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2017年 4月12日

「子安庵の花」4/12(水)
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NC社員寮の子安庵の庭には
春の寄せ植えをたくさん置いてます。

この北子安という場所は
とっても閑静な住宅地で住みやすい場所です。

気が向くと庭には寄せ植えや、室内には観葉植物を
買ってきては植物に囲まれた環境を楽しんでいます。
社長がなによりお花が好きですからなおさらです。

今日はいつもお手入れに来て下さっている亀田造園さん
と、庭にいろんな種類のアジサイを植えるためのミィーテ
ングをします。

うちのお寺もアジサイを沢山植えていますのでこれから
7月初旬ぐらいまでピンクやブルーや白が咲いてとっても
キレイです。

だから今からアジサイを植えた子安庵をとっても楽しみにしています。
雨の日のアジサイってとっても情緒がありますよね。

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さて、今日も4時になると、法子さんのリハビリィのためにおよそ30分
の散歩にいきます。その道すがらに咲く桜はまさに満開でとっても
綺麗でした。

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私は彼女からとても多くのことを学ばせてもらっています。
それは日常生活の中で少しでも嬉しいこと、ラッキーなこと、
有難いことと感じることがあれば、すぐに「ありがとうございます」と
小さな声で感謝されていることです。

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今日も桜の美しさ、または、散っていく桜の儚さ、そして美しい
大自然に対して「ありがとうございます」と感謝されていました。
その「ありがとうございます」の感謝の言葉を聞けば聞くほど、
私の心の中がとっても温かくなってきたり、キュンとしたりします。

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これは今日の散歩に限らず、日常生活や仕事中に幸運の「起」
を感じる度に「ありがとうございます」という感謝の言葉が出て
きます。これは、彼女の「当たり前」の基準が実に低いからです。
つまり「足ることを知っている」からです。

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逆に「当たり前」の基準が高くて要求の強い人ほど感謝があり
ません。足ることがなくなると、自己中心的になって、感謝すべ
きことに気づけないのです。

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ご飯を食べられること、仕事をさせてもらえること、いろんな人や
モノや植物や、家族がいること、大自然に生かされていること。
本当は不思議なことだらけなのですが、それがすべて「当たり前」
になってしまい、義務や権利が強くなり、すべてが不平や不満
だらけになっていきます。

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私は、彼女と共にいてとても心が気持ちいいのは、ちょっとした
ことを感じては常に「ありがとうございます」と小さな声で感謝さ
れているからです。

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その感謝の心や言葉を感じる度に、私自身も「ありがとうござい
ます」と自然と感謝の言葉が出てしまう。感謝は感謝を呼ぶん
ですね。


まさにそれが「なんまんだぶつ」。
大きないのちにこのいのちが生かされていることを刹那刹那
に感じているということ。

常に仏とともにあるわが身を感謝で感じているということ。
だかせこそ生かして下さっている大きないのちに報いようと
この娑婆の仕事をを頑張っていける。


とにかく自分の「いのち」がとても喜んでいることを感じます。
まさに「感謝に勝る能力」なしです。
実に仕合せな人生を歩ませて頂いてます。

ここまでくるには、
随分思い切ってやんちゃもやりあげてきました。
ほんまに「悪人自覚正気」です。


救われました。


※今日は副住職と坊守(妻)がお葬儀を勤めています。
故人に対して心よりお念仏申し上げます。


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09:04, Wednesday, Apr 12, 2017 ¦


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