れか。怖れと不安からの外発的行動ではなく、相手の
ことを思える愛の内発的行動で生きたいからね。」そのためには、常に
外ではなく己の内を観ていくってこと。己の内と繋がっていくということ。
まさにいつも自分を案じ、応援してくれている良心(仏性)とね。


生かしていただいて ありがとうございます。

09:27, Monday, Oct 27, 2014 ¦ ¦ コメント(0)