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2016年 3月26日

「お百姓さんの言葉」3/26(日)
某テレビ局からの取材の申し入れがあり、
ディレクターの方とあれこれ打ち合わせをしながら
思っていたことがあります。


それは「お百姓さんの言葉」です。


昔のお百姓さんの言葉に、
「下農は雑草とりに追われ、中農は収穫を上げることに
血眼になり、上納は土地を肥やすことに力を入れる」。


どういうことかというと、
間違った考えのお百姓さんは(下農)、
「また雑草が生えた」と、雑草を目の仇として雑草とりに
追われ、日を過ごすということです。


これを私たちの生活に当てはめて考えますと、
「あの人さえいなければ」、「この人がどこかに行けば」と、
自分の嫌な人のことばかり気にして目をつりあげ、
嫌な人たちをにらみながら、いつになったら、自分の同じ
考えの人ばかりになるのかと、そんなことでイライラして
いるといううことでしょう。


これはNCという会社が「ドライから水洗い」に変えた当時、
そうであったのです。


自分たちは正しいことをやっていると正しさに執着していて、
そのことを批判してくることがあれば、「あの人たちさえいな
ければ」と口には出さなくとも、心の中では思っていた。
これが一番つまらない生き方なのです。
18年前のことです。


いろんな考え方、いろんな人がいて、いいこと・悪いことを
お互い考えあえるのですし、また、お互いに切磋琢磨して勉強
になります。同じ考えの者ばかりになるといいようですが、
本当は危険なのです。


確かにいい時はいいでしょうが、
悪い時はブレーキがかからず、大きな誤りをおかす危険性があります。
自動車もアクセルとブレーキ、真反対の役割を果たすものが
隣合っているから安心なわけです。


自分と違う考えの人を邪魔にするのではなく、
違う考えの人をも大切にすることか゜、人生にとっは大事なことだと
思います。雑草を目の仇にするように、自分の意見と違う人や会社
を雑草のように思って毛嫌いすることは、あまり出来のよくない人や
会社のすることです。まさしくそういう時期もあったわけですね。


次に先のことがよく見えていないお百姓さん(中農)は、
その年その年の収穫や収益を上げることだけに力を入れて、
長い目でものを見ないので、数年は収穫や収益が上がっても、
いつかは足元の土地が痩せ細って収穫を上げることができなく
なります。収穫が上がらなくなってから慌てるのが、
あまり先のことを考えないお百姓さんの常だというのです。


これも私たちの生き方に合わせて考えてみると、
目先のことにこだわって、その時、その時さえよければいいと
いう生き方です。


いつもいいことが続くことはありませんし、あまり目先のことばかりに
こだわったり、自分の思いを強く持ってやっているていると、
他の人から本当の信頼を得ることはできません。
その時は上手くいってるようでも、
必ずしっぺ返しがきます。


また、そのようなことでは、
周りの人たちは本気で支援してくれることはなくななるでしょう。
自分の目先のことばかりにこだわりすぎたり、他とは違うことを
やっているとどこかで勘違いが生まれてくると、つまずいた時には
誰も支えてはくれません。


長い目で見ると、結局、そのような生き方は自分や会社を損な
う生き方であるのです。


正しい考えのお百姓さんは(上農)とは、作物のできる土地を大切に、
土地を肥やすことに力を入れているのです。
私たちのあり方でいいますと、自分たちの「いのち」を支えてくだる
他の「いのち」を大切にし、周りの「いのち」の幸せを願って生きる、
ということになります。


会社であれば、従業員、関連会社や人、お客様、
みんなの仕合せをここから願って仕事に励むということです。
これは言葉てはたやすく言えますが、日々の実践となると、とても
大変なことだし、常に自分を省みないと、またまた偏ったり
こだわったりしてしまいます。


また、他の「いのち」といっても、まわりの「いのち」といっても、
それは人間だけの「いのち」ということではなく、山川草木す
べての「いのち」のことです。


そういったすべての「いのち」を大切に思い、
自分の愚かな言動を常に自戒し、日々の生活努力と共に
謙虚に学び続ける姿勢と感謝で一生懸命目の前に与えられ
た仕事をしていくということ。


まさに自分濃度(私が、わしが)が薄まった状態で
周りの幸せを願って仕事をしていく、ということてす。


日々、
空手の稽古が終わって道場訓を全員で唱和しています。
その都度思います。もっと謙虚に、もっと素直に、もっと我慢
強く、もっと周りのことを考え、我田引水にならず、心技を練ら
なければと。


しかし、やっとそういう位置に入ろうとしている。


釈尊が教えて下さった正しい考えとは、
他の「いのち」を心より大切にするということです。
そこに自ら自分のいのちを生きる世界が開けてきます。
他のいのちを粗末にしたり、結果的には他のいのちを自分
の都合でコントロールしようとすることは、結果として自分の
いのちを粗末にすることになります。


ですから、
自分一人の力で生きているという価値観ではなく
多くのいのちと共に支え合って生かされて生きているという
ことを心底気づけば、他のいのちを大切にして生きようとす
る利他的な生き方となります。
実はそこに自分のいのちの幸せ(自利)もあるのです。


昨年は
某テレビ出演の思わぬ大反響で、
お客様たちには納期遅れ等の多大なご迷惑をかけました。


ただ、そのような大失敗を今年度も繰り返すことではありません。
大失敗を反省し改善していった昨年の10月から、マネージャーの
法子さんが中心となって、まさしく現在も大改革を進行中です。


また、
健康のために2年前から始めた筋トレやストレッチも、
今年になって空手道の稽古に移行しました。
日々、稽古する空手倶楽部の一人ひとりが、空手の基本の癖の
強さと、仕事の中での自分の癖の強さがまったく一緒であることに
気づかされ続けています。


空手の技。
こればっかりは理屈ではなく自分の体やへたっぴな技を通して
教えられていくことばかりですから、
逃げようもごまかしようもありません。


ただ、空手の基本の癖も仕事の癖も一事が万事ですから、
基本の癖を努力して改善していくことによって、仕事に対する
姿勢や癖も改善の方向に少しずつではありますが、
向かい出しています。


「お育てに合う」という言葉があります。


私を筆頭に、
我が強く人一倍不器用な人間の集団が
今まで多くのいのちに支えられ導かれやっとここまでこれた
わけです。


ただ「とりえ」はなんだかんだといっても、「真面目」で「純粋」
であるということ。あとは、自分たちができることをお尻を叩かれ
ながらも、どうにか逃げず継続してやってきたということ。


決して特別なことをやってきたわけではない。
本当に多くのいのちに育てられてきました。


だからこそ、
現在やっていることを自慢したり他と比較することでもない。
とにかく自分たちは力がない不器用集団ということをよくよく自覚して、
これからも謙虚に謙虚に「心技体」を学び実践者でいくしかない。
その結果として、多くのいのちと喜びを共にできれば、
これほどの仕合せはないわけです。


だから、
うちの連中がいつの間にか身につけてしまった体質に
一刀両断メスを入れ、改革を断行し続けているたマネージャーの
法子さんの強い決意と行動力。


そして自分の健康だけを考えたスポーツから
心技体を鍛える空手道、武道に移行した流れはとっても大きいです。


まさに現在、斧で絡みついた太い蔦を思い切り断ち切るように、
バシッと前後裁断が行われています。気持ちがいいです。
それは上農に向かうために行われています。


今回も、ディレクターといろいろ話をしていて
テレビ局のバラエティとしての意図はわかるのですが、
もういいですね、そういうのって。


女将としての法子さんの伝えている厳しさと報恩感謝、
武道の自分濃度の薄さによる礼節や謙虚な頑張りが
テレビに映し出してもらえば有り難い。


純粋で無邪気な卒園式の子どもたちの姿、
保護者会長さんからの、「う〜〜〜〜ん」、唸るような感動的な謝辞。
卒園式のあと、こんなことを考え続けておりました。

15:34, Saturday, Mar 26, 2016 ¦ ¦ コメント(0)


「第63回卒園式」3/26(土)
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「輝道さん、保護者の皆さんがわざわざ作ってくださったんよ」と、
子育てセンター所長のお母さん(妻の)。
長年広島市の保育園園長を務められたお母さんには保護者の皆さんが
絶対的な信頼を置いてくださっています。

これはうちの保育園にしても、です。有り難いです。
感動的な素晴らしい卒園式でした。手を合わすまことの保育最高です!

10:51, Saturday, Mar 26, 2016 ¦ ¦ コメント(0)