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2016年 6月10日

「三陽商会デザイナー軍団」6/10(金)
100年ゴートの三陽商会さんとのお付き合いが始まって、
いろんな部門のスタッフの皆さんが工房見学においでに
なられます。


今日はデザイナーの皆さんが熱心にうちの技術をご覧
になって、「周りのスタッフたちに技術の素晴らしさを伝
えます」と、とんでもなく驚き、また、感動してワクワクし
ながら帰っていかれました。


≪おひさまありがとう≫ブログより転載

 私は人生に対して大きな誤解を二つしておりました。
一つは、自分の人生は災難に対する警告に満ちてい
たことを知らなかった。ということです。
 私はそれまで人生の災難とは、すごろくの目のよう
に偶然に左右されているものだと思っておりました。
しかし大きな災難ほど、事前に自分に警告を与えてく
れていたのでした。しかし私はそのほとんどの警告を
見ていませんでした。(今だってどれほどの警告を拾
えているかわかりませんが。)

 私が警告を見落としていた理由の一つは、都合が
悪いことは考えたくない。という心理バイアスによりま
す。最悪を想定することは勇気がいることです。
 そして私が警告を拾えないもう一つの理由は、私
の傲慢さにあります。人生の警告とはささやかなな声
であります。ひょっとしたら自分が間違っているかも。
という謙虚さがなければ、そのささやかな声は拾えま
せん。

 人生の警告とは、小さな災いとして、まず自分に起
こります。その時、偶然だよ。とか、見なかったことに
しよう。と思いがちになります。小さな災いがあったと
きに、例え面倒臭くても、この災いと似たもっと大きな
災難が、水面下で着々と進んでいるに違いない。と、
丁寧に洗いだすことが分かれ目であるように思います。

 そう。私たちの生活は、小さな災いで満ちています。
朝、目覚ましがならなかった?自転車がパンクしてた?
人身事故で電車が遅れた?メールの返信を一つし忘
れた?承認を貰おうとした上司が今日に限ってお休み
だった?これらの小さな災いは、みな自分に対する警
告でありました。

 また、ニュースで見る記事、ネットでシェアされる記事、
電車の車内広告、街の隣の人どうしの会話。このように
一見無関係に見える偶然の情報にも、自分に対する警
告が含まれています。
 「自分は大丈夫だよ」「自分は間違っていないよ」とい
う慢心が、貴重な警告を見逃させます。

 人生はシンクロニシティ(同期性)で振動しています。
大きな災難の前には、予兆が必ずあるはず。もし予兆が
ないとしたら、それは予兆がないのではなく、私の惰性
と慢心が、それを見逃させていた。ということになります。
私はそのように思うのです。予兆は必ずある。

 私が人生に抱いていた誤解の二つ目は、人生の幸
運についてです。今あらために思うに、幸運とはやはり
人知を超えた次元で必ず起こるんじゃないかなあと思
います。

 私たちは誰もが人生の幸運を願います。しかしなか
なか叶わないと嘆くことも多いかもしれません。でも本
当は人生の幸運を誤解しており、本当の幸運はいつで
も与えられているのではないかと思うのです。

 私たちは今回の人生で、自分自身を縛っていた鎖か
ら少しでも自由になりたいと思います。しかし、自分自
身を縛っている鎖は、とても固く、私たちは解くのは困
難であります。なぜなら鎖とは、自分自身の傲慢さであ
り、あるいは慢心であるからです。上手くいかないことを
他人のせいにする不平不満の逃避であるからです。

他人を見下したい欲求。人の幸せを妬む嫉妬心。自分
より立場の弱いものを攻撃したり、バレなければ盗んで
もいいかな。という狭い視点の自我であるからです。
 そして私は自分自身を表層の自我と同一視してしまい
がちですから、自分さえ良ければという自我の大きな声
に支配されてしまいます。

 しかし私たちの、本当の魂は、この自我の鎖から自分
自身を解き放つチャレンジこそが目的でありました。だか
ら、私たちがこの自我から自由になりたい、と決心をしま
したら、それが後押しされるように、自分の人生が動いて
いくのです。特に最近この世はそのように動き出している
ように思えるのです。

 慢心が粉々に打ち砕かれて謙虚にならざるを得ないと
か、我よしで奪ったものは手放さざるを得ないとか、とにか
く誰もが自我からの鎖が解かざるを得ないように動き出し
ているように思えます。表層の我よし自我は、悲鳴を上げ
ているでしょうが。

 私の人生も謙虚にならざるを得ないように動いておりま
すから、表層自我は辛いですが、深い視点では幸運であ
ります。

 悩みごとや心配ごとも日々の中にたくさんありますが、
多分ね、絶対大丈夫なんだという気もいたします。どんな
ことが起きても、それはさらに大きな災難への警告であり
ますしね。

 もし自我の鎖から一本一本自由になることができるの
であれば、解ければ解けるほど、人生の環境は自分が
思うよりずっと大きく(自我が認識している損得の層など
よりずっと深いところで)変わるということのようです。
転載終了

謙虚に、謙虚に、謙虚過ぎてちょうどいいです。

ttre
とにかくうちの場合は論より証拠。理屈より現場。現
場の技術を見ればいつも皆さん驚愕し、感動して下さ
ることです。

ワクワクして帰っていかれる人たちの顔を見るのは、
私たちの何よりの喜びの一つです。そして傲慢になら
ないよう意識して謙虚に努力できます。

13:32, Friday, Jun 10, 2016 ¦ ¦ コメント(1)