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2017年 2月13日

「愚かさの自覚」2/13(月)
今日ある事で
ボットーネの松代表に伝えたこと。


それは、
「人間は自分の弱さ、未熟さ、非力さ、愚かさ」に
深く深く気づき目覚めた時から本当の成長、成熟
が始まるんだよ、ということでした。


ただ、
こうした人間の愚かさは、その人の人間性(誠実さ)が
成熟してこそ理解できることであって、そうじゃないと、
なかなか気づくことはできないし、いつまでたっても
条件付きの自信や幸福感なので、生き方が
フラフラしてます。


自分はまあまあ賢いと思っている人は、
自分を客観視できません。
自分に都合の良いところしか見ていないのです。
その結果、自信がないのに、自分のことは現実の姿より
はるかに高く評価してしまっています。
実はこういう人が正真正銘の愚者なのですが、
そのことが分からない。


つまり、
まったく愚者(非力な凡人)としての自覚が
まったくできないのです。
だから生き方も中途半端。


人間は愚者としての自分を
経験認識することによって、はじめて人間的な成長や
成熟が始まっていきます。
謙虚になれるから。


嶋田くんは、
筋トレや空手道の稽古で
自分の体力や気力の無さを知り、
掃除の徹底やスタッフの礼儀正しさを体験することによって、
人間的な「躾」の未熟さを自覚でき、
プレスの知識や技術では
テーラーとしての自分の知識や
感性の足らざる部分を
深く自覚できたわけです。


今後、
ここに来れば来るほど
さらに深く、
愚者の自覚を体験していくと思いますが、
それが一番の成長の近道なのです。


だから最低でも
一年間(石の上にも三年)、
週の水木はうちの工房に来て自分を磨きなさいと、
彼に伝えたわけです。



何度も言いますが
人間が自己の人間性や
能力を高めるためには、まず己の未熟さや愚かさを
深く深く自覚し、謙虚になることが必要なのです。


うちに来るまでは彼は、
まさに「成長ごっこ」を生きていて、
自意識過剰の自己評価と客観的に見られている他者評価の
ギャップが実に大きかったのだと思います。


ここに彼が来るということは、
「謙虚に生きる姿勢を身に付ける」
「鍛えることで忍耐力を身に付ける」
「良心に沿って行いを正すクセを身に付ける」
ということです。


プレス研修といいながら
こういった人間としての基礎・基本を身に付けるために
愚を自覚してここに来て学ぶということですね。


ボットーネのような理念経営を目指してるところは、
スタッフたちの「社会性」「教育性」「収益性」の三つの教育・
学習・実践がないと、まったくもって他から見たら誠に滑稽な
「絵に描いた餅」状態の会社になってしまいます。


そうならないためにも、
理念を目指して会社を推進させていくためにも、
徹底した「愚かさの自覚」が一人ひとり必要なんだよ、
ということなのです。そういう話を伝えておきました。


心はなかなか改めることはできないが、
行ないを改めることはできる、とも。


あの世は思いの世界、
この世は行いがすべての世界
ですから、まずリーダーが、先頭切って行動を正すことを
実践していかないとね。


自身の良心に沿った道徳的な
行動の癖づけ、まずはそこからです。
常に理想に向かって頑張りましょう!



※年女の文香、保育園のスタッフたちへ。
今日バレンタインデェーのチョコが届きました。
うちのスタッフたちにも配ります。
サンキューです!

17:48, Monday, Feb 13, 2017 ¦


「自信」2/13(月)
5人、A型インフレエンザで休んでます。


突然のイレギュラーのことばかりですが、
こういった想定外のことが起こるからこそ人生は面白い。


それなりに人員配置の工夫をしながら
なんとかやり繰りしたり、お客様やショップには事情を
正直に話して納期を延期してもらったりと、
物事は滞りなく動いています。


一気にインフルエンザで5名休んでも、実は問題は
ないのです。「困ったこと」はないのです。


同じ「出来事」が起きたのに、人によって、
その出来事が「問題」「困ったこと」となったり、
「問題ではない」「困ったことではない」となったりします。


だから、ある出来事を見て「問題だ」と思ったときから、
実はその問題は、その出来事を「問題だ、と思った人の
問題」。「困ったこと、だと思った人の困ったこと」に
なるのです。


ということは、「問題が起きた」「困ったことが起きた」と
思う時、問題は目の前にある出来事ではなく、実は
「その人の中に」にあるのです。


「問題が起きた」「困ったことが起きた」と、
すぐに身構えてしまう人の特徴は、まず、自分に自信がない
ということ。だから、すべてに、条件付の肯定であり、
また、条件付きの幸せを外に外に求めていこうとする
傾向性があります。


自信がないからそうなってしまう。
自信とは自分を信じる事ができるということです。
その信じる「自分」というのは、「実績のある自分」や、
「仕事ができる自分」、「他人や家族から認められる自分」
ではなく、つまり、そうでなくても、良くても悪くても、
「素のままの自分」「良心を預かってることを大切に
思える自分」を信じるのが「自信」なのです。


これが「折れない自信」です。
本物の「自信」です。


つまり自信とは、「積み上げた実績」
「人に認められる自分」よりも「一生懸命生きている
純粋で頑張る自分」にオッケーを出せるかどうか、
「素晴らしい」「価値がある」と、ただ、信じられるかどうか、
だったりするのです。


つまり、
一言で言うと、
良心と共に生きている自分であるかどうか、
ということですね、
自信があるかないかって
ことは。


また、
「問題が起きた」「困ったことが起こった」
と心コロコロしなくなります。


任せることができるんです。
起こってくることにジタバタすることなく、
計らうことなく素直に身を任せることができるということです。


ということなんですが、
すべて自分が問題や困ったことを作ってるって
ことを忘れないでね。
前の世からこの世にかけて
創ってきた心の癖から解放されて
良心と共に生きないと、続くね、この問題だ!困った!は。


そこにいくために
そのま人のありのままを伝える
この場があるんだけどね。
だからすべてにストレートだよね。


黄色いは黄色、
白色は白色、
黒色は・・・黒色ってストレートに
伝える場だから。


後は本人次第です。





08:51, Monday, Feb 13, 2017 ¦