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2019年 1月17日

「創造・寛容・知恵」1/17(木)
 私達がこの人生で試したかったこと。
体験したかったことは次の3つの科目に分類できるかもしれません。

第一科目。「創造」

 創造とは、小さな子供が真っ白い画用紙に無心になってクレヨンで
絵を描くことと同じです。人から褒めてもらうためではない。私達は描
くことに没頭することが喜びなのです。その創造の喜びをこの人生で
体験したいと願ったわけです。
 創造とは他の人から称賛されるような芸術家の生き方だけではあ
りません。無名の私達の人生そのものであります。家族のために毎
日料理を創ること。
部屋を掃除し衣服を洗濯し清潔で快適な空間を創り出すこと。
そして給料を貰っている日々の仕事中に、職人のこだわりがある方
は「創造」を体験されております。
人が認めるかではない。俺が納得する仕事じゃなきゃ駄目なんだ。
その方は肌で「創造」を知っておられる方であります。神は些事に宿る。

 しかしこの世で「創り出す」という体験には、本当に様々な障害条件
があります。時間がない。お金がない。周囲の人の理解がない。体力
がない。などなど。しかし陰と陽の視点では、障害が大きいほど創り出
す喜びが大きいわけです。


 中には、この人生で「創造のための障害(時間がない、お金がない、
人の理解がない、体力がない)」に負けてしまいそうになることはある
かもしれません。しかしそういう時期ほど、辛い時ほど幸せが水面下
で進んでいる。という人生の真理を発見するチャンスでもあります。

 自分が創り出すものは人から評価を受けるためではありません。
自分が創り出したものに囲まれることが幸せであるからです。

 ターシャは広大なジャングルを30年かけて美しい天国のような
世界に創り出しました。誰もがその庭園を観て感嘆します。しかし
ターシャはジャングル真っ只中の時期でも、来る日も来る日も草む
しりしている時期でも充分幸せであったわけです。

 「人から認められなかった悔しさの反動」で芸術活動に没頭する
方もおられるかもしれません。しかしそういう方は残念ながら創造
の成就は難しいでしょう。なぜなら「私を認めて」という衝動は「創造」
と最もかけ離れているからです。本当の創造とは人から認められる
かどうかは全く関係ありません。逆に誰も自分を認めない方が身軽
で良いくらいです。演奏家とは人から褒められたいという視点では
大成せず。自分の心が納得する演奏かどうか。



第二科目。「寛容(愛情)」

 困っている人を助けたいという気持ち。許せない人を許すという
気持ち。人を喜ばすことが自分の喜びであるという気持ち。

 なぜ人は表面自我(エゴ)を持つのか。それはこの「寛容」を体験
するためであります。「自分の自我が解ける体験」こそ。自分が、自
分の生み出す愛情に還って行く体験こそ「至高」であります。
 なぜ人は見にくいエゴを持つのかとこの社会を絶望される方が
おられるかもしれません。しかしエゴこそが「寛容」の燃料であります。
黒い石炭が赤い炎の燃料であるのと同じです。黒い石炭は決して
忌み嫌うものではありません。

 もちろん人を騙しても人を泣かせても自分が良ければそれでいい
んだ。という人は論外であります。が、近しい家族と相克の関係にあ
る方。その方はこの第二科目「寛容」が自分の今回の人生の最大課
題(恩寵)であるかもしれません。
 親孝行は人生でもっとも挑戦しがいのある行為であります。第二
科目にどのくらい課題が残っているかは、自分の親孝行の度合いが
目安となります。
 そして何度転職しても同じ人間関係の問題が生じる。どこに引っ越
しても同じように許せない人間が現れる。そういう方もこの第二科目
が重要課題であります。そこに正反対の恩寵が隠されているよ。
というメッセージであります。

 いつも誰かを仮想敵にしないと生きていけない人。いつも誰かを責
めていないと生きていけない人。硬い木ほどポキリと折れる。そういう
方は、柔らかく生きること(=相手が正しい。自分が間違っている)の
中に、ご本人の今生で挑戦したかった宿題の正解がある。のかもし
れません。



第三科目。「知恵」

 自分や家族が遭遇するかもしれない危険を用心深く避ける知恵です。
それは「最悪を想定して備えることで小難無難にする」という行為のこと
です。

 それは自分の信じていることが実は間違いかもしれない。という謙虚
な視点でもあります。
 それはオモテで見えることと、ウラで潜在因子として蓄積されているこ
とは正反対であるという陰陽の視点でもあります。
 それは自分が感情的になる事柄には、必ず正反対の原因が自分の
中に存在するという経験則でもあります。
 それは右でもない。左でもない。真ん中を維持するバランス感覚でも
あります。

 世の中には本当に「騙される奴が悪い」と考えている人がいるのです。
世の中には本当に「人を操り傷つけることが快感」というサイコパスと
呼ばれる人間がいるのです。
 そういう人間を注意深く見破り、距離を開ける知恵。

 日本列島に住む方は第二科目の「寛容」は高い方は多いです。しかし
それがゆえ「知恵」が弱点の方も。たとえば「自分さえ謝れば丸く収まる」
「自分さえ我慢すれば丸く収まる」という癖の方は要注意。サイコパスは
そういう人が大好物でありますから。
 日本という国家がサイコパス国家に喰い物にされているということが
その象徴であります。
 真面目な方ほど、困っている人を助けたいという方ほど、先生から褒
められる優等生であった方ほど、「日本が無防備であることが平和に繋
がる」「日本の国体を弱くすることが平和に繋がる」とサイコパスの洗脳
をそのまま受け入れて疑わない傾向があることと同じです。
 しかし、いくら愛情が深くても「疑う知恵」「用心する知恵」がないと淘汰
される。この宇宙は愛情深い反面、このように厳しいルールも同時に我々
に課せられております。



自分が抱えている問題の中に答えがある。

・人からの評価が気になる方は第一科目「創造」が課題。
・近しい人といつも同じ相克が起きる方は第二科目「寛容」が課題。
・「最悪を想定する」ことが苦手な方は第三科目「知恵」が課題。

 自分の人生で今起きている問題。自分が避けたい避けたいと思
っている問題にこそ。実はそこにこそ正反対の「恩寵(隠されたプレ
ゼント)」があるのでありました

≪まるぞう備忘録≫より転載


まったくその通りだと、あらためて深くうなずいておりました。
私は過去から常に最悪を想定して、「知恵」を使って危険や最悪から
脱出、転換してきたことは数知れずです。多分普通の人なら、
人生をやり直せないぐらいの致命傷を
追うような状態ばかりでした。


とにかく、言えることは「中道」バランス的な客観性を常に保てるトレーニング
だけは怠らないこと。


そのためには、生かしていただいて  ありがとうございます。


18:01, Thursday, Jan 17, 2019 ¦ ¦ コメント(0)