「お帰り、輝彦」8/13(月)
昨日は久々に松島家の初盆でしっかり飲みました。
41歳でお浄土に還った輝彦くんの納骨と初盆には
彼を慕う多くの親族や従妹たちが参集していました。
お墓への納骨、初盆の読経と法話、そして41年間の人生を
収録した映像が流れ、とても感慨深いものがあり、親族や従妹たちは
彼との思い出に花を咲かせていました。
大好きだった志和という町に帰ってきた輝彦くん。
正直で不器用なゆえに、この娑婆という世界で要領よく生きるということが
なかなか難しかった。
その娑婆から仏の世界へ還った今、とても楽になりこれからは
家族と共に生きていかれ、いろんな体験を共有されていくのだと思います。
「お帰り、輝彦」誰もがそう呟いた、
とても温かくて気持ち良い初盆の集まりでした。
●俊くん一家、片道6時間かけて神戸から墓参りにきてくれて
ありがとう。私は出来上がって寝てましたが、みんな喜んでたよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、
親鸞聖人は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言い
ました。つまり善人は、よりいっそう成仏できます。だから、悪人
は言うまでもなく絶対的に120%確実に成仏できます。
と言い切りました。
これを当時聞いた人々の中には悪事を働いて、これはお浄土へ
行く為だと嘘ぶいたと言います。
これが社会問題になると親鸞聖人は、
「良い薬があるからと、毒をわざと飲んでは生けない」と言い
ました。
実は親鸞聖人の真意は、「認識と自覚」でした。
自分の事を悪人だ、愚か者だと「自覚」できる人は素晴らしい人なのです。
もう既にそこには、反省と懺悔が有ります。
同じ様な悪事でも、Aさんは「悪い事」だと思うが、Bさんは
それを「普通の事」だと思う。
世の中には、大小含めてこんな事が沢山あります。
親鸞聖人が意味した悪人は、自分自身で悪人だと自覚する
悪人であり、他人から指を指される悪人では無いのです。
自分自身で自分を悪人とするのか、他人からされるのか、
天地の開きがあります。
この娑婆という現実界は、何が正しい事なのかを知る事が大変に難しい
次元です。お釈迦様も「正しく物事を捉える」ことの難しさと、その
重要性を説いています。
これを誤ると、知らない内に罪を犯し
て悪因を作ってしまい、来世にも影響すると示唆しました。
では、どうしたら良いのか?
日々、仏様を敬い先祖に感謝し、
自分に巻き付くマイナスの磁気を軽減させる中で、
自分の心の「良心」「気持ち良い心」に従って生きて行けば良いのです。
罪を犯したと自覚するならば、それを上回る善を成せば良い
だけの事です。
他人に喜ばれる事を、家族をも含めて実行して行ければ
最高なのです。
「なあ、伸昭さん、頑張ろうで。脳梗塞で倒れても、
弟さんが急死しても、奥さんが痴呆になっても、そしてもう一人の
弟さんが精神的に弱っていても、こうやって生かされているわけ
じゃけえ、頑張りましょうや。
いろんな業を長男であるあんたが引き受けて、
善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をやでいきましょうや。
亡お母さんをはじめ、多くの先祖たちが応援してくださっとりますけん。
十代遡りゃあ1214人の先祖がおるんじゃけえ」。
何はなんでもこうやって仏縁をいただいことを喜び
感謝して善をなしていく。
お寺で行った初盆は、そういった本当のことをお伝えさせてもらいました。
頑張れ伸昭さん、わしらがついとるけん。
41歳でお浄土に還った輝彦くんの納骨と初盆には
彼を慕う多くの親族や従妹たちが参集していました。
お墓への納骨、初盆の読経と法話、そして41年間の人生を
収録した映像が流れ、とても感慨深いものがあり、親族や従妹たちは
彼との思い出に花を咲かせていました。
大好きだった志和という町に帰ってきた輝彦くん。
正直で不器用なゆえに、この娑婆という世界で要領よく生きるということが
なかなか難しかった。
その娑婆から仏の世界へ還った今、とても楽になりこれからは
家族と共に生きていかれ、いろんな体験を共有されていくのだと思います。
「お帰り、輝彦」誰もがそう呟いた、
とても温かくて気持ち良い初盆の集まりでした。
●俊くん一家、片道6時間かけて神戸から墓参りにきてくれて
ありがとう。私は出来上がって寝てましたが、みんな喜んでたよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、
親鸞聖人は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言い
ました。つまり善人は、よりいっそう成仏できます。だから、悪人
は言うまでもなく絶対的に120%確実に成仏できます。
と言い切りました。
これを当時聞いた人々の中には悪事を働いて、これはお浄土へ
行く為だと嘘ぶいたと言います。
これが社会問題になると親鸞聖人は、
「良い薬があるからと、毒をわざと飲んでは生けない」と言い
ました。
実は親鸞聖人の真意は、「認識と自覚」でした。
自分の事を悪人だ、愚か者だと「自覚」できる人は素晴らしい人なのです。
もう既にそこには、反省と懺悔が有ります。
同じ様な悪事でも、Aさんは「悪い事」だと思うが、Bさんは
それを「普通の事」だと思う。
世の中には、大小含めてこんな事が沢山あります。
親鸞聖人が意味した悪人は、自分自身で悪人だと自覚する
悪人であり、他人から指を指される悪人では無いのです。
自分自身で自分を悪人とするのか、他人からされるのか、
天地の開きがあります。
この娑婆という現実界は、何が正しい事なのかを知る事が大変に難しい
次元です。お釈迦様も「正しく物事を捉える」ことの難しさと、その
重要性を説いています。
これを誤ると、知らない内に罪を犯し
て悪因を作ってしまい、来世にも影響すると示唆しました。
では、どうしたら良いのか?
日々、仏様を敬い先祖に感謝し、
自分に巻き付くマイナスの磁気を軽減させる中で、
自分の心の「良心」「気持ち良い心」に従って生きて行けば良いのです。
罪を犯したと自覚するならば、それを上回る善を成せば良い
だけの事です。
他人に喜ばれる事を、家族をも含めて実行して行ければ
最高なのです。
「なあ、伸昭さん、頑張ろうで。脳梗塞で倒れても、
弟さんが急死しても、奥さんが痴呆になっても、そしてもう一人の
弟さんが精神的に弱っていても、こうやって生かされているわけ
じゃけえ、頑張りましょうや。
いろんな業を長男であるあんたが引き受けて、
善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をやでいきましょうや。
亡お母さんをはじめ、多くの先祖たちが応援してくださっとりますけん。
十代遡りゃあ1214人の先祖がおるんじゃけえ」。
何はなんでもこうやって仏縁をいただいことを喜び
感謝して善をなしていく。
お寺で行った初盆は、そういった本当のことをお伝えさせてもらいました。
頑張れ伸昭さん、わしらがついとるけん。
07:07, Monday, Aug 13, 2018 ¦ ¦ コメント(0)