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2015年 8月19日

「仏教の極意」8/19(水)
信楽峻麿遺稿法話集より転載


仏教の極意


独特な味を持った夏の野菜に「みょうが」があります。漢字では名荷
と書きます。名前を背負うという事ですが、今では茗荷と書くようです。
この茗荷を食べるともの忘れがひどくなる、馬鹿になる、といいます。
なぜそのようにいうのでしょうか。

実はこの茗荷については、こんな言い伝えがあります。「阿弥陀経」
のはじめに、そのお釈迦様の説法を聞いた代表的な弟子の名前が
でていますが、その中に「周利般陀伽(しゅりはんだか)」という人の
名前があります。

正しくはチューダパンダカといいますが、漢字を当ててそのように書き
ます。この人にはマハーパンダカという兄がおりました。二人ともお釈
迦様の弟子になりました。兄は賢い人でしたが、弟のチューダパンダ
カはとても頭が弱くて、何を聞いてもすぐ忘れてしまうほどでした。
自分の名前さえも覚えることができませんでした。それでいつも、自分
の名前を書いた札を背中に背負っておりました。

お釈迦様は、それほどおろかなチューダパンダ化には、むつかしい話
は通じませんので、「払塵除垢(ふつじんじよく)」ということを教えられま
した。心の塵、心の垢を払えということです。そしていつも一本の箒を
もって歩くように命じられました。

彼はいつでもどこでも箒をもって歩きました。そのことを一生続けました。
彼はその箒で掃除をしながら、しだいに自分の心の塵や垢までも掃き
清めていったのです。そしてついにはお釈迦様にも等しいほどの、
深い悟りの境地に至ることができたといいます。「阿弥陀経」のはじめに
、多くの弟子の中から選ばれて彼の名前が書きとめられたのは、そのこ
とを物語っております。

このチューダパンダカが亡くなったのち、その墓のそばに芽ばえたの
が「みょうが」だということです。「みょうが」を食べたら物忘れをすると
は、ここからきたわけです。昔から伝わった仏教の物語です。

この物語から教えられることは、何事についても「続ける」ということの
大切さです。親鸞聖人は「ねてもさめてもへだてなく、南無阿弥陀仏を
称うべし」と教えられています。真宗における仏教の極意は、生命のか
ぎり念仏を相続することです。
                                 転載終了


何事においても「続ける」ことの大切さ。痛感しています。
そして改めて、また一から「続ける」決意と行動を開始しました。


凡夫は常に初心に戻って何度も何度も繰り返し繰り返し決意して行動です。

19:24, Wednesday, Aug 19, 2015 ¦ ¦ コメント(2)


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