「命名.中田瑛心」5/16(月)
昨日はお寺での初参式が終わるとすぐに市民病院に行き、孫と初対面
してきました。
名前は、中田瑛心。充法夫婦が親の願いを込めて付けた名前です。帝王
切開だったから1540グラムだったかな。ほんとうに小さい赤ちゃんでした。
その小さな赤ちゃんが多くのいのちに生かされて生きている姿に感動しま
した。
父となった充法も、母となった綾も、これからこの子を通して親になる道を
歩んでいくわけです。子は親を選んで産まれてきます。そして親は子どもを
大きな愛と知恵で育み導いていかなければならない義務があります。
感謝の心だって自然に起こって来るかと言うとそうじゃなく、意識して育てな
くては決して生まれてはきません。また道徳心だって、宗教心だって同じ
です。だからこそ昔から、言う事を聞かない子供に対して「この子の親の
顔が見たい」という言葉を使います。子育ては親の責任が大という意味
です。
自他の命を尊重する心を育む親子になってほしいと願ってます。
先のことは分かりませんが、宿命的にこの子が長松寺というお寺を継承
していくことになります。充法はそのことをしっかり考えたうえで、未来に向
かっての「今」を生きないといけません。
私も未来を模索しながら「その時の今」を一瞬一瞬選択し続けての今の長
松寺、保育園があります。それだけ遣り甲斐とプレッシャーがあるということ
です。だから人一倍も二倍も夫婦で力を合わせて頑張ってほしいです。
その分、本当の実力がついてくるから。
≪おひさまありがとう≫ブログより転載
日本は二極化していると言われます。それは本当かもしれません。でもそれ
は不幸な貧困層と、幸せな富裕層という二極化ではありません。
他者に与える菩薩行を行えている人と、自分が恵まれていることを忘れて
ロボットとして生きている人という二極化であります。
冒頭にお話ししたドキュメンタリーでは貧困の団塊世代として番組に取り上
げられていた老男性はいずれも菩薩行の老人でありました。親のために子の
ために、老体に鞭打って毎日働きに出る男性。
自分は贅沢することなく質素倹約して母親の介護、シモの世話をする男性。
生活を切り詰めて切り詰めて少しでも回数多く母親を見舞おうとする男性。
番組では彼らの生活を不幸のパターンとして取り上げていたようですが、
私には正反対に見えました。残りの人生で徳を積む生活をされている立派な
境遇であるように思えました。
確かに日本は二極化が進んでいるのかもしれません。表に見える人生の
栄華と魂の本質は真逆であります。
貧困に見える境遇が、本来その人の菩薩を引き出している面があるので
はないでしょうか。逆に、富裕層で菩薩行をされる方はどのくらいいらっしゃ
るのでしょうか。とても少ないかもしれませんね。なぜなら人間とは簡単に慢
心して堕ちてしまう生き物でありますから。
そもそも日本が裕福になったのは高度成長後の数十年だけです。明治以
前、明治以降含め、ほとんどの時代、日本人の生活は貧しくて質素でした。
しかし質素ながら親を大事にし子供を大切にし、些細なことでも感謝できた
生活でした。
表面上は日本人の貧困化が進むと言われている社会現象は、魂の視点
では、多くの人達が質素で菩薩行の生活をする本来の日本人の生活に、揺
り戻っているのかもしれません。
≪転載終了≫
お金は利他のために入ってくるものだと思っています。明るい貧乏、いいじゃ
ない。飾らない素の自分に戻れるしね。
04:29, Monday, May 16, 2016 ¦ ¦ コメント(0)