「お坊さんもお寺も変わる」5/18(月)
檀家さんから相次ぐ法事・法要のキャンセル
コロナウイルスによって、住職である私の生活も一変した。
関西地方にある小さなお寺のため、もともと檀家さんの数が少なく、食うや食わずの慎ましい生活を送っていたが、コロナの流行とともにその少ない収入も絶たれた。
感染拡大を理由に、このところ檀家さんからお参りのキャンセルが相次いでいるからだ。
3月18日現在、今月の御布施の総額はわずか1万円余りしかない。
ただでさえ政府が国民に不要不急の外出を控えるように要請している折、ウイルスの感染が怖い、法事を自粛すると言われたら、無理にすすめることはできない。
そもそも、お経を唱えるときはマスクを着けるわけにいかず、声も大きくなりがちなので飛沫が飛ぶ。
それをリスクと捉えられると、「そういう事情なら仕方ありませんね」と返すほかない。
結果として、私のお寺では3月の前半2週間だけで5〜6件のお参りがなくなった。
小さなお寺にとって、これは死活問題。それぐらい現在のお寺の経済状況は厳しい。
坊主丸儲けという言葉があるように、世間には「お坊さん=お金を儲けている」とのイメージを持つ人が多い。
たしかに、なかには高級車を乗り回したり、夜の街で遊んだりする罰当たりな住職も実際にはいる。
しかし、実際に儲けているのは宗派の本山や人口の多い地域の大きなお寺など、ほんのひと握り。お寺の世界にも檀家が多い大きなお寺と檀家の少ない小さなお手とがある。
檀家の少ない小さなお寺、それも私のように、家庭の事情で兼業から専業に切り替えた小さなお寺の住職の場合、その収入は日本人の平均年収にも遠く及ばないのが実情だ。
ひと月の収入は平均10万円台だったが……
一般的なお寺の場合、収入の中心は月命日の月忌参りで、これが一般の会社員の基本給にあたる。
年忌は、一周忌、三回忌、七回忌などと、毎年あるわけではない。
私のお寺は、月忌参りがなく、祥月参り(亡くなった方の年1回の命日参り)と年忌法要のみ行っている。
このため、ひと月の収入は平均すると10万円台だ。ここにお葬式が加わることで、なんとか生活を維持している。
ただ、人がいつ亡くなるかは誰にもわからないので、お葬式は月の収入として計算に入れられない。
月忌が基本給なら、お葬式は特別手当のようなものだ。
私のお寺は今年に入ってからお葬式がなかった。
そこへ運悪くコロナの流行によるイベントの自粛が重なったことで、収入がほとんどなくなってしまったのだ。
社会に危機が訪れると、法事は真っ先にカットされる
問題は、法事の自粛が一時的なものでは終わらない可能性が高いことだ。
コロナの流行もいつかは終息する。
しかし、その後に法事を再開する檀家さんは非常に少ないだろう。
社会に何か大きな危機が起きて法事や法座を一旦やめると、多くはそのままになる。
事実、阪神淡路大震災のときがそうだったし、先代の住職に聞いた話ではバブル崩壊の後も同じだったという。
近年は全国的に法事の簡素化が進み、お葬式も直葬が増えている。多くの人にとって、なるべく仏事にお金をかけない、かけたくないというのが正直な気持ちなのだ。
生産性があるわけではなく、生活に直結するものでもないので、法事の費用は支出を抑えたいときに真っ先にカットされてしまう。
それでも、私のお寺が所属する宗派の本山は、法事のキャンセルが続きお寺の経済状況が厳しいからといって“上納金”を免除してくれたりはしない。
これは本山や教区(本山の出先機関)から徴収される賦課金のことで、一種の税金でありフランチャイズ料のようなもの。その金額は年間40万円に及ぶ。
人口減少時代に突入し、過疎化で檀家が減ったにも関わらず、本山による賦課金の見直しなどもない。
これだけ生活が苦しいのに、本山に納めるお金もプールしておかなければならないのだ。(文春オンラインより抜粋転載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで。
今日の話は興味がない人にはまったく興味のない話でしょう。
ただ、この住職さんのお話を伺いながら、コロナ禍以後、このような状態はお坊さんやお寺に限らず、いろんな業種でおこっているのだと思います。
たまたま、お坊さんであり、お寺だといことです。
ただ私は一様お寺の住職でもありますので、この方のお話しは興味深く読ませていただきました。
そして、このお寺の規模はうちのお寺と全く同じぐらいですから、この住職さんの気持ちは痛いほどよく分かります。
こういったコロナ禍の状態の中、途方に暮れながらも、檀家さんとの繋がりを持とうと真面目に法務をされているのだろうなあと。
また、多分もともと住職さんはお勤めになっていて兼業寺院だったのが、前住職さんが病気か何かで仕事を辞め、やむを得ず専業寺院になられたのではないか・・・。
小さな寺院を継承するには、人に言えないいろんな事情や苦労が山のようにあります。、
ただ、ここのお寺と少しばかりうちのお寺が違うのは認定子ども園の保育園を経営していますから、状況や収入は違います。
が、少子高齢化では未来的には保育園の経営だけで生活していくことも難しくなっていくでしょうから、未来への危機管理のため、うちのお寺に関わる寺族(お寺の家族)は保育園の園長である家内以外は、全員自立してお寺や保育園以外の職業を兼務する二足の草鞋を履く生き方をしています。
もし、山田社長や妻の法子さんが病気で倒れることがなければ、現在私は保育園園長で家内は主任保育士だったでしょう。私は多分、ナチュラルクリーン(株)の人材育成を担当し、月に一度程度この会社に伺って山田さんの相談役的役割だったと思います。それが今では代表代行・・、物語とは分からないものです。
いずれにしても、小さなお寺は二足の草鞋を履いた兼業でないとやっていくことは出来ません。
つまり、お寺はほぼほぼボランティアで檀家(門信徒)と共に運営していくというプロテスタントの牧師さん的な生き方をするということです。今のうちのお寺がそうですから。
ただ、いつも思うのですが、今のお寺の役員さんたちが亡くなったら、もう次に続くような檀家の人たちはとても少なくなるか、いなくなると思います。それほどお寺離れは現在でも著しいです。ましてやこのコロナや今後あるであろう天変地異が続けば尚更です。
とにかく今は、このコロナを縁として、小さなお寺のお坊さんは社会に出て仕事をしながら法務も行っていくと社会のことも理解でき、人間的にも幅広くなるし、どんどんそういう方向へお寺はシフトしていけばいいのにって、阿弥陀さんも思ってらっしゃるのではないかな?って思っています。
この方も、必ず支援者というか、理解者が出て来られて兼業寺院として頑張っていってほしいと願っております。
私は浄土真宗本願寺派のお寺の住職と共に認定こども園の理事長を務めさせてもらっています。このお寺と保育園は先祖より受け継いだものです。
それとは別に、「志」ある仲間たちと共に、常に「技術力」「サービス力」「人間力」の理想を求める「ウォータークリーニング」の仕事をさせてもらって本当に有難いと思っています。小さい時から何故か大の洗濯好きでしたから、やはりクリーニングには縁があったのだと思います。
大学を卒業し、社会人になって生涯学習の仕事を行いながら、とにかく「志あるいのちの仲間と共に理想を求める創造的な仕事をしたい!そういう仕事を作り出したい!!」と、ずっと思い続けていましたから、自分の願った世界を今生きておれることにとても感謝し、ここまで導いて下さった仏さまやご先祖には、とにかくその恩に報いて生きていかないとって、いつも思いながら行動しています。
このことは同業者であるお寺さんに言っても、さっばり理解できないようです。
変わり者ですから、まっいいか。
※今日は全国宅配が140点入りました。
こんな時期に超ウレシイです。
コロナウイルスによって、住職である私の生活も一変した。
関西地方にある小さなお寺のため、もともと檀家さんの数が少なく、食うや食わずの慎ましい生活を送っていたが、コロナの流行とともにその少ない収入も絶たれた。
感染拡大を理由に、このところ檀家さんからお参りのキャンセルが相次いでいるからだ。
3月18日現在、今月の御布施の総額はわずか1万円余りしかない。
ただでさえ政府が国民に不要不急の外出を控えるように要請している折、ウイルスの感染が怖い、法事を自粛すると言われたら、無理にすすめることはできない。
そもそも、お経を唱えるときはマスクを着けるわけにいかず、声も大きくなりがちなので飛沫が飛ぶ。
それをリスクと捉えられると、「そういう事情なら仕方ありませんね」と返すほかない。
結果として、私のお寺では3月の前半2週間だけで5〜6件のお参りがなくなった。
小さなお寺にとって、これは死活問題。それぐらい現在のお寺の経済状況は厳しい。
坊主丸儲けという言葉があるように、世間には「お坊さん=お金を儲けている」とのイメージを持つ人が多い。
たしかに、なかには高級車を乗り回したり、夜の街で遊んだりする罰当たりな住職も実際にはいる。
しかし、実際に儲けているのは宗派の本山や人口の多い地域の大きなお寺など、ほんのひと握り。お寺の世界にも檀家が多い大きなお寺と檀家の少ない小さなお手とがある。
檀家の少ない小さなお寺、それも私のように、家庭の事情で兼業から専業に切り替えた小さなお寺の住職の場合、その収入は日本人の平均年収にも遠く及ばないのが実情だ。
ひと月の収入は平均10万円台だったが……
一般的なお寺の場合、収入の中心は月命日の月忌参りで、これが一般の会社員の基本給にあたる。
年忌は、一周忌、三回忌、七回忌などと、毎年あるわけではない。
私のお寺は、月忌参りがなく、祥月参り(亡くなった方の年1回の命日参り)と年忌法要のみ行っている。
このため、ひと月の収入は平均すると10万円台だ。ここにお葬式が加わることで、なんとか生活を維持している。
ただ、人がいつ亡くなるかは誰にもわからないので、お葬式は月の収入として計算に入れられない。
月忌が基本給なら、お葬式は特別手当のようなものだ。
私のお寺は今年に入ってからお葬式がなかった。
そこへ運悪くコロナの流行によるイベントの自粛が重なったことで、収入がほとんどなくなってしまったのだ。
社会に危機が訪れると、法事は真っ先にカットされる
問題は、法事の自粛が一時的なものでは終わらない可能性が高いことだ。
コロナの流行もいつかは終息する。
しかし、その後に法事を再開する檀家さんは非常に少ないだろう。
社会に何か大きな危機が起きて法事や法座を一旦やめると、多くはそのままになる。
事実、阪神淡路大震災のときがそうだったし、先代の住職に聞いた話ではバブル崩壊の後も同じだったという。
近年は全国的に法事の簡素化が進み、お葬式も直葬が増えている。多くの人にとって、なるべく仏事にお金をかけない、かけたくないというのが正直な気持ちなのだ。
生産性があるわけではなく、生活に直結するものでもないので、法事の費用は支出を抑えたいときに真っ先にカットされてしまう。
それでも、私のお寺が所属する宗派の本山は、法事のキャンセルが続きお寺の経済状況が厳しいからといって“上納金”を免除してくれたりはしない。
これは本山や教区(本山の出先機関)から徴収される賦課金のことで、一種の税金でありフランチャイズ料のようなもの。その金額は年間40万円に及ぶ。
人口減少時代に突入し、過疎化で檀家が減ったにも関わらず、本山による賦課金の見直しなどもない。
これだけ生活が苦しいのに、本山に納めるお金もプールしておかなければならないのだ。(文春オンラインより抜粋転載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで。
今日の話は興味がない人にはまったく興味のない話でしょう。
ただ、この住職さんのお話を伺いながら、コロナ禍以後、このような状態はお坊さんやお寺に限らず、いろんな業種でおこっているのだと思います。
たまたま、お坊さんであり、お寺だといことです。
ただ私は一様お寺の住職でもありますので、この方のお話しは興味深く読ませていただきました。
そして、このお寺の規模はうちのお寺と全く同じぐらいですから、この住職さんの気持ちは痛いほどよく分かります。
こういったコロナ禍の状態の中、途方に暮れながらも、檀家さんとの繋がりを持とうと真面目に法務をされているのだろうなあと。
また、多分もともと住職さんはお勤めになっていて兼業寺院だったのが、前住職さんが病気か何かで仕事を辞め、やむを得ず専業寺院になられたのではないか・・・。
小さな寺院を継承するには、人に言えないいろんな事情や苦労が山のようにあります。、
ただ、ここのお寺と少しばかりうちのお寺が違うのは認定子ども園の保育園を経営していますから、状況や収入は違います。
が、少子高齢化では未来的には保育園の経営だけで生活していくことも難しくなっていくでしょうから、未来への危機管理のため、うちのお寺に関わる寺族(お寺の家族)は保育園の園長である家内以外は、全員自立してお寺や保育園以外の職業を兼務する二足の草鞋を履く生き方をしています。
もし、山田社長や妻の法子さんが病気で倒れることがなければ、現在私は保育園園長で家内は主任保育士だったでしょう。私は多分、ナチュラルクリーン(株)の人材育成を担当し、月に一度程度この会社に伺って山田さんの相談役的役割だったと思います。それが今では代表代行・・、物語とは分からないものです。
いずれにしても、小さなお寺は二足の草鞋を履いた兼業でないとやっていくことは出来ません。
つまり、お寺はほぼほぼボランティアで檀家(門信徒)と共に運営していくというプロテスタントの牧師さん的な生き方をするということです。今のうちのお寺がそうですから。
ただ、いつも思うのですが、今のお寺の役員さんたちが亡くなったら、もう次に続くような檀家の人たちはとても少なくなるか、いなくなると思います。それほどお寺離れは現在でも著しいです。ましてやこのコロナや今後あるであろう天変地異が続けば尚更です。
とにかく今は、このコロナを縁として、小さなお寺のお坊さんは社会に出て仕事をしながら法務も行っていくと社会のことも理解でき、人間的にも幅広くなるし、どんどんそういう方向へお寺はシフトしていけばいいのにって、阿弥陀さんも思ってらっしゃるのではないかな?って思っています。
この方も、必ず支援者というか、理解者が出て来られて兼業寺院として頑張っていってほしいと願っております。
私は浄土真宗本願寺派のお寺の住職と共に認定こども園の理事長を務めさせてもらっています。このお寺と保育園は先祖より受け継いだものです。
それとは別に、「志」ある仲間たちと共に、常に「技術力」「サービス力」「人間力」の理想を求める「ウォータークリーニング」の仕事をさせてもらって本当に有難いと思っています。小さい時から何故か大の洗濯好きでしたから、やはりクリーニングには縁があったのだと思います。
大学を卒業し、社会人になって生涯学習の仕事を行いながら、とにかく「志あるいのちの仲間と共に理想を求める創造的な仕事をしたい!そういう仕事を作り出したい!!」と、ずっと思い続けていましたから、自分の願った世界を今生きておれることにとても感謝し、ここまで導いて下さった仏さまやご先祖には、とにかくその恩に報いて生きていかないとって、いつも思いながら行動しています。
このことは同業者であるお寺さんに言っても、さっばり理解できないようです。
変わり者ですから、まっいいか。
※今日は全国宅配が140点入りました。
こんな時期に超ウレシイです。
09:45, Monday, May 18, 2020 ¦ ¦ コメント(26)