「心と体を元気にさせる方法」1/14(日)後半
今日は日曜日なので、
ご法話の時間を少しばかり長く取って、
「仏さまと報恩感謝」のお話をさせて
いただきました。
みんなの「いのち」が喜んでることが
それぞれの表情と目から伝わってくるので、
私もこういった話はノッてしまいます。
ノッたついでに、今日は少しばかり
心と体を元気にさせる方法をみんなに
伝えておきます。
さて、
表情と目からその人の喜びが
伝わってくると言いましたが、昔から日本では、
「目は口ほどに物を言う」と言いますよね。
これは本当で、目は人の心の入り口でもあるのです。
人の思念は
目から侵入して相手の身心に影響を
与えているのです。
今日の法話でみんな
感謝して喜んで元気になったということは、
私の感謝と喜びと元気の思念が
個々の身心に入ってプラスの影響を
与えていったからです。
逆に自分の嫌なタイプだと、
上手く視線を外しておいた方が良いです。
苦手な人と目が合うと、嫌な感じを後でも思い出して
引きずることになるからです。
これは相手の思いが目を通して心身に入り、
自分の心身が縛られてしまうから引きずるのです。
空手道では、
相手と対戦する時には、
絶対に相手の目を見ず、おでこ、眉間を見ます。
これは相手の殺気に呑まれなく
するためと、全体を見据えるためにです。
普通は人と目を合わせて話すのが礼儀ですから、
目を合わせましょう。ただ、目にはこういった
法則があるのだということも、知っておきましょう。
それで、目を身心の気の入り口として、
自分の心身を明るく元気に改善させる方法が
ありますのでご紹介しておきます。
一、時間は昼間がよく、太陽光のさす明るい部屋
で行うことが望ましいです。まず鏡の前に座り、
鏡の中に映る自分の目を見ます。
そして腹式呼吸をしながらリラックスします。
二、「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と感謝
の言葉を、「笑顔」で気が済むまで繰り返します。
三、最初は笑顔を出せなくても、明るい気持ちで行うこ
とが大切です。繰り返すうちに、自然と笑顔になれば
やめればいいです。
四、最後に、自分自身の心の仏さまに手を合せ、感謝する
つもりで鏡の中の自分を拝み、終了します。
この方法によって、自分の心の窓である目から自分自身の
身心に明るい感謝の気を注入することができます。
この感謝の方法を繰り返すことによって、自然と身心に元気
が蘇り、自分自身を信じられるようになっていきます。
これからの時代は、自分自身を信じられなくて、他人や宗教
教団に依存する人間は、ますます不運に襲われます。
自分自身を信じて、その中で頑張る「いのち」を仏さまは応援
していきます。
とにかく自分自身を信じて反省と努力をすれば、新たな「感謝
と希望の道」がその人にハッキリと与えられていく時代である
ことを、決して忘れずに、ともに頑張っていきましょう。
※会社や関係者の人たちは、みんなこの笑顔の感謝方法をやって
みて下さい。本当に身心が元気に明るく復活していきますから。
≪まるぞう備忘録≫より転載
心の視点の変化に関するメモ。
表面の心を自我と呼びます。
奥底の心を真我と呼びます。
私達は日頃の日常をこの2つの心で体験しております。
自我とは私とあなたの区別がある心です。他人と比較す
る心であります。
真我とは私とあなたの区別がない心です。他人の喜びや
苦悩も自分のことのようにとらえる心であります。
縄文文化とは貧富の差がない文化であると言われています。
おそらく縄文人は、自我が薄い文化であったのでしょう。
逆に現代文明の2大国はそれぞれ「力が強いものが勝ち」
「騙せた方が勝ち」という文化であります。
ゆえにこの現代は「自我の濃い〜文化」であるといえます。
地球が悲鳴をあげるわけですね。
これからの人類は、再び自我の薄い時代に入っていくと考
えられます。もし今のように自我の濃いままであれば、地球
の自然が後戻りできないくらい破壊されてしまいます。
従って私達人類の選択は次の2つしかないと思われます。
1,人類が再び自我の薄い時代となり存続が継続する。
2,地球の自然の破壊と共に人類のこの文明も滅びる。
もちろん1の選択肢を選びたいですね。
これからの時代、人類の自我がどんどん薄くなっていくと考
えられます。すでに一部の人から、自我が薄くなっていってい
ると思われます。≪転載終了≫
ご法話の時間を少しばかり長く取って、
「仏さまと報恩感謝」のお話をさせて
いただきました。
みんなの「いのち」が喜んでることが
それぞれの表情と目から伝わってくるので、
私もこういった話はノッてしまいます。
ノッたついでに、今日は少しばかり
心と体を元気にさせる方法をみんなに
伝えておきます。
さて、
表情と目からその人の喜びが
伝わってくると言いましたが、昔から日本では、
「目は口ほどに物を言う」と言いますよね。
これは本当で、目は人の心の入り口でもあるのです。
人の思念は
目から侵入して相手の身心に影響を
与えているのです。
今日の法話でみんな
感謝して喜んで元気になったということは、
私の感謝と喜びと元気の思念が
個々の身心に入ってプラスの影響を
与えていったからです。
逆に自分の嫌なタイプだと、
上手く視線を外しておいた方が良いです。
苦手な人と目が合うと、嫌な感じを後でも思い出して
引きずることになるからです。
これは相手の思いが目を通して心身に入り、
自分の心身が縛られてしまうから引きずるのです。
空手道では、
相手と対戦する時には、
絶対に相手の目を見ず、おでこ、眉間を見ます。
これは相手の殺気に呑まれなく
するためと、全体を見据えるためにです。
普通は人と目を合わせて話すのが礼儀ですから、
目を合わせましょう。ただ、目にはこういった
法則があるのだということも、知っておきましょう。
それで、目を身心の気の入り口として、
自分の心身を明るく元気に改善させる方法が
ありますのでご紹介しておきます。
一、時間は昼間がよく、太陽光のさす明るい部屋
で行うことが望ましいです。まず鏡の前に座り、
鏡の中に映る自分の目を見ます。
そして腹式呼吸をしながらリラックスします。
二、「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と感謝
の言葉を、「笑顔」で気が済むまで繰り返します。
三、最初は笑顔を出せなくても、明るい気持ちで行うこ
とが大切です。繰り返すうちに、自然と笑顔になれば
やめればいいです。
四、最後に、自分自身の心の仏さまに手を合せ、感謝する
つもりで鏡の中の自分を拝み、終了します。
この方法によって、自分の心の窓である目から自分自身の
身心に明るい感謝の気を注入することができます。
この感謝の方法を繰り返すことによって、自然と身心に元気
が蘇り、自分自身を信じられるようになっていきます。
これからの時代は、自分自身を信じられなくて、他人や宗教
教団に依存する人間は、ますます不運に襲われます。
自分自身を信じて、その中で頑張る「いのち」を仏さまは応援
していきます。
とにかく自分自身を信じて反省と努力をすれば、新たな「感謝
と希望の道」がその人にハッキリと与えられていく時代である
ことを、決して忘れずに、ともに頑張っていきましょう。
※会社や関係者の人たちは、みんなこの笑顔の感謝方法をやって
みて下さい。本当に身心が元気に明るく復活していきますから。
≪まるぞう備忘録≫より転載
心の視点の変化に関するメモ。
表面の心を自我と呼びます。
奥底の心を真我と呼びます。
私達は日頃の日常をこの2つの心で体験しております。
自我とは私とあなたの区別がある心です。他人と比較す
る心であります。
真我とは私とあなたの区別がない心です。他人の喜びや
苦悩も自分のことのようにとらえる心であります。
縄文文化とは貧富の差がない文化であると言われています。
おそらく縄文人は、自我が薄い文化であったのでしょう。
逆に現代文明の2大国はそれぞれ「力が強いものが勝ち」
「騙せた方が勝ち」という文化であります。
ゆえにこの現代は「自我の濃い〜文化」であるといえます。
地球が悲鳴をあげるわけですね。
これからの人類は、再び自我の薄い時代に入っていくと考
えられます。もし今のように自我の濃いままであれば、地球
の自然が後戻りできないくらい破壊されてしまいます。
従って私達人類の選択は次の2つしかないと思われます。
1,人類が再び自我の薄い時代となり存続が継続する。
2,地球の自然の破壊と共に人類のこの文明も滅びる。
もちろん1の選択肢を選びたいですね。
これからの時代、人類の自我がどんどん薄くなっていくと考
えられます。すでに一部の人から、自我が薄くなっていってい
ると思われます。≪転載終了≫
08:37, Sunday, Jan 14, 2018 ¦
「仏さまと共に」1/14(日)前半
み佛は
「み仏は人のいのちのおくふかく
来たりやどりて今日もまた
南無阿弥陀仏と喚びたもう
南無阿弥陀仏と喚びたもう」
信樂 峻麿
夢の中で故信楽先生のこの言葉が
何度も何度も出てきます。
自分自身の心の奥底に仏さまが来て宿って下さっている
というこを、よくよく味わいなさいということですね。
来て宿って下さっているのだけど、
自分の心に仏さまがいるのならば・・・・・のハズだと思う間は、
心の奥底に隠れてしまっているのでしょう。
これは神話の、
太陽神である天照太御神の「岩戸隠れ」として
表現されていると、聞いたことがあります。
つまり、
自分の心の闇が続くのです。
心の中の神様が思い込みの強さや、
自我の闇で隠れてしまっているから
先行きが暗くてわからない。だから迷う、悩む、苦しむ。
自分の進む道も間違うし、
間違った選択をしてしまうわけです。
「なんまんだぶつ」って
自分の心の奥底に仏さまが来て宿って下さっている
ということを、仏さまから「思い出せよ〜」と喚び続けて
下さっているわけで、その信号をキャッチして、
私の方からも「思い出しましたよ〜」
というこの二つが一つになった
湧き上がる安心と感謝の言葉ですね。
お念仏を称えていたら
自分は一人で生きているんじゃない
という安心といつも共にいて下さっている
という感謝の心が自然と湧きだしてきますよ。
そうすると、
日常生活の中で細かい自己修正や自己抑止が
始まります。
今までは「まっ、これて゛いいか」って
流されていたことも「いかんいかん」って
自己修正や自己抑止が入ります。
なにより心の奥に仏さまがいらっしゃると
思えば、悪いこともできません。
これからは私の経験ですので、
絶対的なものではありませんが、
参考までにお伝えするならば、
仏さまを自分の心に意識することで、
実際に仏性の磁場形成みたいなものが心中に
成されていきます。
そうすると心の中の
仏さまがはっきりしていくことによって心が明るく成ったり、
自分や自分の周りが明るく照らされて、進むべき先が
よく見えるようになります。
ここで自分がしたいと自然に思う事を「努力」していくと、
この世の物事が自然に流れだし上手に進む現象が、
副産物としてはあります。
現世利益和讃はこういうことが
一杯書かれていますが、それは仕事だったり、金銭的な
ことであったり、良い人間関係であったりと、
この世的なことが恵まれてきます。
社会的な成功者には、
自分の心の中の仏さま、分かりやすく言えば良心を
大切にしている人が多いいです。
仏さま、良心の念いは、
どういう念いかというと、
自分自身を「律しなさい」という念いです。
自分を節制し、感謝と反省をする素直な心は、
人を仕合せにするための成功や
幸運が継続しやすいのです。
自分の心の仏さまを大切にするためには、
磁場形成(整理整頓・掃除の行き届いた環境づくり)を行い、
仏教者ならお仏壇の(お仏飯・御花・蝋燭・お香)綺麗に荘厳し、
仏さまや先祖に生かされていることを「ありがとうございます」
と感謝するということです。
そういうことをしないで、
副産物(お蔭)ばかりを最初から期待して、
開運グッズにパワースポット、御利益宗教の祈祷、
ヒーラーや霊能者に依存するので
自分の思い通りにはいかないのです。
仏さまは公平ですから、
不思議な力を持った特別な「えこひいき」は、絶対にされません。
もし上手くいったとしても、それは仏さまではなく魔物の働き
でかすから、あとからもっと大きな代償を支払わされます。
宗教教団やヒーラーを通して得たものは、
本当は幸せではなく、不幸の始まりだと
多くの実例がものがたっています。
て゛すから
そういった多くのお金と時間を
差し出すような人や宗教組織には
決して近づかないことです。
日常に生かされていることへの感謝、
好きな仕事をさせていただくことへの感謝、
仏さまや先祖への感謝をすることは、
自分から感謝という良いものを外に出して与えることです。
人や外から良いものをもらおうとする考え方とは、
180度違うものです。
この会社がいつの間にか、
発展させていただいたのも、
決して私たちの力ではなく、
早朝、お昼、夕方の日に三度、感謝の仏参を行いながら
自分たちの傲慢さを律し、弱さを克服してきたからだと思います。
その副産物として、いろんなことを与えられて
きたのだと心底実感しています。
今日の早朝の仏参では
つくづく「仏さまってスゴイなあ・・・」と、
みんなで歓びあいました。
そしてその
大きな大きな御恩に
報いるために、ウォータクリーニングの自分の役割を
がんばらなくちゃ、と。
「み仏は人のいのちのおくふかく
来たりやどりて今日もまた
南無阿弥陀仏と喚びたもう
南無阿弥陀仏と喚びたもう」
信樂 峻麿
夢の中で故信楽先生のこの言葉が
何度も何度も出てきます。
自分自身の心の奥底に仏さまが来て宿って下さっている
というこを、よくよく味わいなさいということですね。
来て宿って下さっているのだけど、
自分の心に仏さまがいるのならば・・・・・のハズだと思う間は、
心の奥底に隠れてしまっているのでしょう。
これは神話の、
太陽神である天照太御神の「岩戸隠れ」として
表現されていると、聞いたことがあります。
つまり、
自分の心の闇が続くのです。
心の中の神様が思い込みの強さや、
自我の闇で隠れてしまっているから
先行きが暗くてわからない。だから迷う、悩む、苦しむ。
自分の進む道も間違うし、
間違った選択をしてしまうわけです。
「なんまんだぶつ」って
自分の心の奥底に仏さまが来て宿って下さっている
ということを、仏さまから「思い出せよ〜」と喚び続けて
下さっているわけで、その信号をキャッチして、
私の方からも「思い出しましたよ〜」
というこの二つが一つになった
湧き上がる安心と感謝の言葉ですね。
お念仏を称えていたら
自分は一人で生きているんじゃない
という安心といつも共にいて下さっている
という感謝の心が自然と湧きだしてきますよ。
そうすると、
日常生活の中で細かい自己修正や自己抑止が
始まります。
今までは「まっ、これて゛いいか」って
流されていたことも「いかんいかん」って
自己修正や自己抑止が入ります。
なにより心の奥に仏さまがいらっしゃると
思えば、悪いこともできません。
これからは私の経験ですので、
絶対的なものではありませんが、
参考までにお伝えするならば、
仏さまを自分の心に意識することで、
実際に仏性の磁場形成みたいなものが心中に
成されていきます。
そうすると心の中の
仏さまがはっきりしていくことによって心が明るく成ったり、
自分や自分の周りが明るく照らされて、進むべき先が
よく見えるようになります。
ここで自分がしたいと自然に思う事を「努力」していくと、
この世の物事が自然に流れだし上手に進む現象が、
副産物としてはあります。
現世利益和讃はこういうことが
一杯書かれていますが、それは仕事だったり、金銭的な
ことであったり、良い人間関係であったりと、
この世的なことが恵まれてきます。
社会的な成功者には、
自分の心の中の仏さま、分かりやすく言えば良心を
大切にしている人が多いいです。
仏さま、良心の念いは、
どういう念いかというと、
自分自身を「律しなさい」という念いです。
自分を節制し、感謝と反省をする素直な心は、
人を仕合せにするための成功や
幸運が継続しやすいのです。
自分の心の仏さまを大切にするためには、
磁場形成(整理整頓・掃除の行き届いた環境づくり)を行い、
仏教者ならお仏壇の(お仏飯・御花・蝋燭・お香)綺麗に荘厳し、
仏さまや先祖に生かされていることを「ありがとうございます」
と感謝するということです。
そういうことをしないで、
副産物(お蔭)ばかりを最初から期待して、
開運グッズにパワースポット、御利益宗教の祈祷、
ヒーラーや霊能者に依存するので
自分の思い通りにはいかないのです。
仏さまは公平ですから、
不思議な力を持った特別な「えこひいき」は、絶対にされません。
もし上手くいったとしても、それは仏さまではなく魔物の働き
でかすから、あとからもっと大きな代償を支払わされます。
宗教教団やヒーラーを通して得たものは、
本当は幸せではなく、不幸の始まりだと
多くの実例がものがたっています。
て゛すから
そういった多くのお金と時間を
差し出すような人や宗教組織には
決して近づかないことです。
日常に生かされていることへの感謝、
好きな仕事をさせていただくことへの感謝、
仏さまや先祖への感謝をすることは、
自分から感謝という良いものを外に出して与えることです。
人や外から良いものをもらおうとする考え方とは、
180度違うものです。
この会社がいつの間にか、
発展させていただいたのも、
決して私たちの力ではなく、
早朝、お昼、夕方の日に三度、感謝の仏参を行いながら
自分たちの傲慢さを律し、弱さを克服してきたからだと思います。
その副産物として、いろんなことを与えられて
きたのだと心底実感しています。
今日の早朝の仏参では
つくづく「仏さまってスゴイなあ・・・」と、
みんなで歓びあいました。
そしてその
大きな大きな御恩に
報いるために、ウォータクリーニングの自分の役割を
がんばらなくちゃ、と。
05:24, Sunday, Jan 14, 2018 ¦