「深さと幅」5/12(金)
毎朝、
早朝4時前には道着に着換えて道場で軽いストレッチと
筋トレを行い、「おお、そろそろ日も上がるなあ」4時半ぐらい
になると、およそ20分間「大道沢公園」を手を振って
ハイペースでの早朝散歩をしています。
4時半でもだんだん明るくなってきました。
ひんやりした早朝の空気がとても気持ちいいのです。
以前は散歩なんてしたこともありませんでしたが、今は
こうやって早朝と仕事の休憩を利用した午後4時の散歩が
ほぼ健康的な日々の日課になっています。
こうやって毎日歩く時にはいろんなことを考えています。
今日の朝は、
大谷光真西本願寺前門主が書かれた「人生は価値ある
一瞬」という著書の中に「人生のに必要なのは深さと幅」という内容が
ありまして、ここでは仏教学者の金子大栄師は「人生は長さじゃない。
深さです。幅です」と、ストレートに人生では何が大切なのかを伝えられ
ている。それについてご自身の味わいをお話になっておられるのですが、
今日はその「人生は長さじゃない。深さです。幅です」ということを
考えていました。以下「人生は価値ある一瞬」大谷光真 著より転載
「長さ」とは、長生きのことです。これは決して長生きを否定されている
のではなく、それも大切だが、「幅」や「深さ」を持って生きるのがもっと
尊いのだとおっしゃっているのです。
人間の「幅」とは、いろんなものを受け入れる柔軟性をいい、お経の
中で非常に大切にしている言葉に「身心柔軟(しんしんにゅうなん)」
というのがあって、文字通り、身も心も柔らかいということです。
こちらの身心が柔軟であれば、自分の考えと異なる意見や、
新しい変化を受け止めることができます。しかし、身心がコンクリート
の壁のように固いと、異見や変化を受け止められず、ぶつけた
ボールのように跳ね返してしまうだけです。それでは視野も広がらず
成長にもつながりません。
「幅」はもともと、日本画の余白から来たといわれます。一時代前
までの日本画の掛け軸は、余白の広い絵が少なくありませんでした。
塗りつぶしていない白いところは、中心に描かれている人間や、
花などの主題を引き立たせる意味があるほか、その味わいを
深める意味もあり、非常に大事なのです。
人生も、役に立つものだけで身の回りをぎっしり詰め込めば
よいとはかぎりません。日本画の余白のように、一件何も用が
ないように見えるものが、人生の味わいを深めて、自分の心
を豊かにしてくれることもあります。それが人生の「幅」です。
また、人生の「深さ」とは、自分のいのちの尊さを深く受け止める
ということを言います。自分のいのちは、遠い祖先から受け継いで
いるかけがえのないものであり、目に見えるこの世だけでなく、
目には見えない世界に支えられているのだと受け止めれば、
人生に深まりが出てきます。
何か辛いこと、苦しい事、嫌なことがあると、誰それが悪いと他人の
せいにしたり、自分の置かれた環境が悪いと周りのせいにする
だけでは、一面だけの見方で終わってしまい、深みのある生き方
はできません。自分のいのちをどう受け止めるか。自分の側の
受けとるこころによって、人生により深まりが出て来るのです。
今は辛いことや苦しい事であっても、時間とともに「ああ、こういう
ことだったのか」とうなずくこともあります。そういったうなずきを
何度も何度も繰り返していくうちに、それがその人の人生の「深さ」に
なっていくのでしょう。転載終了
そう考えると、「艱難なんじを玉にす」という格言がありますが、辛い
こと、苦しいこと、悲しいことを体験することで、人間は磨かれ、輝い
ていき、気づかせて頂いた感謝とともに、その人の「深さ」になって
いくというのは、自分経験からもとても頷けます。
ただし、つらくて苦しい経験をすればするほど、人相が悪くなり、人や
社会を恨み憎む人もいます。いや、圧倒的にそうかもしれません。
苦しい体験が実は人間的に成長するための良いきっかけであると
気づき、受けとれるまでには、こういった真理を学んでおく必要が
あります。
幸いにして、私たちは日々こうやって「道」を学んでいるお蔭で、
なんだかんだとあったとしても、最終的には自分の成長の肥やし
としていっています。
また、「幅」とはいろなものを受け入れる柔軟心のことを言う。
うちの会社には様々な個性の強い人たちが集まっていますが、
どんなに個性が強くいろんな問題があったとしても、その人の中に
素直さと良心に沿って生きようとする姿勢が見えれば、何があっても
、決してこちらから縁を切ることはありません。
いろんな色があってカラフルなのがキレイな花壇なのですから。
※今日もボイラー11時終了です。
早朝4時前には道着に着換えて道場で軽いストレッチと
筋トレを行い、「おお、そろそろ日も上がるなあ」4時半ぐらい
になると、およそ20分間「大道沢公園」を手を振って
ハイペースでの早朝散歩をしています。
4時半でもだんだん明るくなってきました。
ひんやりした早朝の空気がとても気持ちいいのです。
以前は散歩なんてしたこともありませんでしたが、今は
こうやって早朝と仕事の休憩を利用した午後4時の散歩が
ほぼ健康的な日々の日課になっています。
こうやって毎日歩く時にはいろんなことを考えています。
今日の朝は、
大谷光真西本願寺前門主が書かれた「人生は価値ある
一瞬」という著書の中に「人生のに必要なのは深さと幅」という内容が
ありまして、ここでは仏教学者の金子大栄師は「人生は長さじゃない。
深さです。幅です」と、ストレートに人生では何が大切なのかを伝えられ
ている。それについてご自身の味わいをお話になっておられるのですが、
今日はその「人生は長さじゃない。深さです。幅です」ということを
考えていました。以下「人生は価値ある一瞬」大谷光真 著より転載
「長さ」とは、長生きのことです。これは決して長生きを否定されている
のではなく、それも大切だが、「幅」や「深さ」を持って生きるのがもっと
尊いのだとおっしゃっているのです。
人間の「幅」とは、いろんなものを受け入れる柔軟性をいい、お経の
中で非常に大切にしている言葉に「身心柔軟(しんしんにゅうなん)」
というのがあって、文字通り、身も心も柔らかいということです。
こちらの身心が柔軟であれば、自分の考えと異なる意見や、
新しい変化を受け止めることができます。しかし、身心がコンクリート
の壁のように固いと、異見や変化を受け止められず、ぶつけた
ボールのように跳ね返してしまうだけです。それでは視野も広がらず
成長にもつながりません。
「幅」はもともと、日本画の余白から来たといわれます。一時代前
までの日本画の掛け軸は、余白の広い絵が少なくありませんでした。
塗りつぶしていない白いところは、中心に描かれている人間や、
花などの主題を引き立たせる意味があるほか、その味わいを
深める意味もあり、非常に大事なのです。
人生も、役に立つものだけで身の回りをぎっしり詰め込めば
よいとはかぎりません。日本画の余白のように、一件何も用が
ないように見えるものが、人生の味わいを深めて、自分の心
を豊かにしてくれることもあります。それが人生の「幅」です。
また、人生の「深さ」とは、自分のいのちの尊さを深く受け止める
ということを言います。自分のいのちは、遠い祖先から受け継いで
いるかけがえのないものであり、目に見えるこの世だけでなく、
目には見えない世界に支えられているのだと受け止めれば、
人生に深まりが出てきます。
何か辛いこと、苦しい事、嫌なことがあると、誰それが悪いと他人の
せいにしたり、自分の置かれた環境が悪いと周りのせいにする
だけでは、一面だけの見方で終わってしまい、深みのある生き方
はできません。自分のいのちをどう受け止めるか。自分の側の
受けとるこころによって、人生により深まりが出て来るのです。
今は辛いことや苦しい事であっても、時間とともに「ああ、こういう
ことだったのか」とうなずくこともあります。そういったうなずきを
何度も何度も繰り返していくうちに、それがその人の人生の「深さ」に
なっていくのでしょう。転載終了
そう考えると、「艱難なんじを玉にす」という格言がありますが、辛い
こと、苦しいこと、悲しいことを体験することで、人間は磨かれ、輝い
ていき、気づかせて頂いた感謝とともに、その人の「深さ」になって
いくというのは、自分経験からもとても頷けます。
ただし、つらくて苦しい経験をすればするほど、人相が悪くなり、人や
社会を恨み憎む人もいます。いや、圧倒的にそうかもしれません。
苦しい体験が実は人間的に成長するための良いきっかけであると
気づき、受けとれるまでには、こういった真理を学んでおく必要が
あります。
幸いにして、私たちは日々こうやって「道」を学んでいるお蔭で、
なんだかんだとあったとしても、最終的には自分の成長の肥やし
としていっています。
また、「幅」とはいろなものを受け入れる柔軟心のことを言う。
うちの会社には様々な個性の強い人たちが集まっていますが、
どんなに個性が強くいろんな問題があったとしても、その人の中に
素直さと良心に沿って生きようとする姿勢が見えれば、何があっても
、決してこちらから縁を切ることはありません。
いろんな色があってカラフルなのがキレイな花壇なのですから。
※今日もボイラー11時終了です。
07:43, Friday, May 12, 2017 ¦