「心の断捨離」5/26(火)
なぜ、断捨離で心が軽くなる?by やましたひでこより転載
モノを片づけるだけでなく、頭や心の中も整理できてしまうもの
「断捨離」とは、モノと向き合い、モノを絞り込み、モノを手放していくこと。
そして、自分を知り、心の混乱混沌をも取り除き、人生をよりよい方向に導いていくための「行動技術」なのです。
家の中に溜め込んだゴミを一気に捨てる。数ヶ月分の新聞紙をまとめて古紙回収に出す。
溜まっていた空き缶を資源ゴミにする――そして、スッキリした気持ちになる。
仕事場の堆積した長年の資料などを、大掃除で一気に整理して、とても清々しい気持ち、新しい気持ちで新年を迎える準備をする。
そう、モノの始末をつける「片づけ」という行為は、とても気持ち良い作業であることは、誰もが経験しているはず。
でも、なぜ片づけると気持ちが良くなるのでしょうか?
家の中がきれいで快適な空間になるから、要らないものがなくなり、好きなモノに囲まれるから…など、理由はいろいろあるけれど、1番大きな理由を挙げるとするならば、それは「家の中と心の中が連動しているから」です。
東洋医学には「部分即全体」という概念があります。
これは「部分は、すなわち全体であり、全体は、すなわち部分である」という意味。これに沿って考えると、心の中(全体)という見えないところが、必ず見える部分(住まい)に現れる。
つまり、家の中が散らかっているのは、心の中が散らかっているのと同じ。
机の上にモノが溢れているのは、頭の中・思考も整理されていないのと同じ。
逆に言えば、だからこそ家の中、机の上を片づけることによって、心や頭の中も整理することができるのです。
断捨離の目的は「片づけ」ではありません。
モノを絞り込み、片をつけていく行為を通して、自分自身をよく知っていくこと――です。そして、自分の心をスッキリとさせ、最終的には、暮らしを、人生をごきげんに導いていくことです。
心がスッキリするというよりも、「軽くなる」という言い方の方が適切かもしれません。
実際、「断捨離を実践したら心が軽くなりました!」という感想が圧倒的なので。
要らないモノであるにもかかわらず、「手放せない、捨てられない」という人は多いのでは?
普段まったく使っていないけれど、人からもらったものだから捨てられない――。
高価なブランド品なので、必要なわけではないけれど、もったいなくて捨てられない――。
なぜ、それらを手元に残しておくのか?
それは、自分ではなく「モノ」を中心に考えているから。
「モノ」に支配された生活をしていませんか?
たとえどんなに高価であっても、自分が好きでもないモノに囲まれているということは、自分が好きでもないモノに支配されているのと同じです。
好きなモノなら心地いいかもしれないけれど、好きでもないモノであれば、知らず知らずのうちに、私たちの心にストレスを与えてしまっているものです。
この好きでもないモノたちを捨てたら、きっと心が軽くなるはず。
モノを軸にした考え方ではなく、「自分自身」に軸を据えた考え方にシフトしていくことで、より快適な人生を歩むことができます。
それを強力なパワーでお手伝いをするのが「断捨離」なのです。
「足し算」から「引き算」の思考へ
現在は、モノだけでなく情報も溢れている時代です。
私たち人間は、どうしても自分自身に「足りないもの」に焦点を合わせ、足りないことを受け入れず、ひたすら足し続けることで問題を解決しようと試みてきました。
それが「足し算」によって成り立った現代社会――。
けれど、この事は、溢れんばかりのモノと情報に埋もれるという「自らを失う環境」を、自分で自分に与え続けているように思えてなりません。
このような社会で、私たちは以前よりも、かえって「ゆとり」とは無縁になってきたようです。
時間も、空間も、そしてエネルギーに関してもそう。
ならば、自分自身を取り戻すためには、真逆のこと「引き算」をすればいい。
これは、ヨガの「断行」「捨行」「離業」という行法哲学からヒントを得ました。
欲望を断ち、執着を捨て、あらゆることを手離して、自在に生きるということ。
モノに落としこむならば、不要なモノを断ち、不適なモノを捨て、不快なモノから離れて自在となる――これが「断捨離」の発想です。
このような引き算を、繰り返し実践することで、本当に大事なモノや情報を、改めて発見・発掘していく。
つまり「断捨離」とは、ヨガの行法哲学を応用した「より快適に生きるための方法」とも言う事ができます。
そして、「断捨離」とは、あくまでも行動であり、どこまでも実践です。
モノと向き合って、自分を取り戻すトレーニングです。
そして、何を受け入れ、何を断わり、何を残し、何を捨てるか――それを考え、感じるのは他でもないあなた自身です。大事なものと、そうでないモノは人によって違います。
私たちを縛っているモノも、また人それぞれですから。
断捨離がただの「片づけ術」ではない理由…
ただ、間違いなく言えることは、これまで私がお手伝いさせていただき、断捨離を実践してくださったたくさんの方が、家の中が片づいただけでなく、実に様々な人生の「よりよい変化」を遂げてきた事実があるということです。
鬱的な気分の改善、不安の低減や自身の取り戻し。親の期待に知らず知らずのうちに縛られていた自分の解放。
親子関係、夫婦関係の改善。そして、転職や結婚、あるいは離婚など、自分の人生をより自律的に回復させていった人たち――。
こういった方々が、「断捨離」がただの片付け術ではないことを証明してくれています。
日常になんとなく、停滞や閉塞感を感じている人こそ、ぜひ「断捨離」を実践していただければと。このコラムでは、そんな「毎日をごきげんに生きる知恵」をあなたに提供していければと思っています。
また、断捨離についての最新のメッセージや、もっと詳細な内容は、毎日配信している無料のメールマガジンでお伝えしておりますので、よろしければそちらもご参照ください。
それでは、今後とも当コラム「断捨離で日々是ごきげんに生きる知恵」をよろしくお願いいたします。やましたひでこ(転載終了)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで。
第1次コロナ緊急事態宣言が昨日終了し、今日から街は賑わいを取り戻すかといえばそうではない感じです。それぞれが第2次を恐れて自粛的な生活を継続していくようです。
勝手な予測ではコロナの第2次襲来は10月中旬からとして、それまで、人間は以上のような「心の断捨離」を迫られていると感じます。第2次コロナ襲来は溜まっている人間の心のゴミに引き寄せられるように広がっていく。
もしそうであるならば、まさに10月中旬までは真剣にかつ楽しく「心の断捨離」を実行していけばいいのです。今日はそんな話を朝礼でするつもりです。会社、組織の「断捨離」についても。
喜んで恩に報いるということが、心の「断捨離」、「自我落し」だと思いますね。つまり進歩と調和のバランス感覚、中道を生きるということ。
モノを片づけるだけでなく、頭や心の中も整理できてしまうもの
「断捨離」とは、モノと向き合い、モノを絞り込み、モノを手放していくこと。
そして、自分を知り、心の混乱混沌をも取り除き、人生をよりよい方向に導いていくための「行動技術」なのです。
家の中に溜め込んだゴミを一気に捨てる。数ヶ月分の新聞紙をまとめて古紙回収に出す。
溜まっていた空き缶を資源ゴミにする――そして、スッキリした気持ちになる。
仕事場の堆積した長年の資料などを、大掃除で一気に整理して、とても清々しい気持ち、新しい気持ちで新年を迎える準備をする。
そう、モノの始末をつける「片づけ」という行為は、とても気持ち良い作業であることは、誰もが経験しているはず。
でも、なぜ片づけると気持ちが良くなるのでしょうか?
家の中がきれいで快適な空間になるから、要らないものがなくなり、好きなモノに囲まれるから…など、理由はいろいろあるけれど、1番大きな理由を挙げるとするならば、それは「家の中と心の中が連動しているから」です。
東洋医学には「部分即全体」という概念があります。
これは「部分は、すなわち全体であり、全体は、すなわち部分である」という意味。これに沿って考えると、心の中(全体)という見えないところが、必ず見える部分(住まい)に現れる。
つまり、家の中が散らかっているのは、心の中が散らかっているのと同じ。
机の上にモノが溢れているのは、頭の中・思考も整理されていないのと同じ。
逆に言えば、だからこそ家の中、机の上を片づけることによって、心や頭の中も整理することができるのです。
断捨離の目的は「片づけ」ではありません。
モノを絞り込み、片をつけていく行為を通して、自分自身をよく知っていくこと――です。そして、自分の心をスッキリとさせ、最終的には、暮らしを、人生をごきげんに導いていくことです。
心がスッキリするというよりも、「軽くなる」という言い方の方が適切かもしれません。
実際、「断捨離を実践したら心が軽くなりました!」という感想が圧倒的なので。
要らないモノであるにもかかわらず、「手放せない、捨てられない」という人は多いのでは?
普段まったく使っていないけれど、人からもらったものだから捨てられない――。
高価なブランド品なので、必要なわけではないけれど、もったいなくて捨てられない――。
なぜ、それらを手元に残しておくのか?
それは、自分ではなく「モノ」を中心に考えているから。
「モノ」に支配された生活をしていませんか?
たとえどんなに高価であっても、自分が好きでもないモノに囲まれているということは、自分が好きでもないモノに支配されているのと同じです。
好きなモノなら心地いいかもしれないけれど、好きでもないモノであれば、知らず知らずのうちに、私たちの心にストレスを与えてしまっているものです。
この好きでもないモノたちを捨てたら、きっと心が軽くなるはず。
モノを軸にした考え方ではなく、「自分自身」に軸を据えた考え方にシフトしていくことで、より快適な人生を歩むことができます。
それを強力なパワーでお手伝いをするのが「断捨離」なのです。
「足し算」から「引き算」の思考へ
現在は、モノだけでなく情報も溢れている時代です。
私たち人間は、どうしても自分自身に「足りないもの」に焦点を合わせ、足りないことを受け入れず、ひたすら足し続けることで問題を解決しようと試みてきました。
それが「足し算」によって成り立った現代社会――。
けれど、この事は、溢れんばかりのモノと情報に埋もれるという「自らを失う環境」を、自分で自分に与え続けているように思えてなりません。
このような社会で、私たちは以前よりも、かえって「ゆとり」とは無縁になってきたようです。
時間も、空間も、そしてエネルギーに関してもそう。
ならば、自分自身を取り戻すためには、真逆のこと「引き算」をすればいい。
これは、ヨガの「断行」「捨行」「離業」という行法哲学からヒントを得ました。
欲望を断ち、執着を捨て、あらゆることを手離して、自在に生きるということ。
モノに落としこむならば、不要なモノを断ち、不適なモノを捨て、不快なモノから離れて自在となる――これが「断捨離」の発想です。
このような引き算を、繰り返し実践することで、本当に大事なモノや情報を、改めて発見・発掘していく。
つまり「断捨離」とは、ヨガの行法哲学を応用した「より快適に生きるための方法」とも言う事ができます。
そして、「断捨離」とは、あくまでも行動であり、どこまでも実践です。
モノと向き合って、自分を取り戻すトレーニングです。
そして、何を受け入れ、何を断わり、何を残し、何を捨てるか――それを考え、感じるのは他でもないあなた自身です。大事なものと、そうでないモノは人によって違います。
私たちを縛っているモノも、また人それぞれですから。
断捨離がただの「片づけ術」ではない理由…
ただ、間違いなく言えることは、これまで私がお手伝いさせていただき、断捨離を実践してくださったたくさんの方が、家の中が片づいただけでなく、実に様々な人生の「よりよい変化」を遂げてきた事実があるということです。
鬱的な気分の改善、不安の低減や自身の取り戻し。親の期待に知らず知らずのうちに縛られていた自分の解放。
親子関係、夫婦関係の改善。そして、転職や結婚、あるいは離婚など、自分の人生をより自律的に回復させていった人たち――。
こういった方々が、「断捨離」がただの片付け術ではないことを証明してくれています。
日常になんとなく、停滞や閉塞感を感じている人こそ、ぜひ「断捨離」を実践していただければと。このコラムでは、そんな「毎日をごきげんに生きる知恵」をあなたに提供していければと思っています。
また、断捨離についての最新のメッセージや、もっと詳細な内容は、毎日配信している無料のメールマガジンでお伝えしておりますので、よろしければそちらもご参照ください。
それでは、今後とも当コラム「断捨離で日々是ごきげんに生きる知恵」をよろしくお願いいたします。やましたひでこ(転載終了)
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ここまで。
第1次コロナ緊急事態宣言が昨日終了し、今日から街は賑わいを取り戻すかといえばそうではない感じです。それぞれが第2次を恐れて自粛的な生活を継続していくようです。
勝手な予測ではコロナの第2次襲来は10月中旬からとして、それまで、人間は以上のような「心の断捨離」を迫られていると感じます。第2次コロナ襲来は溜まっている人間の心のゴミに引き寄せられるように広がっていく。
もしそうであるならば、まさに10月中旬までは真剣にかつ楽しく「心の断捨離」を実行していけばいいのです。今日はそんな話を朝礼でするつもりです。会社、組織の「断捨離」についても。
喜んで恩に報いるということが、心の「断捨離」、「自我落し」だと思いますね。つまり進歩と調和のバランス感覚、中道を生きるということ。
07:05, Tuesday, May 26, 2020 ¦ ¦ コメント(5)