「和顔愛語」2/2(土)
最近特に言葉の大切さを感じます。
言葉は人を生かすこともできるし、人を殺すこともできる。
自分は忘れてしまっても、心に突き刺さるような言葉を人は
いつまでも引きずっていたりします。
仏教に「和顔愛語」という言葉があります。
まさに笑顔で心温まる言葉と共に生きるということです。
仏教は自利利他円満の教えですから、
自他共にでないと、いくら自らだけが喜んでも意味があり
ません。
喜びも感動も共感も「共に」の世界を生きていこうとする
ことを努力していく。
逆に自損損他とは自らも苦しみ他も苦しむ、
お互いが苦しんでいくというものです。
いくら正しいことであっても言葉の波動が違うと自損損他の
世界を生きることになってしまう。
やはり心根に愛情があるのかどうか。
思いやりや配慮があるのかどうか、だと思うのです。
と言う私も、人一倍自損損他の人生を生きてきました。
ただ、私はお母さん子で、母のとても大きな愛情に包まれて
子ども時代を生きてきましたから、自身の心根の部分にはその大きな愛情で
包まれ満たされ育まれてきた愛情を感じます。
その愛情をさらに深く大きなものとして育てていく時期が
来ていると実感しています。
そのためには頑ななブライドの強さという自我の殻を
脱ぎ捨てていかなければなりませんが、いい時期です。
ただこういう時期は頑固な自我がとっちても抵抗して
きますが、まあ、なんとかなるのでしょう。
先祖に導かれてる実感がありますから。
言葉は人を生かすこともできるし、人を殺すこともできる。
自分は忘れてしまっても、心に突き刺さるような言葉を人は
いつまでも引きずっていたりします。
仏教に「和顔愛語」という言葉があります。
まさに笑顔で心温まる言葉と共に生きるということです。
仏教は自利利他円満の教えですから、
自他共にでないと、いくら自らだけが喜んでも意味があり
ません。
喜びも感動も共感も「共に」の世界を生きていこうとする
ことを努力していく。
逆に自損損他とは自らも苦しみ他も苦しむ、
お互いが苦しんでいくというものです。
いくら正しいことであっても言葉の波動が違うと自損損他の
世界を生きることになってしまう。
やはり心根に愛情があるのかどうか。
思いやりや配慮があるのかどうか、だと思うのです。
と言う私も、人一倍自損損他の人生を生きてきました。
ただ、私はお母さん子で、母のとても大きな愛情に包まれて
子ども時代を生きてきましたから、自身の心根の部分にはその大きな愛情で
包まれ満たされ育まれてきた愛情を感じます。
その愛情をさらに深く大きなものとして育てていく時期が
来ていると実感しています。
そのためには頑ななブライドの強さという自我の殻を
脱ぎ捨てていかなければなりませんが、いい時期です。
ただこういう時期は頑固な自我がとっちても抵抗して
きますが、まあ、なんとかなるのでしょう。
先祖に導かれてる実感がありますから。
15:29, Saturday, Feb 02, 2019 ¦ ¦ コメント(0)