「変化と進化のシナリオ」12/24(土)
「0470-People」1月号より転載
脱皮する為の変化と進化のシナリオ
山田さんとの出会いは
僕が講師を勤めた人材育成講演会に
来てくれたこと。
講演が終わって
広島に帰ろうとすると「僕も先生のお寺
に行っていいですか。」と。
広島の長松寺では
大盛りのカレーライスを5杯お代わりしたのには、
さすがに、うちの母がびっくりしてた。
何だこのおっさんって(笑)。
「リーガル」は
7年も1店舗売上日本一を記録した繁盛店。
山田さんがこだわりの職人、奥さんの法子さんが
サービスを極めた人。
とにかくこの二人が頑張り
力をあわせて技術力とサービス力、
そしてスピード力で成功を勝ち取った。
ただ、
僕と出会ったときは過渡期。
有り余るお金を手に入れた。
でも、心が満たされていなかった。
「このままでいいのか?」と、
自問自答が続いていた。
洋服は
手間がかかってもドライではなく
水で洗いたいと前からずっと
思い続けていた山田さん。
そこで思いついたのが
人・環境・衣類にやさしいウォーター
クリーニングシステム。
ラスベガスで開催された
クリーンショー97に出展し
アメリカで大絶賛を浴びた。
「アメリカでビジネス展開できる」と、
ナスダックでの上場を狙ったが大失敗。
アメリカでの投資、投資で、
ほぼ全財産を使い果たしてしまう。
ただ、
山田さんの夢は途切れず、
帰国後全工場をドライクリーニングから
ウォータークリーニングに大転換した。
彼はブログで
自然界のことばかり書いていますが、
クラスタルウォーターとマイクロバブルの
洗浄能力の高さは岩と岩に当たって粒子が微
細になる自然界の濁流から
ヒントを得たのです。
しかし、
ウォータークリーニングを始めてから
悪循環が続き、従業員も辞める、売り上げも下がるで、
どん底状態だった。
順風満帆の世界から
まさに奈落の底へ急直下とはこのことだった。
会社が
存続できるか倒産かという危機的状況の中、
山田さんが脳梗塞で倒れた。
今でも忘れませんが、
入院している彼を見舞った時、
彼は僕を見た瞬間大きな声で号泣したのです。
彼の魂の叫びでした。
理屈じゃない。
後を継ごうと決心した瞬間でした。
すぐに妻を説得して広島から
君津市に移り住みました。
すぐに
ISO 14001の取得に取り組んで、
環境マネジメントに取り組むことで
社員の意識を高めていった。
また、
各種一流専門家に指導や助言、
そして宿題をもらいながら、
レザーや衣類に最適な洗浄方法(ドライも使用)・
ケア方法・プレス方法で復元していく
「トータルケアスタイル」へと
ウォータクリーニングを一気に
進化させていきました。
みんなよくやってくれました。
今はこの会社から離れて行った連中もです。、
未知の世界に踏み込んだ
不安もあったでしょうが、
とにかくがむしゃらに
前へ前へと逃げずに頑張ってくれました。
その結果、
新宿伊勢丹店メンズ館に出店。
トップブランドから数々の洗礼を受けて
四苦八苦しながらも
ウォータークリーニングは一段と
磨きをかけていったのです。
経営は
ジェットコースター的ですが、
すべては古い殻から脱皮する為の
変化と進化のシナリオだったんじゃないかな。
(一部転載終了)
「0470-Pe0ple」編集長の
菅野さんからインタビューを受け、
その内容を菅野さんが゜短く分かりやすく
よくまとめておらます。さすがプロです。
山田幸雄さんと
出会ったのが今から20年前の1996年。
私が39歳の時です。まだ若かったです。
それから
言葉では言い表わせないぐらい、
とても説明できないぐらい
いろんなことがありました。
というか、
山田さんだって、私だって、
今だったら、とてもじゃないけど
やれなかったことばかりです。
当時は
お互い恐いもの知らず。
よくぞあそこまでやったって感心します。
吉田松陰が
大変革は「狂」にならなければならない、
と言ってますが、まったく「狂」そのもの
でした。、
そしてまさに
「狂」とは知性や理性ではなく、
とにかく感じたら即行動する事。
そこには思考は介在しない。
とにかく感じて直感と閃きで動くだけ。
ただ、思いますねえ・・、
その一つひとつがどんなに
極端なことであっても、今となれば良き
思い出であり、それがなければ今の
自分は存在しなかった。
あり得なかったという、
やり切ってきた感はあります。
だから後悔はまったくない。
人生って
ペルシャ絨毯の織物のようなもので、
その時はその織物が近すぎてどんな柄なのか
さっぱり分からない。また裏面から
見てるわけだから、尚更わからない。
いまやっと、
その銃弾の表面をちらちら
見ることができる余裕が生まれてきたわけで、
その時は今を頑張って生きるだけが
精一杯ですから、そんな余裕なんてまったく
なかったてす。
ただ、言えるのは、
どんな状況になろうが、
表面的な自分は緊張したり
不安になっていたとしても、
いつも本当の自分、内心の自分の心は
得体の知れない自信があったこと。
絶対にどうにかなる!
良い方向に向かう!!
という、確信があったということ。
まあ、ムリヤリ強引に
そういう方向に向かわせた感じもありますが、
またそれも一つのゲームで
内心はワクワクしながら
楽しんでいました。
そして、
幸雄さんが倒れてこの12年間、
千葉と広島を往復しながらよくやってきたと思うし、
何より早寝早起きが苦手だったこの私が、
まさに入院患者のような規則正しい
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」的な
生活を送っているということ。
これは、スゴイ。
タバコも5年前に辞めたし。
朝起きたら4時20分から必ず道場でコア体操
してるし。お陰様で「こりゃあ長引くかなあ・・」と
思っていた風邪もすぐによくなりましたし。
毎日のコア体操と早寝早起きで
免疫力が強くなってるんでしょう。
いずれにしても
この20年で前進が終わり、
60歳から後半が始まります。
そういった区切りからしても、
実に良いタイミングで取材をうけたこと。
とっても有難いと思っています。
さて、明日は第二部
「水」「洗剤」「修復」「復元」です。
尚、この>「0470-People」1月号は
1月後半に発行される予定です。
それにしても、
「日経ビジネス」にしても、今回の>「0470-People」にしても、
なぜか幸ちゃんの後ろ姿が必ず出てきています。
何故か??
脱皮する為の変化と進化のシナリオ
山田さんとの出会いは
僕が講師を勤めた人材育成講演会に
来てくれたこと。
講演が終わって
広島に帰ろうとすると「僕も先生のお寺
に行っていいですか。」と。
広島の長松寺では
大盛りのカレーライスを5杯お代わりしたのには、
さすがに、うちの母がびっくりしてた。
何だこのおっさんって(笑)。
「リーガル」は
7年も1店舗売上日本一を記録した繁盛店。
山田さんがこだわりの職人、奥さんの法子さんが
サービスを極めた人。
とにかくこの二人が頑張り
力をあわせて技術力とサービス力、
そしてスピード力で成功を勝ち取った。
ただ、
僕と出会ったときは過渡期。
有り余るお金を手に入れた。
でも、心が満たされていなかった。
「このままでいいのか?」と、
自問自答が続いていた。
洋服は
手間がかかってもドライではなく
水で洗いたいと前からずっと
思い続けていた山田さん。
そこで思いついたのが
人・環境・衣類にやさしいウォーター
クリーニングシステム。
ラスベガスで開催された
クリーンショー97に出展し
アメリカで大絶賛を浴びた。
「アメリカでビジネス展開できる」と、
ナスダックでの上場を狙ったが大失敗。
アメリカでの投資、投資で、
ほぼ全財産を使い果たしてしまう。
ただ、
山田さんの夢は途切れず、
帰国後全工場をドライクリーニングから
ウォータークリーニングに大転換した。
彼はブログで
自然界のことばかり書いていますが、
クラスタルウォーターとマイクロバブルの
洗浄能力の高さは岩と岩に当たって粒子が微
細になる自然界の濁流から
ヒントを得たのです。
しかし、
ウォータークリーニングを始めてから
悪循環が続き、従業員も辞める、売り上げも下がるで、
どん底状態だった。
順風満帆の世界から
まさに奈落の底へ急直下とはこのことだった。
会社が
存続できるか倒産かという危機的状況の中、
山田さんが脳梗塞で倒れた。
今でも忘れませんが、
入院している彼を見舞った時、
彼は僕を見た瞬間大きな声で号泣したのです。
彼の魂の叫びでした。
理屈じゃない。
後を継ごうと決心した瞬間でした。
すぐに妻を説得して広島から
君津市に移り住みました。
すぐに
ISO 14001の取得に取り組んで、
環境マネジメントに取り組むことで
社員の意識を高めていった。
また、
各種一流専門家に指導や助言、
そして宿題をもらいながら、
レザーや衣類に最適な洗浄方法(ドライも使用)・
ケア方法・プレス方法で復元していく
「トータルケアスタイル」へと
ウォータクリーニングを一気に
進化させていきました。
みんなよくやってくれました。
今はこの会社から離れて行った連中もです。、
未知の世界に踏み込んだ
不安もあったでしょうが、
とにかくがむしゃらに
前へ前へと逃げずに頑張ってくれました。
その結果、
新宿伊勢丹店メンズ館に出店。
トップブランドから数々の洗礼を受けて
四苦八苦しながらも
ウォータークリーニングは一段と
磨きをかけていったのです。
経営は
ジェットコースター的ですが、
すべては古い殻から脱皮する為の
変化と進化のシナリオだったんじゃないかな。
(一部転載終了)
「0470-Pe0ple」編集長の
菅野さんからインタビューを受け、
その内容を菅野さんが゜短く分かりやすく
よくまとめておらます。さすがプロです。
山田幸雄さんと
出会ったのが今から20年前の1996年。
私が39歳の時です。まだ若かったです。
それから
言葉では言い表わせないぐらい、
とても説明できないぐらい
いろんなことがありました。
というか、
山田さんだって、私だって、
今だったら、とてもじゃないけど
やれなかったことばかりです。
当時は
お互い恐いもの知らず。
よくぞあそこまでやったって感心します。
吉田松陰が
大変革は「狂」にならなければならない、
と言ってますが、まったく「狂」そのもの
でした。、
そしてまさに
「狂」とは知性や理性ではなく、
とにかく感じたら即行動する事。
そこには思考は介在しない。
とにかく感じて直感と閃きで動くだけ。
ただ、思いますねえ・・、
その一つひとつがどんなに
極端なことであっても、今となれば良き
思い出であり、それがなければ今の
自分は存在しなかった。
あり得なかったという、
やり切ってきた感はあります。
だから後悔はまったくない。
人生って
ペルシャ絨毯の織物のようなもので、
その時はその織物が近すぎてどんな柄なのか
さっぱり分からない。また裏面から
見てるわけだから、尚更わからない。
いまやっと、
その銃弾の表面をちらちら
見ることができる余裕が生まれてきたわけで、
その時は今を頑張って生きるだけが
精一杯ですから、そんな余裕なんてまったく
なかったてす。
ただ、言えるのは、
どんな状況になろうが、
表面的な自分は緊張したり
不安になっていたとしても、
いつも本当の自分、内心の自分の心は
得体の知れない自信があったこと。
絶対にどうにかなる!
良い方向に向かう!!
という、確信があったということ。
まあ、ムリヤリ強引に
そういう方向に向かわせた感じもありますが、
またそれも一つのゲームで
内心はワクワクしながら
楽しんでいました。
そして、
幸雄さんが倒れてこの12年間、
千葉と広島を往復しながらよくやってきたと思うし、
何より早寝早起きが苦手だったこの私が、
まさに入院患者のような規則正しい
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」的な
生活を送っているということ。
これは、スゴイ。
タバコも5年前に辞めたし。
朝起きたら4時20分から必ず道場でコア体操
してるし。お陰様で「こりゃあ長引くかなあ・・」と
思っていた風邪もすぐによくなりましたし。
毎日のコア体操と早寝早起きで
免疫力が強くなってるんでしょう。
いずれにしても
この20年で前進が終わり、
60歳から後半が始まります。
そういった区切りからしても、
実に良いタイミングで取材をうけたこと。
とっても有難いと思っています。
さて、明日は第二部
「水」「洗剤」「修復」「復元」です。
尚、この>「0470-People」1月号は
1月後半に発行される予定です。
それにしても、
「日経ビジネス」にしても、今回の>「0470-People」にしても、
なぜか幸ちゃんの後ろ姿が必ず出てきています。
何故か??
13:17, Saturday, Dec 24, 2016 ¦