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2018年 9月18日

「樹木希林さん思う生死一如」9/18(火)
樹木希林さんが亡くなりました。


昔「寺内貫太郎一家」とか、
「時間ですよ」をよく見ていました。


彼女はとても個性の強いユニークな女優さんで、
私生活でも内田裕也さんとまるで漫画のような人生を
歩かれた人でした。


この方の生前のインタビューを聞いていますと、
「死は普通の日常のこと。あなたも必ず死ぬのよ」
「生きることはよいこと、死は悪いこと、このように分けて
考えてはいけない。どちらも良いこと」
ということを、屈託なくお話しされていました。


死に対する安心感。
生かされて生き切ってきた自分の人生を納得し、
感謝しているということを感じていました。


彼女は全身癌でしたが、
とても美しく、軽い状態でこの世を去って
いかれたそうです。


死ぬということは全て終わり、
ということではありません。
死は区切りですが、終わりではないのです。


昔の日本人はそれを無意識に感じていました。
ただ戦後、核家族化が進み、多くの家庭から仏壇と神棚が消えて、
そういった本当のことを思い出す機会を失ってしまいました。
また、家庭で亡くなるのではなく病院でなくなるため、
「死」が身近でない生活となってしまいました。


私はお寺の住職でもあるので、
いろんな門徒信徒の方々のお葬儀を勤めてきました。


で、これは仮説ですが、
私なりに感じてきたことは、人の死を決めるのは自分の本心と、
良心じゃないかということです。


自分の表面意識の自我が、もう辛いから
死にたいと思っても、自分の本心と良心は
そうはさせてくれない。


せっかくこの世に生まれ生きてきたのだから、
もう少し歩いて行きなさい。まだまだやるべきことがあるよ、
頑張りなさい、恩を返しなさい、とその人の生を後押しします。


または、若くして健康な人でも、
今世でいろんなことがあったけども、
これまでおまえなりによく頑張った。よくやった。
もう、いつでも帰って来ていいよ。
という場合もあります。


また、幼くして亡くなることによって、
家族や両親に対して「生きる尊さ」を
育てていく尊い役割を担っている命もある、
と感じます。


ですから、
若くして死んだから、病気が長かったからダメとか、
長寿だから善人という、こういったことは、
まったく関係ないのが死です。


非常に厳正で、公平な判断が、
いろいろなタイミング、また、思わぬハプニングを利用して、
自身の本心や良心によって
その人の死がもたらさている感じがします。


もう直ぐ、
秋の9月20日から26日までの秋のお彼岸が
始まりますが、故人の思い出すことにより、あらためて
自分の死を「良い意味で」認識しておくことが
実に大切なことだと思うのです。


明日は、
新宿で昨年41歳で若くして亡くなった門信徒の方の
一周忌の法要を新宿のご自宅で勤め、
会食を懐かしい新宿の「酔心」で頂戴します。


その若い息子さんが亡くなったことによって、
お父さんと急に身近となり、そのご縁によって、
本音を書いた門信徒会報「龍城ネット」
を作ろうということになりました。


そして、
その本音会報の「龍城ネット」を出すことによって、
何かはっきりしなかったお寺の実態がはっきりし、
門信徒の皆さんは「そういうことだったのか・・」と、
ある意味、私やお寺の現実的な状態や
他のお寺にはない在り方を
なんとなく理解できたようです。


本当のことを伝えるという機会は、、
急に亡くなった息子さんを通して起こったことで、
やはり先祖代々仏縁のある、その家ならではの
実に不思議な順縁だと感じます。


こういったことを
何度も何度も体験してきますと、
自分一人ではなく、見えない世界の先祖や縁者の方々と
共に生きているということを自覚するようになっていきます。


期間限定のこの与えれた時間や人生を後悔なく
頑張って生きようと思い出します。


そして、あれもこれも、生きているうちにこそ
出来る限りのことをしておこう、今まで迷惑をかけた分、
少しでも恩を返しておこうと、
頑張り始めます。


この連続が人間には大切であり、
死を意識して頑張って生きることか、
逆に長生きに繋がっていく気がします。


間違っても、
どうせ自分は死ぬんだからと、
自分の良心に反することをやってはダメです。
そういった場合、自分の本心と良心が許してくれず、
良い死に方は出来ないと思います。


すべては「諸行無常」です。


花は、直ぐに枯れるから、一生懸命咲きます。
花が永遠に枯れないのなら、咲こうともしないのかもしれません。
人間、生き物に死が用意されていることは、
そうでないと一生懸命生きないからだ、
と思えます。


だから、
良い人生だった、
この人生を後悔なく生き切った。
と、思えるような自分の人生を
亡き先祖の人たちと共に生きて
感謝と感動体験を共有して
この世を去ったら気持ち良いあの世の世界に
還っていきましょう。


※樹木希林さんが「私が出棺するときは、内田裕也の゛朝日のあたる家゛で
見送られたい」と生前言われていたそうです。普通の夫婦の情愛を超えた
本当の愛があったのでしょう。とにかく今日は希林さんの直向きな愛を
貫いた彼女の少女のような純粋さと一途さに胸の奥が突き上げるように
がとっても痛いです。よっぽど好きだったんだね、裕也さんのことが。

・真理ちゃん気を使ってくれたありがとう。おいしくいただきます。

05:39, Tuesday, Sep 18, 2018 ¦ ¦ コメント(0)


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